ムエ
Mouais | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | ロワール=アトランティック県 |
郡 (arrondissement) | シャトーブリアン=アンスニ郡 |
小郡 (canton) | ゲムネ=パンフォ小郡 |
INSEEコード | 44105 |
郵便番号 | 44590 |
市長(任期) |
イヴ・ダニエル (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:communauté de communes Châteaubriant-Derval |
人口動態 | |
人口 |
384人 (2015年) |
人口密度 | 39人/km2 |
住民の呼称 | Mouaisiens[1] |
地理 | |
座標 | 北緯47度41分47秒 西経1度38分36秒 / 北緯47.696389度 西経1.643333度座標: 北緯47度41分47秒 西経1度38分36秒 / 北緯47.696389度 西経1.643333度 |
標高 |
平均:m 最低:9m 最高:61m |
面積 | 9.93km2 |
公式サイト | mouais.fr/ |
ムエ (Mouais)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、ロワール=アトランティック県のコミューン。
地理
[編集]県北部に位置し、シャトーブリアンの北西20キロメートル、レンヌの南46キロメートル、ナントの北54キロメートルのところにある[2]。面積は993ヘクタールしかなく、県最小の面積のコミューンの1つである。境界を接するコミューンはデルヴァル、リュザンジェ、シオン・レ・ミーヌ、イル=エ=ヴィレーヌ県のグラン=フジュレ、ラ・ドミヌレである。
町を、北西から南東方向に県道123号線が通る。ヴィレーヌ川支流のシェール川が流れる。川は、ムエと隣接するデルヴァルとの境界の一部となっている。
由来
[編集]ルドンの特許状台帳において、ムエは860年頃の文章でMoueとして記載されている[3]。1062年10月25日の文書ではMoia[4]、1104年にはMoyaであった[5]。オジェによると、古いタイトルEcclesia Sanctissimœ-Trinitatis de Mouayaを見ることができる[6]。ナント司教区が教区を列挙した文書Nouveau dénombrement du royaume, par généralitez, élections, paroisses et feux(1720年にパリで出版)においては、教区はMoisとして記されていた[7]。
ブルトン人の聖人がこの曖昧な地名を生み出したとするなら、聖人の名であるMoëに由来しているかもしれない[8]。
地元で話されるオイル語の一種、ガロ語では地名は Móaèとなる[9]。
歴史
[編集]シャトーブリアン地方同様、ムエの地域にはケルト人が定住し、その後ガロ=ローマ人が移ってきた。1532年の合同法でフランス王国に組み込まれる以前には、ブルトン人の土地だった。
864年、ルドンのサン・ソヴ―ル修道院(ベネディクト会)の修道士たちが、この地に修道院を建てた。修道院にはシェール川両岸の土地が与えられた。大西洋からもロワール川からも遠かったにもかかわらず、修道院は10世紀の間にノルマン人たちの略奪にあい、破壊されている。1062年、ナント司教キリアックはサン・ソヴ―ル修道院院長に破壊された修道院を与えることで、教区を創設した[10]。
ル・クレール・ド・ラ・フアイエの死後、15世紀に出来事が起きた。ピエール・ル・メストル・ド・ラ・ガルライエが、ムエの教会のアンフー(enfeu、墓または石棺を置くために教会建物内につくられる壁龕のこと)の権利を得ようとした。このため、彼は既にあった一族の紋章を破壊した。この行いのため、ラ・ガルライエ家の領主は1494年4月6日にレンヌで裁かれた[10]。
1720年、ムエ在住の女性1人が、ブルターニュで反税制蜂起を試みたポンカレックの陰謀(fr)の際、連絡係を務めた容疑で投獄された。1754年、ムエ教区は城代区に昇格した[10]。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2005年 | 2015年 |
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377 | 356 | 331 | 302 | 280 | 259 | 318 | 384 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[11]、2006年以降INSEE[12][13]
参照
[編集]- ^ "Habitants de Mouais". [habitants.fr http://www.habitants.fr]. 2011年4月7日閲覧。.
- ^ "Mouais". www.lion1906.com. 2011年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月24日閲覧。
- ^ Cartulaire de l'Abbaye de Redon en Bretagne : 832-1124, publ. par M.Aurélien de Courson, 1863, p. 166 : Haec carta indicat atque conservat quomodo requisivit Ratuli conuuoionum abbatem de illa cultura que est ante Moe, super Cairum flumen
- ^ Cartulaire de l'Abbaye de Redon en Bretagne : 832-1124, publ. par M.Aurélien de Courson, 1863, p. 232: Aecclesia Sanctis salvatoris Moia
- ^ Cartulaire de l'Abbaye de Redon en Bretagne : 832-1124, publ. par M.Aurélien de Courson, 1863, p. 304.
- ^ Jean Ogée, Dictionnaire historique et géographique de la province de Bretagne, t. II, 1815, p. 36a.
- ^ Nouveau dénombrement du royaume, par généralitez, élections, paroisses et feux, Paris 1720, p. 238
- ^ Michel Priziac, Michel Mohrt, Bretagne des saints et des croyances, Kidour, 2002, p. 474.
- ^ "Villes bretonnes, noms gallo". Geobreizh. 2013年3月18日閲覧。
- ^ a b c (Flohic 1999, p. 380)
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=22790
- ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-44105
- ^ http://www.insee.fr
参考文献
[編集]- Jean-Luc Flohic (dir.), Le Patrimoine des Communes de la Loire-Atlantique, Flohic, (ISBN 978-2842340407)