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巨福呂坂(こぶくろざか)は鎌倉七口のひとつで、巨福路坂、小袋坂とも。鎌倉幕府執権、北条泰時が命じて作らせた切通しで、鶴岡八幡宮裏手の雪ノ下から山之内(今のJR北鎌倉駅付近)を結ぶ道。
鎌倉時代末、第16代執権赤橋守時が新田義貞率いる倒幕軍をこの地で迎え撃った。
なお現在の巨福呂坂は明治19年に明治政府が新たに開鑿した道で、旧道はこの新道のさらに西方の尾根に位置する。(なお現在旧道は一部が私有地となっているため通行不可となっている)
新道は大正12年の関東大震災で壁面の崩落に遭い通行ができなくなったがその後拡張され、車両の通行が可能となった。