山内氏篤
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保9年2月7日(1724年3月2日) |
死没 | 天明7年6月4日(1787年7月18日) |
改名 | 千之助(幼名)→氏篤 |
別名 | 通称:源蔵 |
主君 | 山内豊敷→豊雍 |
藩 | 土佐藩 |
氏族 | 宿毛山内家 |
父母 | 父:山内晴氏、養父:山内郷俊 |
妻 | 正室:山内弘芳養女 |
子 |
氏益、房(山内保氏正室) 養子:保氏(深尾苞実三男) |
山内 氏篤(やまうち うじあつ)は、江戸時代中期の土佐藩の重臣。7代宿毛領主。
略歴
享保9年(1724年)、土佐藩奉行職、5代宿毛領主山内晴氏の長男として高知にて誕生した。同年9月に父が急死し、まだ幼児のため、叔父・郷俊が家督を相続、その養嗣子となった。
寛延元年(1748年)、郷俊が蟄居を命じられ隠居することとなり、家督と知行6800石を相続し、宿毛7代領主となる。宝暦5年(1755年)、8代藩主・山内豊敷より奉行職に任じられる。宝暦12年(1762年)、宿毛領内に琉球の船が漂着し、藩命で取扱いを命じらる。幕府との交渉の末、薩摩藩に船を引き渡す。明和9年(1772年)、嫡男の氏益が病死する。安永2年(1774年)、深尾苞実の三男・保氏を婿養子とする。
天明元年(1781年)、病のため職を辞す。天明6年(1786年)、隠居して家督を保氏に譲る。天明7年(1787年)、死去。享年64。
系譜
出典
- 宿毛市史編纂委員会「宿毛市史」
- 東京大学史料編纂所「土佐国羣書類従」