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春苅島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
春苅島
外交紛争のある諸島
現地名: Острова Дёмина
主張国名: 春苅島
地理
春苅島の位置(千島列島内)
春苅島
春苅島の位置(サハリン州内)
春苅島
春苅島の位置(北海道広域内)
春苅島
所在地太平洋
座標北緯43度25分1秒 東経146度53分33秒 / 北緯43.41694度 東経146.89250度 / 43.41694; 146.89250座標: 北緯43度25分1秒 東経146度53分33秒 / 北緯43.41694度 東経146.89250度 / 43.41694; 146.89250
実効支配
 ロシア
サハリン州の旗 サハリン州
都市管区 南クリル管区
領有権主張
 日本
都道府県 北海道
市町村 根室市
人口統計
人口0
昭和29年の色丹島歯舞群島多楽島海馬島志発島春苅茂尻島勇留島秋勇留島

春苅島(はるかるとう)は、いわゆる北方領土歯舞群島にある一島。無人島。ロシア名はハルカル島(о. Харкар)。

ハルカルモシリまたは春苅茂尻島(はるかりもしりとう)とも呼ばれ[1]アイヌ語の「ハル・カル・コタン(オオウバユリの鱗茎・採取すること・村→オオウバユリの鱗茎・採取すること・村)」または「ハルカルモシリにあるコタン(村)」に由来する。

納沙布日誌には「ハルカルモシリ」と記されている(モシリはアイヌ語で「島」を意味する)。

地理

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勇留島の東の沖合に位置し、上の島、中の島、下の島からなる。総面積は2平方キロメートル。

歴史

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江戸時代には、樹木が無いが飲水は有り、アイヌは「夷船」で春苅島へ渡っていたと記されている[2]

また、が深く東には岩礁があり、北・西・南の三方は岸が深く、やはり暗礁が多いとも記録されている[3]

寛政11年(1799年)にネモロ(根室)とアッケシ(厚岸)両場所のアイヌが立会い、秋勇留島とともに双方の入会地となった[4]

明治時代には珸瑶瑁村の一部となり、後に歯舞村に属し、戦前は中の島にのみ6人住んでいた。

現在はロシア連邦占領実効支配下にある。日本も領有権を主張しており、1959年より根室市に編入されている。

ラッコの繁殖地であり、納沙布岬でもたびたびその姿が確認されている[5]

脚注

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  1. ^ 大泰司紀之、本間浩昭『知床・北方四島 カラー版 流氷が育む自然遺産』岩波書店、2008年、82頁。ISBN 978-4-00-431135-5 
  2. ^ 『東行漫筆』 文化6年4月29日条(1809年6月11日
  3. ^ 『蝦夷日誌』
  4. ^ 『場所境調書』
  5. ^ ラッコって・・?”. 根室市観光協会. 2020年11月7日閲覧。

参考文献

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  • 『北方領土地名考』 北方領土問題対策協会編、1978年
  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)