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下条恭兵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
下条 恭兵
しもじょう きょうへい
生年月日 1900年4月12日
出生地 日本の旗 新潟県刈羽郡吉井村(現柏崎市吉井)
没年月日 (1986-01-12) 1986年1月12日(85歳没)
出身校 早稲田工手学校(現早稲田大学芸術学校)卒業
所属政党日本社会党→)
右派社会党→)
無所属
称号 正五位
勲三等旭日中綬章

選挙区 新潟県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1947年4月21日 - 1953年5月2日
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下条 恭兵(下條[1]、しもじょう きょうへい、1900年明治33年)4月12日[2] - 1986年昭和61年)1月12日[3][4])は、昭和期の実業家政治家学校法人理事長。参議院議員(1期)。

経歴

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新潟県[3][4]刈羽郡吉井村中通村を経て現柏崎市吉井[5])出身。小学校卒業後、農業、石油坑夫などを務め苦学して[5]、1922年(大正11年)早稲田工手学校(現早稲田大学芸術学校)を卒業した[3][4][5]

1922年、日本石油(現新日本石油)に入社[4]。配管工事下請会社を設立して独立[5]。分解揮発油精製器などの特許権を得て[5]日本油機製造[注 1]を設立して社長に就任[4]。その他、昭和精密機械社長、太田鉄工所社長、米華貿易取締役会長などを務めた[4]

1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙新潟県地方区日本社会党公認で出馬して当選し[6]、参議院議員に1期在任した[3][4][5]。この間、社会党会計、芦田内閣逓信政務次官参議院建設委員長などを務めた[3][4]。その後、1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙、1955年(昭和30年)2月の第27回衆議院議員総選挙(無所属)に旧新潟3区から立候補[注 2]したがいずれも落選した[7][8]

また、人材の育成にも尽力し、柏崎短期大学(新潟短期大学を経て現新潟産業大学)を設立して財団法人柏崎短期大学理事長、学校法人柏専学院理事長を務めた[4][5]。1970年(昭和45年)春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[9]

1986年(昭和61年)1月12日死去、85歳。死没日をもって正五位に叙される[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『柏崎の先人たち』106頁では日本油機。
  2. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』170頁では下条恭

出典

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  1. ^ a b 『官報』第17685号11頁 昭和61年1月27日号
  2. ^ 『大衆人事録』第19版、東京篇、帝国秘密探偵社、411頁。
  3. ^ a b c d e 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』309頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』328頁。
  5. ^ a b c d e f g 『柏崎の先人たち』106頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』451頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』452、170頁。
  8. ^ 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第27回』衆議院事務局、1955年、231頁。
  9. ^ 『官報』号外第61号2頁 昭和45年4月30日号

参考文献

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  • 『大衆人事録』第19版、東京篇、帝国秘密探偵社、1956年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 柏崎市編『柏崎の先人たち:柏崎・刈羽人物誌』柏崎市、2002年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
広瀬与兵衛
日本の旗 参議院建設委員長 次代
石川清一