宝田明
たからだ あきら 宝田 明 | |||||||||||
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20代前半の頃(1956年) | |||||||||||
本名 | 寶田 明(読み同じ)[注釈 1][1] | ||||||||||
生年月日 | 1934年4月29日 | ||||||||||
没年月日 | 2022年3月14日(87歳没) | ||||||||||
出生地 | 日本統治下朝鮮・咸鏡北道 清津[2][3][注釈 2] | ||||||||||
死没地 | 日本・東京都 | ||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||
身長 | 183cm[注釈 3] | ||||||||||
血液型 | O型 | ||||||||||
職業 |
俳優 タレント | ||||||||||
ジャンル |
映画 テレビドラマ ミュージカル 舞台 | ||||||||||
活動期間 | 1953年 - 2022年 | ||||||||||
配偶者 | 児島明子(最初の妻) | ||||||||||
著名な家族 | 児島未散(長女) | ||||||||||
公式サイト | with Akira Takarada | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
映画 テレビドラマ 舞台
バラエティ番組 『アメリカの夜』 | |||||||||||
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宝田 明(たからだ あきら[3][5]、1934年〈昭和9年〉4月29日[出典 1] - 2022年〈令和4年〉3月14日)は、日本の映画俳優、タレント、声優、司会者。
来歴
父は技師であり、越後国村上藩藩士の末裔で朝鮮総督府で海軍武官を務めていた祖父の勧めで朝鮮総督府鉄道に勤務した[8][9]。6人兄弟(兄3人、姉、弟)。2歳の頃に、父の南満州鉄道(満鉄)への転勤のため、満州へ移る[9]。終戦後、12歳でハルピンから引き揚げ。博多から、本籍地の新潟県岩船郡村上本町(現・村上市)に移り、同市大工町にある寶田家の菩提寺笠原山善行寺に身を寄せる。寺の四畳半で2年間暮らし、村上本町国民学校に通った[出典 2]。
1953年、東京都立豊島高等学校卒業後に東宝ニューフェイス第6期生として俳優生活をスタート[4][7]。同期には佐原健二、河内桃子、藤木悠、日活に移籍した岡田眞澄がいる。同年、映画『かくて自由の鐘は鳴る』でデビュー[3][4]。翌年、特撮映画の金字塔である『ゴジラ』で初主演を果たす[出典 3]。長身・美形の二枚目俳優として東宝映画の若手トップスターとなり、数多くの映画に主演[5]。全盛期には連日連夜銀座に繰り出し夜遊びに精を出していた。
1959年の日本人初のミス・ユニバースの栄冠に輝いた児島明子と1966年4月29日(32歳の誕生日)に結婚し[13][14] [注釈 4]、1974年1月の次男誕生までの8年間に2男1女をもうけた[15][注釈 5]が1984年に離婚した[16]。1991年に『ジプシー』がヒットした歌手・女優の児島未散は長女で、明子との最初の子供である[15]。
1960年代は、東宝と香港のキャセイ・フィルムとの合作映画(『香港の夜』他)で、香港の女優・尤敏(ユーミン)とコンビを組んで[5]、香港、台湾など、アジア地域で絶大な人気を博した。1961年には小津安二郎監督が東宝で撮った映画『小早川家の秋』にも出演している。
特撮(怪獣)映画には『ゴジラ』の翌年の『獣人雪男』以来疎遠だったが、1964年の『モスラ対ゴジラ』の主演で復帰。以後も昭和から平成まで多く出演し[4]、日本の特撮映画の代表的なスターと称される[3]。
明るく華やかな雰囲気であり映画では『100発100中』の、最初からフランス語のセリフで登場し、ヒーローなのか悪人なのか分からないまま終わるキャラクターなど持ち味を存分に発揮している。また、映画斜陽期以降はミュージカルの世界にも活動の場を広げ[3][5]、『マイ・フェア・レディ』などで人気を集め[6]、日本におけるミュージカル俳優の草分け的存在としても活動した。1980年、東京都中野区江古田に日本初のミュージカル俳優養成学校「宝田芸術学園」を開校するも、1983年5月末で閉鎖となった。
俳優活動以外にも、ミス・ユニバース日本代表選出大会では1991年まで司会を担当していた。1990年代以降は、気障な二枚目というキャラクターを逆手に取り、バラエティー番組への出演や、金鳥の入浴剤「音浴湯」のCMでのコミカルな演技で新しい境地を開拓した。
2016年6月10日、政治団体「国民怒りの声」より、第24回参議院議員通常選挙の比例区候補として立候補することが公表された[17][18]が、17日には立候補を取り止めたことが発表された[19]。立候補を取り止めた理由として「後進の道を阻むのではないかと自問自答した」と述べている[20]。
晩年は入退院を繰り返していた。2022年3月10日、同年4月公開の映画『世の中にたえて桜のなかりせば』の舞台挨拶では、腰痛が悪化したため車椅子姿で登壇したが、同作品が遺作となり最後の公の姿となった。翌11日に体調の悪化を訴え12日に入院、13日の夜に容態が急変し、14日0時31分、誤嚥性肺炎のため東京都内の病院で死去した[出典 4]。87歳没。訃報は4日後の同月18日に所属事務所から公表された。児島明子との離婚後に再婚した一般女性が喪主を務めたことも明らかにされた。
2022年5月26日、生前の芸術文化活動に対する功績が称えられ、文化庁長官感謝状を授与した[26][27]。
エピソード
中国語と英語に堪能で、特に中国語に関しては現在もとっさの一言が無意識に中国語になっている時があると述べている。1994年に料理番組で料理の味見をした際にふと”好吃”と言い、何を言ったのかと尋ねる司会者に「あ、これ中国語で『美味しい』って意味なんです」と説明していた。また、1990年代前半に放送された『逸見・森口の平成初恋談義』でも初恋の中国人女性に通訳抜きで話していたこともある。[要出典]また、ハルピン時代には、周囲に中国人やロシア人が多かったことから中国語だけでなくボディランゲージも用いることが多く、そのことが俳優となってから演技に活かされてきたという[28]。
1997年12月24日には冠動脈が86%[注釈 6]も狭窄していたことによる狭心症を克服するため、11時間におよぶバイパス手術を受けたが、半日近く経って全身麻酔から覚醒しての第一声が「三船敏郎が亡くなったから、東宝のみんなに連絡しろ」であったという[29]。宝田自身はこの経緯について、「三船さんとボクは満州から引き揚げて来た者同士で仲良しだったから、三途の川まで一緒だったけどボクだけ途中で戻って来ちゃったんでしょう」と語っている[29][31][注釈 7]。三船のほか、森繁久彌や黒澤明、後輩で同い年の石原裕次郎などとも交流が深かった。
子供の頃から歌が好きで、東海林太郎の歌を時々歌っていた。ただし、高校生の頃に『NHKのど自慢』の予選に津村謙の「上海帰りのリル」で参加したが、鐘2つで不合格だった[6]。
周りから時々優等生タイプに思われることがあるとのことだが、本人は否定している[6]。
遺作映画『世の中にたえて桜のなかりせば』では、主演に加えて初めてエグゼクティブプロデューサーの仕事を経験[6]。後日阿川佐和子との対談では上記の仕事を踏まえて「これからは裏方の仕事も頑張りたい」と語っていた[注釈 8]が、その対談からわずか10日後、宝田は帰らぬ人となった[6]。
満州時代
先述の通り宝田が2歳の頃に家族でハルピンに移住した。当時は日本政府の国策で満州への移民が行われていたため、ハルピンにもたくさんの日本人が暮らしていたという[注釈 9]。
子供の頃は、軍国少年を目指すことが一般的だったことから、将来は予科練や幼年学校などに入って兵隊になることを夢見ていた[6]。当時の満州の学校教育は陸軍調で、宝田たちは教師から厳しく育てられた。また、9歳頃に同世代の子供たちと共に日本軍の各部隊に配属され、内務班の兵隊と2日間寝食を共にしながら訓練を受けた[注釈 10]。
終戦間近の1945年8月のソ連軍の満州侵攻による混乱の際、ソ連兵に右腹を撃たれる[32][注釈 11]。元軍医に弾丸を摘出してもらった[注釈 12]が、その弾丸はハーグ陸戦条約で禁止されていたダムダム弾だったという(ソ連は条約を否認していた)[9][33]。その経験に加え、満鉄の社宅にいた女性がソ連兵に強姦される現場を目撃した経験などがトラウマになり、ロシアには嫌悪感を抱いていた[32]。実際に、ロシア映画やロシアバレエは「吐き気を催すほど許せない気持ちが湧き起こる」ために観たくないと語っている[出典 5][注釈 13]。
怪我から回復した頃には兄たちがシベリアに抑留されていたため、「僕が働いて家計を助けなきゃ」との思いからソ連兵相手の靴磨き[注釈 14]や満州の専売公社から仕入れたタバコを売るなどして生活費を稼いだ[6]。終戦後の12歳までハルピンで暮らした後、最後の引揚げ組で日本に帰国した[6]。
俳優デビュー
終戦後日本に帰国するが、「自分は本当に日本人なんだろうか?」と自問自答し始める[注釈 15]。その後学生時代のある日演劇部から誘われ、劇作家・真船豊や岡本綺堂の作品などを演じた。役になり切っている間上記の悩みが解放されると共に、自己表現の喜びを感じたことから役者業に興味を持つ[6]。
高校の同級生に誘われて東宝ニューフェイスのオーディションを受けに行くが、撮影所前に並ぶ参加者の多さに気後れした[6]。そのまま帰ろうとしたが、撮影所の守衛に説得されて押し込まれる形で会場に入って受験して合格した[注釈 16]。
先述の通り「宝田明」は本名だが、東宝からデビューするにあたり芸名を考える話も出た。しかし、「宝」という字の縁起の良さに加え、所属会社の「東宝」にも入っていることから、本名での芸能活動が決まった[注釈 17]。
『100発100中』や『南海の大決闘』などで監督を務めた福田純は宝田と同じく満州出身であったことから、宝田は福田を兄貴分として慕っていた[28]。
映画『放浪記』で主演の高峰秀子から「映画はマイクがあるからあまり張って喋らなくても良い」と教えられたことをきっかけに、映画の演技は気を張らずに軽く演じることが必要だと考えるようになった[28]。
ゴジラシリーズに関するエピソード
『ゴジラ』の撮影初日には、撮影現場にて「主役の宝田です」と挨拶したところ、照明スタッフから「主役はゴジラだ!」と怒られ、ゲンコツをもらったと語っている[34]。一方、円谷英二からは「主役だから頑張りなさい」と言葉をかけられたという[4]。
『ゴジラ』の内容については、「核兵器を作り出した人類への警鐘」と受け止めており、ゴジラが死ぬ場面には涙したという[4]。
『ゴジラvsモスラ』への出演が決まる前には、『モスラ対ゴジラ』を観て感激したというファンから「ぜひ出演してほしい」との懇願が書かれた手紙をもらっていた[4]。同作品の撮影現場では、第1作からプロデューサーを務めてきた田中友幸が病身をおして宝田を訪ねており、対面した際に田中は涙していたという[4][28]。
映画『GODZILLA』が公開された際には、主演のジャン・レノと対面したが、彼は『ゴジラ』のファンであったものの宝田が存命であったとは知らなかったらしく、シーラカンスを見たかのような顔をしていたという[4]。
『ゴジラ FINAL WARS』では、撮影所の設備などは変わったものの撮影現場の雰囲気は変わっておらず、先に死去した仲間への鎮魂の思いで撮影に参加したと述べている[28]。同作品では、『100発100中』をオマージュしたセリフも取り入れられている[35]。
2014年に公開されたハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』に出演した際には、カメオ出演として撮影が行われた[36]。最終的に出演シーンはカットされたが、エンドロールにはクレジットされている。
自身が出演した200本近い映画のうち特撮作品は十数本であるが、「自身の経歴の中でも重みがある」、「人間の作り出す可能性の凄さを感じられる」と語っている[4]。また、「ゴジラは最強のクラスメート」を謳い、次に『ゴジラ』作品に出演する際は「ゴジラとアイコンタクトで意思疎通が出来る人間」を演じたいと語っている[34]。
脚本を読んで感情移入しながら役を作り上げるため、うまく書かれていない脚本では感情の流れがつっかえてしまうことがあるが、東宝特撮を多く手掛けた関沢新一の脚本ではそのようなことは一度もなかったという[28]。
石原慎太郎・裕次郎との出会い
「太陽の季節」で作家デビューした石原慎太郎と出会った頃、会話の流れで満州時代の苦労話をした。慎太郎から、「僕はあなたほどの経験がない。宝田さんの苦労には実がある」と褒められた。その直後、慎太郎から「弟の裕次郎が今度日活に入ったんで、面倒見てやってくれませんか?」と頼まれ、後日裕次郎とも出会うことになる[6]。
裕次郎との初対面を前に、「何が太陽族だ。俺は鉛玉を食らったことがあるんだ。逗子のボンボンに世間を教えてやる」と意気込んだ。自らのおごりで銀座に飲みに連れて行くと、裕次郎が少しの遠慮もなくレミーマルタンなどの高い酒を平気で飲み始めたため、腹を立てたという[注釈 18]。
出演
映画
- かくて自由の鐘は鳴る (1954年) - デビュー作[37]
- ゴジラシリーズ
- ゴジラ(1954年) - 尾形秀人[3]
- モスラ対ゴジラ(1964年) - 酒井市郎[38]
- 怪獣大戦争(1965年) - 富士一夫[38]
- ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年) - 吉村[38]
- ゴジラvsモスラ(1992年) - 南野丈二[39]
- ゴジラ FINAL WARS(2004年) - 醍醐直太郎[40]
- GODZILLA ゴジラ(2014年)[注釈 19]
- やんちゃ娘行状記(1955年)
- 花嫁立候補(1955年)
- 天下泰平(1955年)
- 続天下泰平(1955年)
- 雪の炎(1955年)
- 新鞍馬天狗 夕立の武士(1955年)
- 獣人雪男(1955年) - 飯島高志[38]
- 青い果実(1955年)
- 逃げてきた花嫁(1956年)
- 奥様は大学生(1956年)
- 婚約三羽烏(1956年)
- 青い芽(1956年)
- あの娘が泣いてる波止場(1956年)
- 大暴れチャチャ娘(1956年)
- 森繁よ何処へ行く(1956年)
- 恐怖の逃亡(1956年)
- ロマンス娘(1956年)
- 裸足の青春(1956年)
- 若人の凱歌(1956年)
- 天上大風(1956年)
- 婚約指輪 (1956年)
- 歌う不夜城(1957年)
- 極楽島物語(1957年)
- 山と川のある町(1957年)
- 美貌の都(1957年) - 同名主題歌も歌唱
- ロマンス誕生(1957年)
- サラリーマン出世太閤記(1957年) - 前田圭一郎[35]
- 続サラリーマン出世太閤記(1957年)
- 続々サラリーマン出世太閤記(1958年)
- 恐怖の弾痕(1957年)
- わが胸に虹は消えず 第一部・第二部(1957年)
- 大当り三色娘(1957年)
- 大学の侍たち(1957年)
- 青い山脈 新子の巻 (1957年)
- 続青い山脈 雪子の巻(1957年)
- 青春航路(1957年)
- 愛情の都(1958年)
- ジャズ娘に栄光あれ(1958年)
- 東京の休日(1958年)
- 弥次喜多道中記(1958年)
- 花の慕情(1958年)
- ロマンス祭(1958年)
- 風流温泉日記(1958年)
- 大学の人気者(1958年)
- 暗黒街の顔役(1959年)
- 大学のお姐ちゃん(1959年)
- コタンの口笛(1959年)
- 或る剣豪の生涯(1959年)
- 大学の28人衆(1959年)
- ある日わたしは(1959年)
- 若い恋人たち(1959年)
- 日本誕生(1959年) - 若帯日子命(後の成務天皇)[38]
- サザエさんの脱線奥様(1959年)
- 現代サラリーマン 恋愛武士道(1960年)
- 山のかなたに(1960年)
- 嵐を呼ぶ楽団(1960年)
- 第三波止場の決闘(1960年)
- ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年) - 通信参謀[38]
- 娘・妻・母(1960年)
- 太陽を抱け(1960年)
- 接吻泥棒(1960年)
- 夜の流れ(1960年)
- 第六の容疑者(1960年)
- 社長シリーズ
- サラリーマン忠臣蔵(1960年)
- 続サラリーマン忠臣蔵 (1961年)
- 続サラリーマン清水港(1962年)
- 銀座の恋人たち(1961年)
- 出世コースに進路を取れ(1961年)
- 七人の敵あり(1961年)
- 香港の夜 A Night in Hongkong(1961年)
- 世界大戦争(1961年) - 高野[38]
- 小早川家の秋(1961年)
- 二人の息子(1961年)
- 女の座(1962年)
- その場所に女ありて(1962年)
- 旅愁の都(1962年)
- 女難コースを突破せよ(1962年)
- 香港の星 Star of Hongkong(1962年)
- 私と私(1962年)
- 夢で逢いましょ(1962年)
- 放浪記(1962年)
- 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年)
- 月給泥棒(1962年)
- 女に強くなる工夫の数々(1963年)
- その場所に女ありて(1963年)
- ホノルル・東京・香港 Honolulu-Tokyo-Hongkong(1963年)
- 女の歴史(1963年)
- やぶにらみニッポン(1963年)
- 暁の合唱(1963年)
- ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば(1964年)
- 血とダイヤモンド(1964年)
- こゝから始まる(1965年)
- 最長的一夜 The Longest Night(1965年)
- 香港の白い薔薇(1965年)
- 100発100中(1965年) - アンドリュー星野[35]
- 100発100中 黄金の眼(1968年)
- 女は幾万ありとても(1966年) - 長谷川[35]
- 3匹の狸(1966年)
- 沈丁花(1966年)
- 石中先生行状記(1966年)
- レッツゴー!若大将(1967年)
- キングコングの逆襲(1967年) - 野村次郎一尉[38]
- 春らんまん(1968年)
- 空想天国(1968年)
- 緯度0大作戦(1969年) - 田代健[38]
- 水戸黄門漫遊記(1969年)
- 愛你入骨 Love You Till I Die(1981年)
- プルメリアの伝説 天国のキッス(1983年)
- しのぶの明日(1984年)
- クララ白書・少女隊PHOON(1985年)
- あげまん(1990年)
- ミンボーの女(1992年)
- 億万長者になった男。(1994年)
- 白鳥麗子でございます!(1995年)
- 必殺! 主水死す(1996年)
- マルタイの女(1997年)
- 首領への道12 (V) (2000年)
- 世にも奇妙な物語 映画の特別編(2000年)
- 渋谷ミッドナイト・ウォー 暗黒街(2001年) - 中国マフィアのボス・王 役 ※Vシネマ
- 福耳(2003年)
- ファンタスティポ(2005年)
- 監督・ばんざい!(2007年)
- 燦燦 さんさん(2013年)
- 大仏廻国 The Great Buddha Arrival(2018年)[41]
- 明日に架ける橋 1989年の想い出(2018年)
- ニッポニアニッポン フクシマ狂詩曲(2019年)
- ダンスウィズミー(2019年)[42]
- 世の中にたえて桜のなかりせば(2022年) - W主演・敬三 役[43]
- 日光物語(2022年)[44][注釈 20]
テレビドラマ
- 平四郎危機一発 / 新 平四郎危機一発(TBS) - 九条平四郎
- のれん繁昌記(1966年 - 1967年、フジテレビ / 東宝) - 藤谷洋一郎
- 五人の野武士(1968年 - 1969年、日本テレビ / 三船プロ) - 利南八郎太
- 人形佐七捕物帳 第5話「折れた扇子」(1971年、NET)- 将軍家斉
- おちゃの子さいさい(1971年、フジテレビ)
- いごっそう段六(1976年、NHK) - 段六
- 手錠をかけろ! 第3話「女子大生誘拐事件 上高地」(1979年、フジテレビ / 国際放映) - 百瀬刑事
- 鉄道公安官 第33話「公安官VS怪盗55号!」(1979年 - 1980年、テレビ朝日)
- ザ・サスペンス『特急さくら殺人事件』(1982年9月4日、TBS) - 十津川警部
- ドキュメンタリー番組『さらば海底空母イ401 幻のパナマ運河大爆撃』(1983年4月28日、NTV、木曜スペシャル) - 有泉龍之助
- 土曜ワイド劇場
- 京都殺人案内 麻薬にけがされた修学旅行女子高生(1983年、朝日放送)
- 三毛猫ホームズの黄昏ホテル(1998年、テレビ朝日)
- 西部警察 PART-III 最終話「大門死す! 男達よ永遠(とわ)に…」(1984年10月22日、石原プロ/テレビ朝日) - 梶徳則
- 愛さずにいられない(1991年、日本テレビ) - 大野茂男
- ホームワーク(1992年、TBS)
- 白鳥麗子でございます!(1993年、フジテレビ) - 白鳥正太郎
- お姉さんの朝帰り(1994年、朝日放送) - 春山圭一郎
- 西遊記(1994年、日本テレビ) - 太宗皇帝
- 木曜の怪談(1995年 - 1997年、フジテレビ)- のぼるの祖父
- 怪奇倶楽部(1995年10月19日 - 1996年9月12日)
- 怪奇倶楽部 学校の七不思議編(1996年10月17日 - 11月28日)
- 裸の大将放浪記 第78話「清の手品はめぐりあい-福島」(1996年、関西テレビ / 東阪企画)
- ボディーガード(1997年、テレビ朝日) ー 恩田 薫 役
- 大河ドラマ・徳川慶喜(1998年、NHK) - 鷹司政通
- 永遠のアトム 手塚治虫物語(1999年、テレビ東京)
- 連続テレビ小説(NHK)
- 聖徳太子(2001年、NHK) - 物部守屋
- 月曜ドラマシリーズ「私の青空2002」(2002年、NHK) - 村井譲二
- ヨイショの男 第6話「冠婚葬祭入門」(2002年、TBS) - 広川省吾
- ナースのお仕事4 第11話「ヤキモチドクター」(2002年、フジテレビ) - 奥山武彦
- ロッカーのハナコさん(2002年、NHK) - 辰巳会長
- 松本清張ドラマスペシャル・黒の回廊(2004年、日本テレビ) - ジョン・トンプソン・山田
- ミニモニ。でブレーメンの音楽隊(2004年、NHK教育テレビ)
- 勉強していたい(2007年、NHK) - 角間平吉
- 坂の上の雲(2009年、NHK) - 藤野漸
- ドラマ10(NHK)
- 金曜プレステージ「浅見光彦シリーズ43 還らざる道」(2012年、フジテレビ) - 瀬戸一弘
- 京都地検の女 第8シリーズ 第2話(2012年、テレビ朝日) - 篠原功一郎
- 水曜ミステリー9「新・犯罪交渉人 百合子」(2013年、テレビ東京) - 栗原祐一
- スペシャルドラマ「キャビンアテンダント刑事〜ニューヨーク殺人事件〜」(2014年、フジテレビ) - 中野茂利
- テレビ未来遺産“終戦69年”ドラマ特別企画 遠い約束〜星になったこどもたち〜(2014年8月25日、TBS) - 戸田英一(現代) ※特別出演
- 被爆70年特集ドラマ・赤レンガ(2015年 NHK広島) - アニー
- スペシャルドラマ「経世済民の男」 第三部『鬼と呼ばれた男〜松永安左エ門』(2015年9月19日、NHK名古屋) - 池田成彬 役
- やすらぎの刻〜道(2019年) ‐ 牧田喜十
舞台
- 赤ひげ - 赤ひげ医師
- アニーよ銃をとれ - フランク ※昭和39年度文部省芸術祭奨励賞受賞
- 南太平洋
- 風と共に去りぬ - レット・バトラー
- キス・ミー・ケイト - フレッド・グレアム/ペトルーキオ
- マイ・フェア・レディ - ヒギンズ教授
- ピーター・パン - フック船長
- ファンタスティックス - エル・ガヨ 役 ※平成24年度文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞受賞
- 葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜 - ルーク医師
- 34丁目の奇跡〜Here's Love〜 - クリス・クリングル
- タイタニック - スミス船長
- 四人は姉妹
- ミー&マイガール - ジョン男爵
- Mr.レディ Mr.マダム - ジョルジュ
ゲーム
- 東京シャドウ(1996年) - 木の精
- アドベンチャーオブ東京ディズニーシー 〜失われた宝石の秘密〜(2001年) - ジャファー/魔人ジャファー
- キングダム ハーツ シリーズ - ジャファー/魔人ジャファー
- キングダム ハーツ(2002年)
- キングダム ハーツII(2005年)
- キングダム ハーツ Re:コーデッド(2010年)
- キングダム ハーツ HD 2.5 リミックス(2014年)
- シーマン2〜北京原人育成キット〜(2007年) - ナレーション
吹き替え
俳優
- ディーン・マーティン
- サイレンサー/殺人部隊(1966年) - マット・ヘルム 役
- サイレンサー/待伏部隊(1966年) - マット・ヘルム 役
洋画
- ドリトル先生不思議な旅(1968年) - ドリトル先生(レックス・ハリソン) 役 NHK版
- キャッツ(2020年) - ガス(イアン・マッケラン) 役[45]
海外アニメ
- オリビアちゃんの大冒険(1989年) - ラティガン教授
- アラジン(1993年) - ジャファー/レッドジーニー(魔人ジャファー)
- アラジン ジャファーの逆襲(1995年) - ジャファー/レッドジーニー(魔人ジャファー)
- ハウス・オブ・マウス(2002- 2003年) - ラティガン教授、ジャファー
- ミッキーのマジカル・クリスマス 雪の日のゆかいなパーティー(2002年) - ジャファー
- ミッキーの悪いやつには負けないぞ!(2003年) - ジャファー
- ヘラクレス(2004年) - ジャファー
- スター・ウォーズ 反乱者たち シーズン3(2016年) - ベンドゥ[46]
バラエティ
- アメリカの夜 (フジテレビ)
- サラリーマンNEO(NHK)
- 第11回ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(日本テレビ) - 司会(『第1回宝田明のお笑いウルトラクイズ』として。途中まで参加)
- ゴジラ完全放送スペシャル番組 ゴジラが来る! (2008年10月25日、日本映画専門チャンネル) - 特別出演
- ミス・ユニバース日本代表選出大会(朝日放送) - 司会
CM
- 大正製薬 リポビタンD
- 大日本除虫菊 「金鳥音浴湯」(入浴剤)[注釈 21]
- 白十字 「サルバDパンツ」
- フジテレビ 「みんなそろそろホントのことを」(ドラキュラ役)
- 第一生命保険 「堂々人生」「私の華道」(シッペイ大魔王役)
- アートネイチャー - 衣笠祥雄と共演・当時は「髪はたからだ」をキャッチフレーズにしていた。
- 冨の寿
その他
- 東京ディズニーランド 「カントリーベア・シアター」 - ヘンリー 役
- 東京ディズニーリゾート - ジャファー 役
- サンリオピューロランド 「ハローキティ ドリームレビュー1・2」 - ピューロ博士 役 ※声の出演
- SOPHIA 「君と月の光」 プロモーションビデオ
- FMシアター「命の洗濯」(制作・NHK新潟放送局)
著書
- 『ニッポン・ゴジラ黄金伝説』(扶桑社、1998年8月) ISBN 978-4-594-02535-9
- 『TVビデオプログラミング 演技術入門』共著 (オーム社、1985年)ISBN 978-4-274-03071-0
- 『平和と命こそ 憲法九条は世界の宝だ』日野原重明、澤地久枝 共著(新日本出版社、2014年)ISBN 978-4-406-05803-2
- 『銀幕に愛をこめて-ぼくはゴジラの同期生』(筑摩書房、 2018年5月) ISBN 978-4-480-81543-9
- 『送別歌』(ユニコ舎、2021年1月)ISBN 978-4-991-13681-8
脚注
注釈
- ^ 「寶」は「宝」の旧字体で、ウ冠の下に王と缶を並べてさらに下に貝と書くのが正しい。王の隣に尓の「寳」は誤表記。
- ^ 資料によっては、出身地を「旧満州ハルピン」と記述している[4][5][6]。
- ^ 『徹子の部屋』2011年3月10日放送、ゲスト時のコメント[出典無効]。
- ^ 二人は10年前から交際しており、三島由紀夫の小説にちなんで「永すぎた春」と言われた。結婚式はパレスホテルで行われた。二人の誕生日はちょうど半年離れており、この日は児島の29歳半のハーフバースデーでもあった。
- ^ 『現代日本映画人名事典 男優篇』(キネマ旬報社、 2012年 ISBN 978-4-873-76387-3)の「宝田明」の項目(pp. 167-168)には「二女をもうけた」とあるが、週刊朝日の記事には2男1女の名前も記されており、『朝日新聞』1980年3月7日26面「顔」コーナーでも「いま三児の父」と説明されているので、そちらに従う。
- ^ 2009年に沢井製薬によるインタビューで答えた数値[29]。2016年に週刊女性PRIMEによるインタビューでは96%と答えている[30]。
- ^ 実際に三船は1997年12月24日に逝去している。
- ^ また「いい経験をさせてもらいました。自分がいかに制作というものに不勉強かと痛感させられた」とも語っていた。
- ^ 宝田によると「食い詰めた農家の二男三男などの移民、陸軍から派遣された人、満州で一山当てようと考える民間人などが大挙していた」とのこと[6]。
- ^ 兵隊たちから怒鳴られ叩かれたが、本人は「子供ながらに当時はこれが当たり前と思っていたため、歯を食いしばって頑張った」という[6]。
- ^ 本人によると「ハルピンの浜江駅でソ連兵が日本兵をシベリア送りにしていた。“兵隊となっていた2人の兄に会えるかも”と思い、その駅に訪れた。すると駅を囲んでいたソ連兵が人除けのために銃で「ダダダダーッ」とぶっ放し、その内の1発が当たった」とのこと[6]。
- ^ 本人によると「軍医に連絡がつかず2日間家でじっとするしかなく、その間に傷口が化膿した。ようやく元軍医に診てもらうが戦時でまともな医療器具が足りず、麻酔なしで処置されることになった。元軍医が母親に紐で宝田の手足を縛るよう指示した後、宝田は『君は日本男児だな?歯を食いしばって堪えなさい』と言われ、滅菌のため熱したハサミで摘出処置をしてもらった。本人は後年「歯を食いしばっても痛いもんは痛い(笑)。でもおかげで一命を取り留めました」と語っている[6]。
- ^ 加えて「私は平生、平和主義者だけど、ソ連兵やあの国のことはどうしても憎むことしかできません」と最晩年まで語っていた[6]。
- ^ 本人は「憎いソ連兵相手だが、生きていくため割り切って仕事をした。代金は当時の金額で軍靴1足磨いて十円、長靴で二十円だった」と回想してる。
- ^ 生まれた頃から海外暮らしだった宝田は、この時始めて日本の土を踏み、日本育ちの日本人と自身を比べて悩み始めたという[6]。
- ^ 「本人は後年「『とにかく受けなさい』という守衛さんと「やっぱり帰ります」という私との押し問答の末、受験することになった。あの人がいなかったら、私は俳優になっていなかったでしょうね」と回想している[6]。
- ^ ただし“宝田”という姓は珍しく、過去に駐車違反を起こして警察署の受付で「宝田明さん」と呼ばれた時は、周りの一般人が一斉に振り返ったため、「かなり恥ずかしい思いをした」という[6]。
- ^ それまで安酒しか飲んだことがない宝田は、「張り倒してやろうかと思ったがそこはグッと堪えた」とのこと[6]。
- ^ 未公開シーン。
- ^ 遺作。
- ^ 「音の鳴る入浴剤」として当時新発売された新商品のCM(※販売終了)。上半身裸で下半身にタオルを巻いた宝田が浴槽の前でタオルをはだけさせて、下半身部分が「宝」マークで隠れた状態で宝田が踊り出す内容。二枚目俳優として活躍してきた宝田がこのようなコミカルな演技をした事に、往年のファン世代達を驚かせた。
出典
- ^ “宝田明 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE(キネノート). 2020年11月6日閲覧。
- ^ 宝田明 (15 August 2015). "ソ連侵攻、苦しみ今も" (Interview). Interviewed by 竹葉秀彦. 時事通信社. 2021年12月12日閲覧。
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) (説明) - ^ a b c d e f g h 東宝特撮映画全史 1983, p. 531, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
- ^ a b c d e f g h i j k l 円谷英二特撮世界 2001, pp. 29–32, 「インタビュー 宝田明」
- ^ a b c d e f g ゴジラとともに 2016, p. 5, 「宝田明」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 週刊文春2022年4月7日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」第1388回・宝田明p110-115
- ^ a b c 超常識 2016, p. 118, 「Column ゴジラ映画 俳優FILE」
- ^ 「ソ連兵に銃撃された傷が今でも痛む」 俳優・宝田明が明かす凄絶な戦争体験 週刊新潮 2021年6月10日号掲載
- ^ a b c d “終戦の満州、悪夢の始まり…俳優 宝田明さん 81”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社 (2015年8月13日). 2017年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月21日閲覧。
- ^ サンデーいわふね(いわふね新聞社) 2022年3月18日
- ^ 村上新聞 宝田明さん公演
- ^ 宝田明講演会のお知らせ
- ^ 「「四月に結婚」発表 宝田明と児島明子」『朝日新聞』 1966年2月9日 夕刊6面
- ^ 「宝田明と児島明子が挙式」 『中日新聞』 1966年4月30日 15面
- ^ a b 「23年間のミス・ユニバース 美女の運命はいかに?」『週刊朝日』1974年5月3日号 pp. 139-143
- ^ 『テレビ・タレント人名事典 第6版』2004年 日外アソシエーツ 681頁 ISBN 978-4-816-91852-0
- ^ “俳優の宝田明氏、参院比例区に擁立 小林節氏代表の団体”. 朝日新聞 (2016年6月10日). 2016年6月11日閲覧。
- ^ “参院選:宝田明氏ら擁立 国民怒りの声”. 毎日新聞 (2016年6月10日). 2016年6月11日閲覧。
- ^ “宝田明氏が立候補取りやめ 参院比例で国民怒りの声”. 西日本新聞 (2016年6月17日). 2016年11月28日閲覧。
- ^ “宝田明氏 出馬中止「後進のため」”. 東京新聞 (2016年6月20日). 2016年6月17日閲覧。
- ^ 宝田明さん急逝、87歳 10日舞台あいさつに登壇も13日容体急変 映画「ゴジラ」など出演 - 日刊スポーツ 2022年3月18日
- ^ 宝田明さん、死因は肺炎 所属事務所が発表 - スポーツ報知 2022年3月18日
- ^ 肺炎で死去の宝田明さん 12日に体調不良で入院 翌日夜に容体急変 10日に舞台登壇も - デイリースポーツ online 2022年3月18日
- ^ 宝田明さん死去 今月10日の舞台挨拶翌日に体調悪化訴え、12日に救急車で搬送、13日に容体急変 - スポニチアネックス 2022年3月18日
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年3月19日). “宝田明さん、誤嚥性肺炎だった 14日急死、遺作の続編熱望していた”. サンスポ. 2022年3月18日閲覧。
- ^ author (2022年5月26日). “文化庁長官感謝状 - with Akira Takarada”. akira-takarada.com. 2022年10月5日閲覧。
- ^ 木村武雄. “乃木坂46岩本蓮加、文化庁・都倉長官が期待「宝田さんと最後に共演した方、映画史に残る」”. MusicVoice. 2022年10月5日閲覧。
- ^ a b c d e f ゴジラとともに 2016, pp. 6–12, 構成・文 浦山珠夫「宝田明」(『映画秘宝』2010年2月号掲載)
- ^ a b c “俳優・宝田明さんの「心臓手術で取り戻した命」”. 健康かけいぼ. 沢井製薬 (2009年3月11日). 2011年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月10日閲覧。
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- ^ https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2022/10/story/20221024_story/
- ^ “映画『キャッツ』日本語吹き替え版 第三弾キャスト発表! 山寺宏一さん、宮野真守さん、沢城みゆきさん、山路和弘さんらよりコメント到着”. アニメイトタイムズ. 2020年1月8日閲覧。
- ^ “旧ゴジラ俳優・宝田明、アニメ『スター・ウォーズ』に声の出演”. ORICON STYLE. (2016年11月30日) 2016年11月30日閲覧。
出典(リンク)
参考文献
- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 『円谷英二特撮世界』勁文社、2001年7月1日、29-32頁。ISBN 978-4-766-93848-7。
- 『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日。ISBN 978-4-86491-013-2。
- 『ゴジラの超常識』[協力] 東宝、双葉社、2016年7月24日(原著2014年7月6日)。ISBN 978-4-575-31156-3。
- 別冊映画秘宝編集部 編『ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年9月21日。ISBN 978-4-8003-1050-7。
外部リンク
- 宝田 明 - フジプランニング
- 宝田明 | 日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
- 宝田明 - 日本映画データベース
- 宝田明 - allcinema
- 宝田明 - KINENOTE
- Akira Takarada - IMDb
- 宝田明 - MOVIE WALKER PRESS
- 宝田明 - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇
- 宝田明 - NHK人物録
- with Akira Takarada - 公式サイト