佐賀県立唐津工業高等学校
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佐賀県立唐津工業高等学校 | |
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北緯33度23分35.61秒 東経129度58分12.212秒 / 北緯33.3932250度 東経129.97005889度座標: 北緯33度23分35.61秒 東経129度58分12.212秒 / 北緯33.3932250度 東経129.97005889度 | |
過去の名称 |
佐賀県立唐津工業学校 佐賀県立唐津商工学校 佐賀県立唐津実業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐賀県 |
学区 | 佐賀県全域 |
校訓 | 起て・察よ・邁け |
設立年月日 | 1944年(昭和19年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
機械科 電気科 土木科 建築科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D141290000223 |
高校コード | 41127C |
所在地 | 〒847-0832 |
佐賀県唐津市石志(中ノ尾)3072番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
佐賀県立唐津工業高等学校(さがけんりつ からつこうぎょうこうとうがっこう, Saga Prefectural Karatsu Technical High School)は、佐賀県唐津市石志(いしし)字中ノ尾に所在する県立工業高等学校。「唐工」(からこう)や「工業」の通称で呼ばれている。
設置学科
[編集]概要
[編集]- 校区
- 専門教育を行う高等学校なので、学区は佐賀県全域となる[1]。
- 校訓
- 「起て」(たて)- 目的・目標をもち、自ら学ぶ意欲と豊かな自立心を育成。
- 「察よ」(みよ)- 感性を磨き、広い視野に立った観察力と的確な判断力の伸長を図る。
- 「邁け」(ゆけ)- 実践・実行の中から共に学ぶ人間愛に満ちた人格の形成を目指す。
- 校歌
- 作詞は中原勇夫、作曲は富永定による。歌詞は3番まである。1番に「起て」、2番に「察よ」、3番に「邁け」と校訓が入っている。各番とも「工業高校 唐津」で終わる
- 同窓会
- 校章にちなみ「松涛会」と称している。東京、中京、関西、福岡、佐賀に支部を置く。
沿革
[編集]- 1944年(昭和19年)4月1日 - 「佐賀県立唐津工業学校[2]」が開校。機械科と土木科を設置[3]。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革に伴い、「佐賀県立唐津実業高等学校」(新制高等学校)が開校。
- 商業課程・工業課程・商業課程を設置。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 工業科が分離し、「佐賀県立唐津工業高等学校」(現校名)として独立。
- 商業科は佐賀県立唐津商業高等学校、農業科は佐賀県立唐津農業高等学校となる。
- 1997年(平成9年)4月1日 - 建築科を新設。
部活動
[編集]- 運動部
- 陸上部
- 駅伝部
- 柔道部
- 剣道部
- 野球部 - 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場経験がある。1996年(第78回、初出場)
- 卓球部
- バレーボール部
- ソフトテニス部
- バスケットボール部
- サッカー部
- 弓道部
- バドミントン部
- ヨット部
- 文化部
著名な出身者
[編集]交通アクセス
[編集]- 最寄駅
周辺
[編集]- 唐津市立鬼塚中学校
- 佐賀県立唐津特別支援学校
- 唐津自動車学校
- 佐賀国道事務所唐津維持出張所
- 山本郵便局
- 宝祥院
脚注
[編集]- ^ 佐賀県立高等学校の通学区域に関する規則 - 佐賀県ウェブサイト
- ^ 「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(1943年(昭和18年)10月12日閣議決定)により、佐賀県立唐津商業学校(佐賀県立唐津商業高等学校の前身)の商業科を廃止し、工業科を設置され、工業学校に転換された。この時全国の大半の商業学校が工業学校に転換された。
- ^ 昭和14年3月22日付官報(第5154号) 文部省告示第三百十九号