安田匡裕
やすだ まさひろ 安田 匡裕 | |||||
---|---|---|---|---|---|
生年月日 | 1943年11月14日 | ||||
没年月日 | 2009年3月8日(65歳没) | ||||
出生地 | 日本・兵庫県香住町 | ||||
国籍 | 日本 | ||||
職業 | 映画プロデューサー | ||||
主な作品 | |||||
映画 『東京上空いらっしゃいませ』 『お引越し』 『夏の庭 The Friends』 『ワンダフルライフ』 『蛇イチゴ』 『誰も知らない』 『ゆれる』 『歩いても 歩いても』 『ディア・ドクター』 『空気人形』 | |||||
|
安田 匡裕(やすだ まさひろ、1943年11月14日 - 2009年3月8日)は、日本の映画やCMのプロデューサー・ディレクター。兵庫県香住町出身。
経歴
[編集]明治大学卒業後に電通映画社に入社、ディレクターとして多くのテレビコマーシャルの企画・演出に携わる(レナウン「シンプルライフ」高倉健出演他)。
同社退社後、CFプロデューサー檀太郎と1984年に株式会社スケールを設立する。
1987年にテレビコマーシャルの制作を中心とする制作プロダクション、株式会社エンジンフイルムを設立する。
設立後、現役の演出家としてテレビコマーシャルの制作に関わる一方で、映画のプロデュースにも意欲を示し、親交のあった相米慎二監督の『東京上空いらっしゃいませ』で初の企画、プロデュースを果たす。
以降、相米監督作品『お引越し』、『夏の庭 The Friends』をプロデュースし、映画の製作に本格的に携わりだす。
1999年には是枝裕和監督作品『ワンダフルライフ』をプロデュースし、続いて『誰も知らない』、『歩いても 歩いても』など、『空気人形』に至るまでの是枝監督作品の企画・製作者として欠かせない存在となる。
また、西川美和監督のデビュー作『蛇イチゴ』をプロデュース、以後『ゆれる』、『ディア・ドクター』を企画・製作し、映画監督としての西川監督の成長を支援する。
これまで企画・製作で関わった映画は24作品。 なお2009年、『歩いても 歩いても』の製作に対し、第28回藤本賞特別賞を、『ディア・ドクター』企画に対し、日本映画製作者協会 (協同組合)主催の新藤兼人賞SARVH賞2009(年間最優秀プロデューサー賞)を受賞する。
2009年3月に脳梗塞による急性心筋梗塞のため死去(享年65)。
人物
[編集]- 松尾氏のCFに込められた「いつもよい日は明日」とのメッセージの影響は、後年映画製作に携わった時の「ラストは希望」という企画の信念に通底している。
受賞
[編集]歩いても 歩いても
- 第28回藤本賞・特別賞
ディア・ドクター
- 2009年度日本映画製作者協会SARVH賞(年間最優秀プロデューサー賞)
作品
[編集]映画
[編集]- 東京上空いらっしゃいませ プロデューサー(1990年)
- お引越し 製作(1993年)
- 夏の庭 The Friends 製作(1994年)
- 四姉妹物語 製作(1995年)
- MISTY (1997年)
- ワンダフルライフ (1999年)
- ホワイトアウト (2000年)
- はつ恋 製作(2000年)
- ekiden 駅伝 製作(2000年)
- 好き (2000年)
- DISTANCE (2001年)
- Quartet カルテット 製作(2001年)
- ココニイルコト 製作(2001年)
- カクト 企画(2002年)
- ソウル (2002年)
- 卒業 (2002年)
- 蛇イチゴ 製作(2003年)
- ジャンプ 製作(2003年)
- 深呼吸の必要 製作(2004年)
- 雨よりせつなく 製作(2004年)
- 誰も知らない 企画(2004年)
- 亡国のイージス (2005年)
- 花よりもなほ 企画(2006年)
- ゆれる 企画(2006年)
- 地下鉄(メトロ)に乗って (2006年)
- 幸福な食卓 (2007年)
- 鳳凰 わが愛 (2007年)
- 伝染歌 (2007年)
- 歩いても 歩いても 企画(2007年)
- ディア・ドクター 企画・製作(2009年)
- 空気人形 企画(2009年)
- おにいちゃんのハナビ 企画(2010年)