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アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー
عبد ربه منصور هادي

アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー(2013年7月)

任期 2012年2月27日[注 1]2022年4月7日
首相 アリー・ムハンマド・ムジャッワル
ムハンマド・サーレム・バーシンドワ
ハーリド・バハーハ英語版
アハマド・オベイド・ビン・ダグル英語版

イエメンの旗 イエメン
大統領代行
任期 2011年6月4日9月23日
元首 アリー・アブドッラー・サーレハ

イエメンの旗 イエメン
副大統領
任期 1994年10月3日2012年2月25日

イエメンの旗 イエメン
国防大臣
任期 1994年5月29日10月3日

出生 (1945-09-01) 1945年9月1日(79歳)
アデン保護領アビヤン県
政党 国民全体会議
宗教 イスラム教

アブド・ラッボ・マンスール・ハーディーアラビア語: عبد ربه منصور هادي, ラテン文字転写: Abd Rabbuh Mansur Hadi1945年[1]9月1日[2] - )は、イエメン軍人政治家。2012年より同国大統領を務めたが、反政府勢力フーシとの内戦に突入し事実上の二重政府状態となり、2022年4月7日に大統領指導評議会に自らの持つ全権限を移譲し自らは大統領を退任した。副大統領、国防大臣などの要職を歴任した。軍における階級は少将。名前はAbd Rabu Mansur HadiAbd Rabbah Mansour HadiAbdurabu Mansour Hadiと様々に綴られる。

経歴

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1945年、アビヤン県に生まれる[1]。1970年に南イエメン軍に入隊し、4年間ソビエト連邦で軍事指揮を学ぶ。1980年代にはイエメン社会党の指導者で当時の南イエメン大統領アリ・ナセル・ムハンマド英語版の側近であり、彼が国内の権力闘争に敗れて北イエメンに逃れた際も行動を伴にしている。1990年代前半に少将となった。

政治家として

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1994年5月より国防大臣を務める。イエメン内戦において南側のアリー・サーレム・アル=ビード英語版副大統領が敗北し、サーレハが後任としてハーディーを指名、1994年10月3日に就任した。

2011年イエメン騒乱において大統領府内のモスクで起こった爆発でアリー・アブドッラー・サーレハ大統領が負傷し、サウジアラビアにおいて治療を受けている間の2011年6月4日から9月23日まで大統領代行を務めた[3]。その後、サーレハが11月23日に刑事訴追の免除と身の安全が保障されることを条件に[4]大統領権限をハーディーへ30日以内に移譲する調停案に署名した[5]ことから、12月23日より暫定政権を率いている[6]。12月10日には挙国一致内閣が発足し[7][8]、2012年2月21日に行われた大統領選挙(任期は2年間)にはハーディーただ一人が立候補。99.8%の得票を得て当選し、25日に就任の宣誓を行った[9][10]

ところがその後ハーディーと対立したサーレハ前大統領が、北部を拠点とするザイド派民兵組織フーシと連携。フーシが首都を制圧し、軟禁状態となり、事実上フーシの傀儡と化していた。そして2015年1月22日、新憲法の内容を巡り政府と対立していたフーシが大統領官邸や国営放送局を占拠したことを受けて、政権運営が行き詰まったことを理由に大統領の辞職を表明[11][12]したものの、2月6日にフーシが政権掌握を宣言し、議会を強制的に解散したため、大統領の辞任に必要な議会の承認を得られずハーディーの辞意は宙に浮く形となった[13]。同時にムハンマド・アリ・アル・フーシが革命委員会委員長となり、暫定統治開始を宣言した[14]が、2月21日になってハーディーは辞意を撤回し、国際社会に対してもフーシによるクーデターを承認しないよう求めた[13][15]

同月、ハーディーは、暫定首都と定めたアデンに逃れたが、3月末にはフーシがアデンに迫ったことを受け、アデン港からボートリヤドに脱出した。フーシ派テレビ局によると2000万イエメン・リアル報奨金が掛けられているという[16][17]

3月26日から、ハーディーを支持するサウジアラビア主導のスンニ派諸国連合軍が、ハーディーから軍事介入への要請があったとしてイエメンに空爆を開始した。背景にはフーシを支援しているとみられるイランへの警戒があるとされ、連合軍にはアラブ首長国連邦クウェートバーレーンカタールヨルダンモロッコスーダンエジプトセネガルパキスタンなどが参加したほか、アメリカ軍後方支援などを行ったとされる。3月28日からエジプトで開かれたアラブ連盟首脳会議には、ハーディーが大統領として参加した[18]

2015年7月14日にはハーディー派がアデン国際空港を奪還し[19]、9月には亡命先からアデンへ戻ったものの、首都サヌアはフーシの統治下にある[20]

その後も首都サヌアを支配下に置くフーシとの戦いは続き、停戦合意し発効しては破られるという状況が続く。2022年4月1日にラマダーンに合わせ2カ月間の停戦合意が発効し[21]、サウジアラビアの首都リヤドで開催されていた和平交渉の最終日である4月7日にハーディーはアリー・ムフシン・アル=アフマル英語版副大統領を解任し、自身も権限をラシャード・アル=アリーミー元内務大臣が率いる大統領指導評議会に移譲する意向を表明した。サウジアラビアは支持を表明し、評議会に対しフーシに対する和平交渉を開始するよう要請した[22][23]。ただし実際にはサウジアラビア当局がハーディーに対して汚職を暴露するなどといった脅迫を行って権限委譲を強要し、以降ハーディーはリヤドの自宅に軟禁され、電話も通じないと報じられている(サウジアラビア当局は否定)[24]

脚注

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  1. ^ 2015年2月6日以降、反政府勢力が政権を掌握したが、ハーディーは同年1月22日の辞意表明を2月21日に撤回し、論争が続いている。

参考文献

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  1. ^ a b Yemen's New Acting President: Abd Rabu Who? Waq Al-Waq, Big Think, June 5 2011
  2. ^ “الرئيس اليمني عبد ربه منصور هادي”. The Nation Arab American News Network. http://www.thenationpress.net/news.php?lid=1&cat=229&newsid=23485 2012年12月4日閲覧。 
  3. ^ “イエメン大統領、サウジアラビアの病院へ搬送”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年6月5日). https://www.afpbb.com/articles/-/2804001?pid=7301248 2011年12月25日閲覧。 
  4. ^ “サレハ大統領の訴追免除にデモ隊が抗議―イエメン”. wsj.com (ウォール・ストリート・ジャーナル). (2011年11月25日). http://jp.wsj.com/World/Europe/node_350003 2011年12月25日閲覧。 
  5. ^ “イエメン大統領、退陣へ 権限移譲の調停案に署名”. 朝日新聞. (2011年11月24日). http://www.asahi.com/international/update/1124/TKY201111230580.html 2011年12月25日閲覧。 
  6. ^ “イエメン:デモ隊、大統領の訴追を要求-訪米の意向表明受け”. bloomberg.co.jp (ブルームバーグ). (2011年12月26日). http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LWSF4S0D9L3501.html 2011年12月27日閲覧。 
  7. ^ イエメン新内閣発足について”. 外務省. 2011年12月25日閲覧。
  8. ^ “イエメンが挙国一致内閣を発表、首都でなお衝突も”. ロイター (ロイター). (2011年12月8日). https://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE7B703320111208 2011年12月25日閲覧。 
  9. ^ “イエメン新大統領が就任宣誓、サレハ政権に幕”. 読売新聞. (2012年2月25日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120225-OYT1T00564.htm 2012年2月25日閲覧。 
  10. ^ “ハディ氏得票率99.8% イエメン暫定大統領に当選”. 朝日新聞. (2012年2月25日). http://www.asahi.com/international/update/0225/TKY201202250324.html 2012年2月25日閲覧。 
  11. ^ “イエメン大統領が辞意、内閣総辞職”. CNN.co.jp (CNN). (2015年1月23日). https://www.cnn.co.jp/world/35059390.html 2015年3月7日閲覧。 
  12. ^ “イエメン暫定大統領が辞意 混乱に拍車”. 日本経済新聞. (2015年1月23日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM23H22_T20C15A1EAF000/ 2015年3月7日閲覧。 
  13. ^ a b “イエメン:大統領が辞意撤回 南北対立激化の恐れ”. 毎日新聞. (2015年2月22日). http://mainichi.jp/select/news/20150223k0000m030071000c.html 2015年3月7日閲覧。 
  14. ^ “イエメン反政府民兵、政権掌握を宣言 ハディ政権崩壊”. 産経新聞. (2015年2月7日). https://web.archive.org/web/20150208100247/http://www.sankei.com/world/news/150207/wor1502070006-n1.html 2015年3月7日閲覧。 
  15. ^ “クーデターを拒絶=ハディ大統領が辞意撤回-イエメン”. 時事通信. (2015年2月21日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201502/2015022200017&g=int 2015年3月7日閲覧。 
  16. ^ 「イエメン大統領、反体制派の迫るアデンを脱出」
  17. ^ 「イエメン空爆終了宣言、国家再建の道険しく」 日本経済新聞 2015/04/22
  18. ^ 「サウジ主導のイエメン空爆続く ハディ大統領はエジプト入り」 CNN 2015/03/28
  19. ^ “イエメン暫定大統領派、国際空港を奪還 初の大きな戦果”. AFPBB News (フランス通信社). (2015年7月15日). https://www.afpbb.com/articles/-/3054553 2015年9月27日閲覧。 
  20. ^ “南部アデンに帰還=亡命先サウジから半年ぶり-イエメン大統領”. 時事通信. (2015年9月22日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201509/2015092200491&g=int 2015年9月27日閲覧。 
  21. ^ “イエメン内戦2カ月の停戦合意 国連仲介、実効性焦点に”. 日本経済新聞. (2022年4月4日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR034CP0T00C22A4000000/ 2022年4月8日閲覧。 
  22. ^ “イエメン大統領、新評議会へ権限移譲 サウジ歓迎、和平交渉促す”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2022年4月7日). https://web.archive.org/web/20220407093037/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022040701010&g=int 2022年4月7日閲覧。 
  23. ^ “Yemen president hands powers to new leadership council”. Al Jazeera English. アルジャジーラ. (2022年4月7日). https://www.aljazeera.com/news/2022/4/7/yemen-president-transfers-powers-saudi-calls-for-houthis-talks 2022年4月7日閲覧。 
  24. ^ “Saudi Arabia forced Yemen's president to resign, says report”. ミドル・イースト・アイ. (2022年4月18日). https://www.middleeasteye.net/news/saudi-arabia-forced-yemen-president-hadi-resign 2024年1月15日閲覧。 
公職
先代
アリー・アブドッラー・サーレハ
アリー・アブドッラー・サーレハ
イエメンの旗 イエメン共和国大統領
(代行)2011年
第2代:2012年 - 2022年
次代
アリー・アブドッラー・サーレハ
ラシャード・アル=アリーミー
先代
アリー・サーレム・アル=ビード英語版
イエメンの旗 イエメン共和国副大統領英語版
1994年 - 2012年
次代
ハーリド・バハーハ英語版
先代
ハイダル・アブー・バクル・アル=アッタース英語版
イエメンの旗 イエメン共和国国防大臣
1994年
次代
ムハンマド・ナーセル・アフマド・アリー