コンテンツにスキップ

オレグ・イングヴァレヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オレグ・イングヴァレヴィチ
Олег Ингваревич
リャザン大公
モンゴルの使者に会いに行くオレグ・イングヴァレヴィチ
在位 1252年 - 1258年

死去 1258年3月
子女 ロマン
家名 リューリク家
父親 リャザン公イングヴァリ
テンプレートを表示

オレグ・イングヴァレヴィチロシア語: Олег Ингваревич、? - 1258年3月)は、リャザン公イングヴァリ(ru)の子である。兄弟にコロムナ公ロマン・イングヴァレヴィチリャザン大公:1252年 - 1258年[1]。通称クラスヌィー(赤毛の、真紅の)。

モンゴルのルーシ侵攻中の1237年12月にモンゴル帝国軍の捕虜となり、1252年に解放されてリャザン大公となった。1258年、死期を悟ったオレグはスヒマ(ru)となり、コジマという名を得た。大公位を息子のロマン(ru)に譲り、1258年3月に死去した。

リャザンでは地元の聖人[注 1][訳語疑問点] として敬意を集めている。

脚注

[編集]

注釈

  1. ^ 「地元の聖人」はロシア語: Местночтимый святойの直訳による。詳しくはru:Местночтимые святыеを参照されたし。

出典

  1. ^ RUSSIA, RURIKID

参考文献

[編集]
  • Андреев А., Корсакова В. Рязанские князья // Русский биографический словарь : в 25 томах. — СПб.—М., 1896—1918.