セルヒオ・ゴイコチェア
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2011年のゴイコチェア | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
セルヒオ・ハビエル・ゴイコチェア Sergio Javier Goycochea | |||||
愛称 |
エル・バスコ (El Vasco)[1] ゴイコ (Goyco)[2]ファチャ(色男)[3] | |||||
ラテン文字 | Sergio Goycochea | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1963年10月17日(61歳) | |||||
出身地 | サラテ | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 81kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1982 | デフェンソーレス | |||||
1982-1988 | リーベル・プレート | 58 | (0) | |||
1988-1990 | ミジョナリオス | 39 | (0) | |||
1991 | ラシン・クルブ | 35 | (0) | |||
1992 | フランスの旗 スタッド・ブレスト29 | 11 | (0) | |||
1993 | セロ・ポルテーニョ | |||||
1993 | オリンピア | |||||
1993-1994 | リーベル・プレート | 16 | (0) | |||
1994-1995 | マンディーユ | 30 | (0) | |||
1995-1996 | インテルナシオナル | 22 | (0) | |||
1996-1997 | ベレス | 2 | (0) | |||
1997-1998 | ニューウェルズ | 13 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1981 | アルゼンチン ユース | 3 | (0) | |||
1987-1994[4] | アルゼンチン | 44 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
セルヒオ・ゴイコチェア(Sergio Goycochea、1963年10月17日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。選手時代はPKストップの名手として知られた[1]。
経歴
[編集]リーベル時代にはプンピードの控えながら[3]、リベルタドーレス・カップ、トヨタカップなどで優勝を果たした。
1990年にイタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは、グループリーグのソビエト連邦代表戦で正GKのネリー・プンピードが負傷するとレギュラーの座を掴んだ[5]。当初は不安定な守備を見せていたが[6]、準々決勝のユーゴスラビア代表戦、準決勝のイタリア代表戦と二度のPK戦において好守備を見せて、アルゼンチンの決勝進出に貢献した[5]。
1991年にはFIFA選抜チームに選ばれ、同年10月8日にドイツ・ミュンヘンで開催されたユニセフ・チャリティマッチのドイツ代表戦に出場した[7]。
その後もアルゼンチン代表の正キーパーとしてコパ・アメリカ1991、コパ・アメリカ1993連覇に貢献し、大会MVPい輝いた。1993年9月5日に行われた1994 FIFAワールドカップ・南米予選のコロンビア代表戦では5失点を喫した[2][8]。1994年にアメリカ合衆国で開催された本大会ではルイス・イスラスが全試合にスタメン出場したため、メンバー入りするも出場機会はなかった。
1998年に現役を引退後、アルゼンチンでサッカーを中心にスポーツジャーナリストとして活動している[9][10]。
人物
[編集]ゴイコチェアは選手時代、PK戦において強さを発揮していたが、「直前にピッチで小便をする」というゲン担ぎをしていた[11]。これは1990 FIFAワールドカップ準々決勝のユーゴスラビア代表戦においてPK戦に突入したため、競技場のトイレに行くことができず、仕方なくピッチ脇で用を足したところ勝利したことが由来となっている[11]。
代表歴
[編集]- 1987年 - 1994年 アルゼンチン代表
- 1987年 - コパ・アメリカ(4位)
- 1990年 - FIFAワールドカップ(準優勝)
- 1991年 - コパ・アメリカ(優勝)
- 1992年 - キング・ファハド・カップ(優勝)
- 1993年 - コパ・アメリカ(優勝、大会MVP)
- 1994年 - FIFAワールドカップ(出場無し)
試合数
[編集]- 出典[4]
アルゼンチン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1987 | 1 | 0 |
1988 | 0 | 0 |
1989 | 0 | 0 |
1990 | 7 | 0 |
1991 | 13 | 0 |
1992 | 4 | 0 |
1993 | 16 | 0 |
1994 | 3 | 0 |
通算 | 44 | 0 |
脚注
[編集]- ^ a b “Meet the penalty killers”. FIFA.com (2012年2月17日). 2017年10月13日閲覧。
- ^ a b “Habló Goyco luego de que lo filmaran casi a las piñas en la calle”. muy.clarin.com (2016年7月28日). 2017年10月13日閲覧。
- ^ a b トヨタカップ 1986年 大会公式パンフレット p.16-17
- ^ a b “Goycochea, Sergio”. National-Football-Teams.com. 2017年10月13日閲覧。
- ^ a b ブライアン・グランヴィル著、田村修一 他訳『決定版ワールドカップ全史』草思社、1998年、373-388頁。ISBN 978-4794208187。
- ^ 『スマッシュ8月号増刊 ワールドカップITALY'90 1次リーグ完全速報号』日本スポーツ企画出版社、1990年、31頁。
- ^ “FIFA XI´s Matches - Full Info”. rsssf.com. 2017年10月13日閲覧。
- ^ “Un anivesario que duele: el 0-5 ante Colombia cumple 20 años”. lanacion.com (2016年9月5日). 2017年10月13日閲覧。
- ^ “モウリーニョ:「リーガは失うのが早すぎた」”. goal.com (2013年4月7日). 2017年10月13日閲覧。
- ^ “カフー、ダービッツ、ファン・デル・サール…往年の名選手たちもスタジアムに(8枚)”. ゲキサカ (2014年7月10日). 2017年10月13日閲覧。
- ^ a b “FAカップの新星がソックスを下げてプレーする理由…選手独自のゲン担ぎとは?”. サッカーキング (2015年4月21日). 2017年10月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- セルヒオ・ゴイコチェア - National-Football-Teams.com
- セルヒオ・ゴイコチェア - Soccerway.com
- セルヒオ・ゴイコチェア - FootballDatabase.eu
- セルヒオ・ゴイコチェア - WorldFootball.net
- セルヒオ・ゴイコチェア - Transfermarkt.comによる選手データ
- セルヒオ・ゴイコチェア - FIFA主催大会成績
- セルヒオ・ゴイコチェア - Munzinger Sports Archives
- アルゼンチンのサッカー選手
- サッカーアルゼンチン代表選手
- CAリーベル・プレートの選手
- ミジョナリオスFCの選手
- ラシン・クラブの選手
- スタッド・ブレスト29の選手
- セロ・ポルテーニョの選手
- オリンピア・アスンシオンの選手
- SCインテルナシオナルの選手
- CAベレス・サルスフィエルドの選手
- ニューウェルズ・オールドボーイズの選手
- コパ・アメリカ1987出場選手
- コパ・アメリカ1991出場選手
- コパ・アメリカ1993出場選手
- FIFAワールドカップアルゼンチン代表選手
- 1990 FIFAワールドカップ出場選手
- 1994 FIFAワールドカップ出場選手
- キング・ファハド・カップ1992出場選手
- ブエノスアイレス出身の人物
- 1963年生
- 存命人物