文石小麻呂
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あやし の おまろ 文石 小麻呂 | |
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生誕 |
生年不詳 日本 播磨国御井隈 |
死没 |
雄略天皇13年(469年)8月 日本 播磨国御井隈 |
時代 | 古墳時代 |
活動拠点 | 日本 播磨国御井隈 |
罪名 |
交通妨害 金品強奪 租税不納 |
刑罰 | 死罪 |
犯罪者現況 | 雄略天皇13年(469年)8月、播磨国御井隈にて死罪執行。 |
文石 小麻呂(あやし の おまろ、生年不詳 - 雄略天皇13年〈469年〉8月)は、『日本書紀』にみえる豪族[1]。播磨国御井隈[2]の人物。
概要
力持ちで傍若無人、仮面と獣皮をまとい、道路の通行を妨げ、商人の船を指し止め品物を奪い(海賊行為)、また国に租税も収めなかった。
雄略天皇は小野大樹を遣わし100人の兵士を率いさせ、文石小麻呂の家を囲み
《雄略天皇十三年(己酉四六九五)八月》秋八月。播磨国御井隈人文石小麻呂、有力強心。肆行暴虐。路中抄劫不使通行。又断商客〓[舟+差]〓[舟+付]。悉以奪取。兼違国法。不輸租賦。於是。天皇遣春日小野臣大樹、領敢死士一百。並持火炬。囲宅而焼。時自火炎中、白狗暴出。逐大樹臣。其大如馬。大樹臣神色不変。抜刀斬之。即化為文石小麻呂。 — 日本書紀・巻第十四「雄略紀」
出典
- ^ 『文石小麻呂』 - コトバンク
- ^ 小丸山の場所について