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[[産経新聞]][[記者]]を経て、[[1969年]]4月に日本リクルートセンター(現在の[[リクルートホールディングス]])に入社。企画制作課長、営業部長、人事教育事業部長、ニューメディア開発室長、情報通信事業担当取締役を歴任。[[リクルート事件]]時は、管理部門(広報、人事、経営企画など)担当常務<ref>[http://ikusan.net/post.html 『蓼科山荘日記』]</ref>。 |
[[産経新聞]][[記者]]を経て、[[1969年]]4月に日本リクルートセンター(現在の[[リクルートホールディングス|リクルート]])に入社。企画制作課長、営業部長、人事教育事業部長、ニューメディア開発室長、情報通信事業担当取締役を歴任。[[リクルート事件]]時は、管理部門(広報、人事、経営企画など)担当常務<ref>[http://ikusan.net/post.html 『蓼科山荘日記』]</ref>。 |
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[[1998年]]にリクルートを退社し「生嶋事務所」設立。[[2000年]]に蓼科に「生嶋山荘」を開設。[[2007年]]に『至福のとき.net』, 『蓼科山荘日記』を開設。 |
[[1998年]]にリクルートを退社し「生嶋事務所」設立。[[2000年]]に蓼科に「生嶋山荘」を開設。[[2007年]]に『至福のとき.net』, 『蓼科山荘日記』を開設。 |
2019年9月13日 (金) 16:38時点における版
生嶋 誠士郎(いくしま せいしろう、1942年(昭和17年)- )は、日本のエッセイスト。
人物・経歴
埼玉県草加市生まれ。都立九段高校を卒業後、早稲田大学文学部哲学科へ進学。
産経新聞記者を経て、1969年4月に日本リクルートセンター(現在のリクルート)に入社。企画制作課長、営業部長、人事教育事業部長、ニューメディア開発室長、情報通信事業担当取締役を歴任。リクルート事件時は、管理部門(広報、人事、経営企画など)担当常務[1]。
1998年にリクルートを退社し「生嶋事務所」設立。2000年に蓼科に「生嶋山荘」を開設。2007年に『至福のとき.net』, 『蓼科山荘日記』を開設。
“人と組織、もっと楽しく”をモットーにいくつかの会社のアドバイザーやカウンセラーを経験。現在は下記の「至福の時.net」主宰。個人別荘である蓼科の生嶋山荘は若い人たちの「作業と語らいの場」になっている。作業班という名のチームが現在三つあり、それぞれが、枕木の道つくり、BBQコーナー工事、テラスのペンキ塗り、障子貼り、餅つき大会、ダッジオーブン料理を楽しむ、薪ストーブの炎の色比べ(ストーブ1級と2級がある)などの“活動”をしている。
現在、「ご隠居」を自称し、「ネクラ」の応援団でもある。
著書
- 『暗い奴は暗く生きろ—リクルートの風土で語られた言葉』[2]
出展
- ^ 『蓼科山荘日記』
- ^ 生嶋誠士郎『暗い奴は暗く生きろ—リクルートの風土で語られた言葉』新風社、2007年。ISBN 4289011721。