ニシナ百貨店
種類 | 株式会社 |
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略称 | ニシナ百貨店 |
本社所在地 |
日本 〒712-8011 岡山県倉敷市連島町連島1990番地 |
本店所在地 |
〒712-8058 岡山県倉敷市水島東常盤町10番5号 |
設立 | 1949年(昭和24年)8月1日[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 3260001014350 |
事業内容 | 食品スーパーマーケット業 |
代表者 |
代表取締役会長 仁科省吾 代表取締役副会長 仁科喜佐男 代表取締役社長 仁科正己 |
資本金 | 9,800万円 |
売上高 | 295億円(2021年2月期) |
純利益 | 3934万6000円(2018年2月期)[2] |
総資産 | 95億2424万8000円(2018年02月28日時点)[2] |
従業員数 | 1,779人(2021年3月現在) |
決算期 | 2月末日 |
外部リンク | https://www.nishina.co.jp/ |
ニシナ百貨店(にしなひゃっかてん 登記社名: 株式会社仁科百貨店)は、岡山県南部地域を営業範囲とするスーパーマーケットである。
1986年(昭和61年)3月22日に日本流通産業(ニチリウグループ)に加盟している[3]。
社名に「百貨店」を含んでいるが、中小規模店舗を中心としたこともあり、店舗単位を含めても日本百貨店協会に加盟した経歴がない。
概要
仁科喜惣治が後の倉敷市中畝で[4]1897年(明治30年)に「浜中屋にしな百貨店」として日用雑貨類を販売する[1]雑貨店を開いたのが始まりである[4]。
1930年(昭和5年)に仁科静男が事業を継承し[1]、1949年(昭和24年)8月1日に[1]資本金100万円で「株式会社 仁科百貨店」を設立して法人化した[4]。
1950年(昭和25年)10月21日に「水島百貨店」を吸収合併して[5]、水島に営業所を開設した[4]。
水島銀座と呼ばれていた繁華街の中心部にあった[6] 第2次世界大戦中に天満屋が経営していた木造2階建て・延べ床面積約200坪の店舗を主力店として営業していた[7]。 しかし、1961年(昭和36年)4月9日に衣料品売り場から出火して全焼した[6]。 この火災の後に改築し[8]、、1962年(昭和37年)11月に「仁科百貨店ビル」を建設して大型小売店舗を開店した[9]。
大規模小売店舗法の規制に対応するため[10]、水島地区で食料品と日用雑貨を扱う[8]150坪型をメーンに展開してきた[11]
1986年(昭和61年)3月22日に日本流通産業(ニチリウグループ)に加盟し[3]、同社のプライベートブランドを仕入れて商品の低価格化を図った[12]。
同年11月にはベスト電器のフランチャイズ店「ベスト電器水島店」を開店した[13]。(閉店)
1989年(平成元年)4月26日開店の中島店を皮切りに450坪の新たなフォーマットの店舗の展開を始め[11]、1994年(平成6年)12月に物流センターに併設する形で精肉や鮮魚などの加工を行うプロセスセンターを開設した[14]。
1995年(平成7年)8月9日開店の西大寺店からはスーパーとドラッグストアの特徴を併せ持つ新たなフォーマットの店舗の展開を進めるようになった[10]。
2000年代以降は新たな店舗ブランド「フードバスケット」での新規出店を進め、従来の「ニシナ」店舗も改装に合わせてフードバスケットへのリブランドを順次進めていった。
2022年3月9日、ニシナフードバスケット中畝店が岡山県倉敷市内一部の地域を対象にネットスーパーサービスを開始した。[15]
2024年2月18日、約26年間フランチャイズ契約していたTSUTAYA水島店が閉店。
店内ではオリジナルの店内ソングが流れ、アナウンスは元山陽放送アナウンサーの浜家輝雄が担当している。[要出典]
店舗
ニシナ
かつて存在した店舗
- (株)仁科電化センター(倉敷市水島東常磐町7-19[19]
- 家庭電化製品[19]
- 津高店(1980年(昭和55年)3月開店[20])
- 北畝店(倉敷市北畝[21]、1978年(昭和53年)開店[8]、売場面積約495m2[21])
- 茶屋町店(倉敷市茶屋町[21]、売場面積約400m2[21])
- 笹沖店(倉敷市笹沖[21]、売場面積約1,434m2[21])
- 花の街店(倉敷市宮前[21]、売場面積約1,462m2[21])
- 西の浦店(倉敷市連島町西の浦[21]、売場面積約2,010m2[21])
- 常盤店(倉敷市常盤町[21]、売場面積約779m2[21])
- (2代目)真備店(倉敷市真備町川辺2000-5[23]、鉄筋コンクリート造一部鉄骨造り2階建て[24]・延べ床面積4,349m2[23]、売場面積3,353m2[23])が1995年(平成7年)11月に開店した>[23]。
- 鉄骨造り平屋建ての店舗だった[25]。
事業所
- 本部 - 倉敷市連島町連島1990
- 物流センター - 倉敷市連島町連島1990
- ニシナドライセンター - 倉敷市片島町980-2
脚注
- ^ a b c d 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 信用交換所大阪本社、1967年9月15日。pp2566-2567
- ^ a b 株式会社仁科百貨店 第69期決算公告
- ^ a b “流通経済日誌”. 流通情報 1986年6月号 (流通経済研究所) (1986年6月).pp35
- ^ a b c d 『日本纖維商社銘鑑 昭和34年版』 東京信用交換所、1959年9月15日。pp1210
- ^ “商業登記”. 官報 第7143号 (大蔵省印刷局) (1950年10月31日).pp488
- ^ a b 『山陽年鑑 昭和37年版』 山陽新聞社、1961年10月1日。pp80
- ^ 『全国百貨店専門店会商店会取引業者総覧 昭和32年版』 デパート新聞社、1957年3月15日。pp442-443
- ^ a b c 結城義晴 “(4)ニシナ百貨店(岡山) 水島工業地帯の繁栄とともに成長し、今、内的充実にそのレーゾンデートルをかける”. 食品商業 1992年11月号 (商業界) (1992年11月).pp168-171
- ^ a b 岡山県史編纂委員会 『岡山県史 第14巻 現代2』 岡山県、1990年3月31日。pp667
- ^ a b “ニシナ西大寺店(岡山市、556坪、15億円) SM+ドラッグの競争力強化型店舗に隠された新たな出店戦略”. 食品商業 1997年12月号 (商業界) (1997年12月).pp84-87
- ^ a b “ニシナ中島店(1531m²、11・7億円) 小商圏・高占拠率・低投資の新450坪型第1号店”. 食品商業 1992年11月号 (商業界) (1992年11月).pp40-41
- ^ 上宮田真一 “低価格化現象と岡山県下小売業の対応”. 岡山経済 1995年2月号 (岡山経済研究所) (1995年2月1日).pp47
- ^ “経済日誌”. 九州経済統計月報 1986年1月号 (九州経済調査協会) (1986年1月).pp47
- ^ 上宮田真一 “低価格化現象と岡山県下小売業の対応”. 岡山経済 1995年2月号 (岡山経済研究所) (1995年2月1日).pp49
- ^ http://blog.livedoor.jp/takejiro_s/archives/65894174.html
- ^ 『昭和43年度 新流通政策』 富士経済、1968年7月。pp340
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp223
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp484
- ^ a b 『山陽年鑑 1969年版』 山陽新聞社、1968年10月1日。pp435
- ^ a b “レディスウェア100億消費市場全国21都市(その9)岡山市・広島市”. ヤノニュース 1984年11月25日号 (矢野経済研究所) (1984年11月25日).pp46
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング(No.5)”. ヤノニュース 1980年6月25日号 (矢野経済研究所) (1980年6月25日).pp59
- ^ a b “大規模小売店舗立地法(平成十年法律第九十一号)第六条第五項の規定により、次のとおり大規模小売店舗の廃止の届出があった。”. 岡山県 (2008年1月22日). 2023年9月20日閲覧。
- ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2005年版』 東洋経済新報社、2005年。pp1474
- ^ “大型店届出情報”. ショッピングセンター 1995年10月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年10月1日).pp75
- ^ a b c 鯵坂学 『第三次全国総合開発計画における定住圏構想 岡山県津山モデル定住圏を事例として』 岡山大学産業経営研究会研究報告書 第15集 (岡山大学産業経営研究会) (1981年5月)。pp36