日野重政
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時代 | 室町時代前期 - 中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 嘉吉3年10月2日(1443年10月24日) |
改名 | 政光(初名)→壷尊(法名)→重政 |
別名 | 裏松重政 |
官位 | 蔵人・右少弁、贈従二位・内大臣 |
主君 |
後花園天皇 足利義教 |
氏族 | 藤原北家真夏流日野家(裏松家) |
父母 | 父:日野義資 |
妻 | 北小路苗子 |
子 | 勝光、富子、良子、永俊、資治 |
日野 重政(ひの しげまさ)は、室町時代前期から中期にかけての公家。藤原北家真夏流日野家、権大納言・日野義資の長男。官位は蔵人・右少弁、贈従二位・内大臣。裏松家(室町期)当主。
経歴
[編集]最初は政光と名乗っていた。父・義資が6代将軍・足利義教に蟄居を命じられ家督を継ぐ。永享6年(1434年)に義資が何者かに暗殺されたため出家し所領を没収された。
叔母・重子の計らいで家督は嫡男・勝光が継いだ。のち、還俗して重政と名乗り、娘・富子を儲けた。