1891年の映画
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1891年の映画(1891ねんのえいが)では、1891年(明治24年)の映画分野の動向を展望し、発表されたおもな映画作品や、映画関係者の誕生についてまとめる。
出来事
→「1891年 § できごと」も参照
- トーマス・エジソンの下で動く映像装置の技術開発に当たっていたウィリアム・K・L・ディクソンが、ストリップ式のキネトグラフを開発した。これはパーフォレーションが施された3/4インチのフィルムを用いたもので、今日までのフィルムと同じ縦送りではなく、水平方向にコマ送りするものだった[1][2]。1891年春までにディクソンはウィリアム・ハイセとともに、この装置を使用して複数のフィルムを撮影した[1]。
- 5月20日 - エジソンはアメリカのニュージャージー州ウェストオレンジにあるエジソン研究所で、訪問してきた女性クラブ連盟のメンバーたちに、横送り式のプロトタイプのキネトスコープを公開した。この時上映された作品は『ディクソンの挨拶』である[1][2]。
- 7月27日 - フランスのジョルジュ・ドゥメニーが開発した動画装置フォノスコープが科学アカデミーで発表された[3]。
- 8月24日 - エジソンはキネトスコープとキネトグラフに関する3件の特許を申請した。そのうちキネトスコープに関する特許である「運動する被写体の写真を見せる装置(Apparatus for Exhibiting Photographs of Moving Objects)」は1893年3月14日に交付され、キネトグラフに関する特許である「キネトグラフ・カメラ(Kinetographic Camera)」は1897年8月31日に交付された[4]。
作品
- 『ディクソンの挨拶 (Dickson Greeting』ウィリアム・K・L・ディクソン出演、監督。
- 『Duncan and Another, Blacksmith Shop』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督、ジェームズ・C・ダンカン (James C. Duncan) 出演。
- 『Duncan Smoking』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督、ジェームズ・C・ダンカン出演。
- 『Duncan or Devonald with Muslin Cloud』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督、フレッド・C・デヴォナルド (Fred C. Devonald) 、ジェームズ・C・ダンカン出演。
- 『Men Boxing』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督。
- 『Monkey and Another, Boxing』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督。
- 『ニューアーク・アスリート (Newark Athlete)』、ウィリアム・K・L・ディクソン監督。
- 『Je vous aime』、ジョルジュ・ドゥメニー出演、監督。
- 『La vague』、エティエンヌ=ジュール・マレー監督。
- 『Two Fencers』、エティエンヌ=ジュール・マレー監督。
誕生
- 1月15日 - アルネ・ウィール、デンマークの俳優、映画監督(+1975年)
- 2月7日 - アン・リトル、アメリカ合衆国の女優(+1984年)
- 2月9日 - ロナルド・コールマン、アメリカ合衆国の俳優(+1958年)
- 2月18日 - エドワード・アーノルド、アメリカ合衆国の俳優(+1956年)
- 2月26日 - アラン・ブリッジ、アメリカ合衆国の俳優(+1957年)
- 3月6日 - ヴィクター・キリアン、アメリカ合衆国の俳優(+1979年)
- 3月6日 - リンダ・カランタ、アメリカ合衆国の女優(+1928年)
- 3月10日 - サム・ジャッフェ、アメリカ合衆国の俳優(+1984年)
- 3月11日 - ガートルート・ヴォレ、ドイツの女優(+1952年)
- 3月31日 - ヴィクター・ヴァルコニ、ハンガリーの俳優(+1976年)
- 4月2日 - ジャック・ブキャナン、スコットランドの映画監督、脚本家、俳優(+1957年)
- 4月10日 - ティム・マッコイ、アメリカ合衆国の俳優、兵士(+1978年)
- 4月15日 - ウォーレス・リード、アメリカ合衆国の俳優(+1923年)
- 4月27日 - セルゲイ・プロコフィエフ、ロシアの作曲家(+1953年)
- 5月13日 - フリッツ・ラスプ、ドイツの俳優(+1976年)
- 6月24日 - フィリップ・リシャール、フランスの俳優(+1973年)
- 7月18日 - ジーン・ロックハート、カナダの俳優(+1957年)
- 7月23日 - ハリー・コーン、アメリカ合衆国の実業家、CBS Sales Association(コロムビア映画)の共同創設者(+1958年)
- 7月28日 - ジョー・E・ブラウン、アメリカ合衆国の俳優、コメディアン(+1973年)
- 7月28日 - リチャード・"スキーツ" ・ギャラガー、アメリカ合衆国の俳優(+1955年)
- 8月4日 - マカイ・マルギット、ハンガリーの女優(+1989年)
- 8月11日 - ヘレン・ブロデリック、アメリカ合衆国の女優(+1959年)
- 8月28日 - スタンリー・アンドリュース、アメリカ合衆国の俳優(+1969年)
- 11月10日 - フィリップ・セイントン、フランスの作曲家(+1967年)
- 11月20日 - レジナルド・デニー、イギリスの俳優(+1967年)
- 11月24日 - ヴァシル・ゲンドフ、ブルガリアの俳優、映画監督、脚本家(+1970年)
脚注
- ^ a b c チャールズ・マッサー 著、藤田純一 訳「映画の始まり トーマス・A・エジソンとキネトグラフによる動く写真」『エジソンと映画の時代』岩本憲児(編・監訳)、森話社、2015年4月、22頁。ISBN 978-4864050777。
- ^ a b Eagan, Daniel (2011-11-24). America's Film Legacy, 2009-2010. Bloomsbury Publishing USA,. "... Edison hired William Heise, who had experience with similar machines, to assist Dickson. They built a horizontal-feed camera that exposed images on a 3/4-inch film strip. Small perforations helped move the film through the mechanism. / The first examples were viewed through a peephole device Edison would market as the "Kinetoscope." Edison showed what later become known as Dickson Greeting to members of the Federation of Women'S Club on May 20, 1891." - Google books
- ^ 増田展大『科学者の網膜 身体をめぐる映像技術論:1880‐1910』青弓社〈視覚文化叢書〉、2017年3月、107頁。ISBN 978-4787273987。
- ^ 藤田純一「エディスンのキネトスコープ/キネトグラフ開発過程の一次資料に基づく研究 エディスンが映画に求めたもの」、日本大学、2014年3月、NAID 500000915566。
外部リンク
- 1891 Archived 2009-02-19 at the Wayback Machine. at the Internet Movie Database