フリーデリケ・シャルロッテ・フォン・プロイセン
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フレデリカ・シャーロット・オブ・プラシャ Frederica Charlotte of Prussia | |
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称号 | ヨーク・オールバニ公妃 |
出生 |
1767年3月7日 神聖ローマ帝国 プロイセン王国 ブランデンブルク選帝侯領、シャルロッテンブルク |
死去 |
1820年8月6日(53歳没) イギリス、サリー |
埋葬 | イギリス、ウェイブリッジ、セント・ジェームズ教会 |
配偶者 | ヨーク・オールバニ公フレデリック |
家名 | ホーエンツォレルン家 |
父親 | プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 |
母親 | エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル |
フリーデリケ・シャルロッテ・ウルリーケ・カタリーナ・フォン・プロイセン(Friederike Charlotte Ulrike Katharina von Preußen, 1767年3月7日 - 1820年8月6日)は、イギリス王族であるヨーク・オールバニ公フレデリックの妃。英語名フレデリカ・シャーロット(Frederica Charlotte of Prussia)。
生涯
[編集]のちのプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世と、最初の妃エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルの一人娘として、シャルロッテンブルクで生まれた。わずか2歳の時に母の不貞が原因で両親が離婚し、母はシュテッティンに幽閉されたため、ベルリンに残された彼女は父の監護の元、大叔母にあたるフリードリヒ2世の王妃エリーザベト・クリスティーネに養育された。
1791年、ヨーク・オールバニ公フレデリックと結婚した。ロンドン市民に好意的に迎えられるが、結婚生活は不幸で、2人はほどなく別居した。フリーデリケ・シャルロッテは子供のないまま、サリー州で没した。