セルゲイ・スカチェンコ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Sergey SKACHENKO | |||||
ウクライナ語 | Сергій Скаченко | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ウクライナ | |||||
生年月日 | 1972年11月18日(52歳) | |||||
出身地 | ソビエト連邦 パヴロダル | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1989-1990 | トラクトル・パブロダル | 37 | (4) | |||
1991 | メタリスト・ハルキウ | 9 | (2) | |||
1992-1993 | トルペド・モスクワ | 30 | (3) | |||
1993-1994 | FCテンプ・シェペトフカ | 28 | (13) | |||
1994-1995 | ディナモ・キエフ | 26 | (5) | |||
1996-1997 | 安養LG | 34 | (13) | |||
1997 | 全南ドラゴンズ | 12 | (6) | |||
1998-1999 | トルペド・モスクワ | 42 | (7) | |||
1999-2002 | FCメッツ | 32 | (4) | |||
2001 | → ヌーシャテル・ザマックス | 7 | (4) | |||
2001 | → トルペド・モスクワ | 1 | (0) | |||
2001 | → サンフレッチェ広島 | 11 | (2) | |||
2002-2003 | FCアーラウ | 4 | (0) | |||
2003-2004 | FCカルパティ・リヴィウ | 2 | (0) | |||
2004-2005 | トゥラン・トヴズPFK | 20 | (4) | |||
通算 | 295 | (67) | ||||
代表歴2 | ||||||
1994-2002 | ウクライナ | 17 | (3) | |||
監督歴 | ||||||
2006-現在 | トルペド・モスクワジュニア | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月8日現在。 2. 2007年10月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
セルゲイ・ヴィクトロヴィチ・スカチェンコ(ウクライナ語: Сергі́й Ві́кторович Скаче́нко[1]、1972年11月18日 - )は、ウクライナの元サッカー選手、指導者。元サッカーウクライナ代表選手。
Kリーグ、Jリーグ時代の登録名はスカチェンコ(ハングル: 스카첸코)[2][3]。
来歴
地元クラブのトラクトル・パブロダルでキャリアを始める。メタリスト・ハルキウで初めてプロとして契約し[4]、その後はソ連、ウクライナ、ロシアのクラブを転々とする。1992年ソビエト連邦の崩壊に伴い国籍を選択することになったが、カザフスタン国籍を選ばすプロサッカー選手としてキャリアを始めたウクライナ国籍を選択した[4]。
1994年5月、トルペド・シェペティフカでの活躍を評価され、ウクライナ代表に招集され初キャップ。同年からディナモ・キエフに移籍、ウクライナ・プレミアリーグ優勝に貢献し、UEFAチャンピオンズリーグに出場した。
1995年、ディナモはUEFAチャンピオンズリーグ 1995-96において審判に贈賄した容疑でCLから追放された[5]。この影響により選手の放出が決定し、スカチェンコはウェストハム・ユナイテッドFCへの移籍がほぼ決定していたところへ、安養LGからより良いオファーが来た[4]。
1996年から韓国Kリーグ・安養LGで活躍、1997年全南ドラゴンズでは韓国FAカップ制覇に貢献、同年度Kリーグベスト11に選ばれた[4]。
1998年から2シーズントルペド・モスクワでプレーした[4]。ウクライナ代表にも復帰し、1998年4月のジョージア代表との国際親善試合で代表初得点、同年の欧州選手権予選でも得点を挙げ、この時期が代表キャリアの最盛期となった[4]。
1999年からフランスリーグ・アンのFCメッツに移籍する。2001年には期限付き移籍で3ヶ月間ヌーシャテル・ザマックスに在籍し、その後もトルペド・モスクワ、サンフレッチェ広島と転々とする[4]。広島ではチームにフィットせず活躍の場はほとんどなかった[6]。2002年から再びメッツでプレーする。
その後はスイス、ウクライナ、アゼルバイジャンのクラブでプレー後、2005年に引退。
引退後は古巣トルペド・モスクワでジュニア年代のコーチとして活躍している[4]。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ソビエト連邦 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1989 | トラクトル・パブロダール | 4 | 0 | ||||||||
1990 | 33 | 4 | |||||||||
1991 | メタリスト・ハルキウ | 1部 | 9 | 2 | |||||||
ロシア | リーグ戦 | ロシア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | トルペド・モスクワ | 1部 | 25 | 3 | |||||||
1993 | 5 | 0 | |||||||||
ウクライナ | リーグ戦 | リーグ杯 | ウクライナ杯 | 期間通算 | |||||||
1993-94 | トルペド・シェペティフカ | 1部 | 28 | 13 | |||||||
1994-95 | ディナモ・キエフ | 16 | 3 | ||||||||
1995-96 | 10 | 2 | |||||||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | 安養 | Kリーグ | 39 | 15 | |||||||
1997 | |||||||||||
1997 | 全南 | ||||||||||
ロシア | リーグ戦 | ロシア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | トルペド | 1部 | |||||||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
1999-00 | メッツ | アン | |||||||||
2000-01 | |||||||||||
スイス | リーグ戦 | スイス杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2000-01 | ヌーシャテル | ナショナル | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 広島 | 18 | J1 | 11 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 13 | 2 |
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
2001-02 | メッツ | ドゥ | |||||||||
スイス | リーグ戦 | スイス杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2002-03 | アーラウ | ナショナル | 4 | 0 | |||||||
ウクライナ | リーグ戦 | リーグ杯 | ウクライナ杯 | 期間通算 | |||||||
2003-04 | カルパティ・リヴィウ | 2 | 0 | ||||||||
アゼルバイジャン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2004-05 | トゥラン | 20 | 4 | ||||||||
通算 | ロシア | 1部 | |||||||||
ウクライナ | 1部 | ||||||||||
韓国 | Kリーグ | ||||||||||
フランス | アン | ||||||||||
フランス | ドゥ | ||||||||||
スイス | ナショナル | ||||||||||
日本 | J1 | 11 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 13 | 2 | ||
アゼルバイジャン | 20 | 4 | |||||||||
総通算 |
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 17試合 3得点(1994年-2002年)[7]
ウクライナ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1994 | 4 | 0 |
1995 | 0 | 0 |
1996 | 0 | 0 |
1997 | 0 | 0 |
1998 | 4 | 3 |
1999 | 7 | 0 |
2000 | 0 | 0 |
2001 | 0 | 0 |
2002 | 2 | 0 |
通算 | 17 | 3 |
脚注
- ^ ウクライナ語ラテン翻字: Sergey Viktorovich Skachenko
- ^ “스카첸코”. K League. 2023年11月4日閲覧。
- ^ “スカチェンコ”. J.League. 2023年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “Сергей Скаченко: "Карьера в сборной закончилась с приходом Лобановского"”. ua-football.com (2008年10月3日). 2013年6月6日閲覧。
- ^ “Football: Dynamo Kiev contest ban”. インデペンデント (1995年9月22日). 2013年6月6日閲覧。
- ^ “新外国人選手、明暗分ける”. 中国新聞(Internet Archive) (2001年8月29日). 2002年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月6日閲覧。
- ^ セルゲイ・スカチェンコ - National-Football-Teams.com
関連項目
外部リンク
- セルゲイ・スカチェンコ - National-Football-Teams.com
- セルゲイ・スカチェンコ - Soccerway.com
- セルゲイ・スカチェンコ - FootballDatabase.eu
- セルゲイ・スカチェンコ - WorldFootball.net
- セルゲイ・スカチェンコ - Transfermarkt.comによる選手データ
- セルゲイ・スカチェンコ - UEFA
- セルゲイ・スカチェンコ - J.League Data Siteによる選手データ
- セルゲイ・スカチェンコ - ウクライナサッカー連盟
- セルゲイ・スカチェンコ - K League
- セルゲイ・スカチェンコ - TheFinalBall.com