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アダマストル (非防護巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竣工時の「アダマストル」
艦歴
発注 オルランド社リヴォルノ造船所
起工 1895年1月1日
進水 1896年7月12日
就役 1898年
退役
その後
除籍 1933年1月
前級 サオ・ガブリエル級
次級 レイナ・ドナ・アメリア級
性能諸元
排水量 満載:1,729トン
全長 74.0m
-m(水線長)
全幅 10.72m
吃水 4.65m
機関 形式不明石炭専焼缶4基
+三段膨張型レシプロ機関2基2軸推進
最大出力 4,000hp
最大速力 18.0ノット
航続距離 10ノット/5,400海里
燃料 石炭:420トン(満載)
乗員 237名
兵装 アンサルド 1895年型 15.2cm(30口径)単装砲2基
クルップ 1895年型 10.5cm(40口径)単装砲4基
カネー 6.5cm(-口径)単装砲4基
オチキス4.7cm(43口径)単装機砲8基
オチキス 3.7cm(23口径)5連装回転式機砲2基
45.7cm水中魚雷発射管単装3基
装甲 甲板:0mm(主甲板)

アダマストル (Cruzador português Adamastor) は、ポルトガル海軍非防護巡洋艦[1]。同型艦はない。本艦は防御装甲を持たない巡洋艦であった。

概要

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本艦はポルトガル国王カルロス1世による海軍拡張計画の一環としてイタリアに発注された艦である。設計と建造はオルランド社、リヴォルノ造船所で建造された。

艦形

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写真はリスボン博物館のアダマストルの模型

本級の船体形状は平甲板型船体で、水面下に衝角を持つ艦首から前部甲板上に主砲として「アンサルド 1895年型 15.2cm(30口径)砲」を防盾の付いた単装砲架で前向きに1基を配置した。の後ろに頂上部に見張り所を、中部に探照灯台を持つ単脚式のマスト1基の後ろに司令塔を下部に組み込み、船橋を両側に持つ箱型の操舵艦橋が立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が1番煙突の前側に並列で2本、1番・2番煙突の間に並列で2本が立てられた。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、その後ろは前部マストと同じ様式の後部単脚マスト、後ろ向きに15.2cm単装塔1基を配置した。副砲の「クルップ 1895年型 10.5cm(40口径)砲」は前後のマストの側面部の舷側に張り出しを設けて防盾付きの単装砲架で片舷2基ずつ計4基が配置された。この武装配置により前後方向に最大で15.2cm砲1門、10.5cm砲2門、左右方向に15.2cm砲2門、10.5cm砲2門が指向出来た。

艦歴

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ポルトガル領アンゴラモザンビークを陸路で結ぶことをイギリスにより妨げられ屈辱を受けたことで、ポルトガルの栄誉を回復させるため集まった国民からの寄付金によりアダマストルは建造された[2]。1895年1月に起工、1896年7月に進水し、1897年8月に竣工した[3]

1897年、装甲艦ヴァスコ・ダ・ガマやスペインの艦艇とともにモロッコ沿岸へ派遣され海賊狩りを行った。1908年ごろにはポルトガル領ティモールオランダ領東インドを訪れている[4]

1910年10月5日革命ではポルトガル海軍は重要な役割を果たした。3隻の巡洋艦の乗組員も革命を支持し、アダマストルは巡洋艦サン・ラファエルとともに王宮に対して砲撃を行った[2]

第一次世界大戦時の本艦は連合国の輸送船団の護衛任務や本国沿岸部の哨戒任務に従事した。大戦後はポルトガル極東艦隊に「ヴァスコ・ダ・ガマ」と共にマカオに駐留した。 また、1929年10月に座礁したが[5]、浮揚され復帰した[6]

1930年11月上旬、大日本帝国高松宮宣仁親王昭和天皇弟宮)と宣仁親王妃喜久子がポルトガルを非公式に訪問した[注釈 1]。その答礼のため[8]フィリピンから日本に派遣される[9]。 12月16日、アダマストルは横浜港に到着する[注釈 2]。12月18日、Silva Nogueira艦長と本艦副長は昭和天皇に拝謁した[11]

1932年に第一次上海事変が起きた際、上海租界におけるポルトガル居留民保護のために上海まで海軍陸戦隊を輸送した。

1933年に退役した[3]

出典

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注釈

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  1. ^ 高松宮兩殿下 ポルトガルに御到着[7]【リスボン(ポルトガル)九日】高松宮兩殿下には七日夜スペインの首都マドリードを發して當地附近の避寒地たるエストリルに八日朝御到着遊ばされた。ポルトガル國首相オリビラ将軍を始めとして多數の貴顕紳士の出迎をうけさせられた、非公式の御訪問故軍隊は奉迎しなかつた(記事おわり)
  2. ^ ポルトガル答禮艦 横濱入港[10]【横濱十六日】高松宮殿下のポルトガル御訪問の答禮の爲め巡洋艦アダアスター號はマカオからけふ入港と(記事おわり)

脚注

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  1. ^ Conway's All the World's Fighting Ships 1860-1905, p. 378
  2. ^ a b Love (2012), p. 26–27
  3. ^ a b Gogin, Ivan (2014). ADAMASTOR unprotected cruiser (1897). Navypedia. Retrieved 22 July 2017.
  4. ^ The Portuguese unprotected cruiser Adamastor 1896-1933 in Dutch newspapers. Warship Research. Published 13 September 2011. Retrieved 22 July 2017.
  5. ^ "Casualty reports". The Times (英語). No. 45327. London. 7 October 1929. col E, p. 21.
  6. ^ "Casualty reports". The Times (英語). No. 45328. London. 8 October 1929. col G, p. 26.
  7. ^ Shin Sekai 1930.11.10、新世界/tnw_19301110(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21021722200  p.1
  8. ^ #アダマストール艦長叙勲 p.2
  9. ^ 昭和5年12月19日(金)官報第1194号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ7(原本535)◎謁見
  10. ^ Shin Sekai 1930.12.17、新世界/tnw_19301217(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21021729600  p.1
  11. ^ 「外務省報第二百十八号(昭和六年一月一日)/宮廷記事」、外務省報 第十六巻(外・報16)(外務省外交史料館)」 アジア歴史資料センター Ref.B13091624200  p.1〔 ○宮廷記事 〕

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『「ポルトガル国軍艦アダマストール艦長海軍大佐ジョアン、カルロス、ダ、シルバ、ノゲイラ外一名叙勲ノ件」、叙勲裁可書・昭和五年・叙勲巻七・外国人(国立公文書館)』。Ref.A10113083000。 
    • 『「昭和6年1月21日 「アダマストール」艦長に東郷元帥の写真贈呈に関する件」、本邦駐箚 大公使館附武官往復文書(5止 支那 智利 亜国 墨国其の他各国)昭和6年(防衛省防衛研究所)』。Ref.C11080556300。 

関連項目

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外部リンク

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