コンテンツにスキップ

ミツアキサイレンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Izuharamasahiro (会話 | 投稿記録) による 2007年1月8日 (月) 08:21個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:競走馬生年に基づきソートキー変更)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ミツアキサイレンス
2005年11月3日 名古屋競馬場にて JBCクラシック
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1997年4月20日
エイシンサンディ
ユウコウターナ
生国 日本北海道平取町
生産者 広川牧場
馬主 山本光明
調教師 粟津豊彦(笠松
競走成績
生涯成績 60戦13勝
獲得賞金 3億3053,2万円
テンプレートを表示

ミツアキサイレンス日本競走馬である。佐賀記念2連覇など交流重賞4勝を含む重賞10勝を挙げ、未出走のまま種牡馬入りした父・エイシンサンディの名を上げた。

戦績

1999年

9月15日、デビュー戦となったJRA2歳認定競走で初勝利。連勝で臨んだJRAの芝レースは6,7着に終わる。

2000年

地元に帰って皐月賞トライアルの選定競走・ゴールドジュニアを制し、出走権を得た若葉ステークスはクリノキングオーの5着。新緑賞を制し、地元5戦無敗で出走した第1回兵庫チャンピオンシップはゴール手前で先行集団を一気に差し切り交流重賞初制覇。その後3歳交流重賞は4,6,2着だったがダービーグランプリではレギュラーメンバーには大差を付けられたが2着と地方馬最先着を果たす。次走中日新聞杯でも3着、東海ゴールドカップで古豪を一蹴して2000年のNARグランプリサラブレッド系4歳最優秀馬に選出される。

2001年

佐賀記念を制したあとは他場の交流重賞を中心に使われ、帝王賞4着、JBCクラシック5着など好走し、新設された名古屋グランプリを制して、2年連続でに選出される。

2002年

佐賀記念を連覇して天皇賞出走権をかけて臨んだ阪神大賞典は2着ジャングルポケットと大接戦も4着に敗れる。ダートでも2000メートル以上の距離に良績が集中した同馬にとって春の天皇賞は絶好の舞台だったが、結局1度も出走することはかなわなかった。この年は佐賀記念の1勝のみ。

2003年以降

ローテーションはあまり変わらないまま着順が落ち込み、徐々に衰えが見えるようになる。2004年は福島テレビオープンで60キロを背負いながら2着に突っ込み、オータムカップで2年半ぶりに勝利したが、衰えは隠せなくなる。交流重賞申請を取り下げ地区交流重賞となった2005年のオグリキャップ記念を勝利。これが最後の勝利となった。

2006年の佐賀記念で8着に敗れた後、戦列を離れていたが、9月18日付で引退した。今後は北海道で種牡馬入りが予定されている。