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2019年10月1日 (火) 18:24時点における版
おいかわ きねお 及川 甲子男 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 千葉県 |
生年月日 | 1936年6月29日 |
没年月日 | 2012年6月9日(75歳没) |
最終学歴 | 早稲田大学政治経済学部 |
職歴 | 元NHKアナウンサー |
活動期間 | 1959年 - 2012年 |
著名な家族 | 及川直彦(長男) |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
『特別番組 アポロ11号月着陸』 『現代の映像『決戦 瀬戸内架橋』』 ほか |
その他 | 執筆活動や講演活動 |
及川 甲子男(おいかわ きねお、1936年6月29日 - 2012年6月9日 )は、日本のアナウンサー。元NHKアナウンサー。 1970年代の初頭、当時まだ日本国内で知る人が少なかったオーストラリアについて紹介した『メルボルン・ノート』の著者としても知られる。
略歴
千葉県香取市(旧佐原市)生まれ。 野球と真空管ラジオ製作に夢中で、お祭りが大好きな子供だった。高校時代には、当時英語の教師であった猿谷要(東京女子大名誉教授・アメリカ史)と出会い、生涯交流を続けた。[1]
1959年3月早稲田大学政治経済学部卒、早稲田大学大学院商学研究科中退の後、1959年7月にNHK(日本放送協会)に入局し、以後、鳥取(1959年11月〜62年8月)、福岡(1962年8月〜66年2月)、東京(1966年2月〜71年2月)において、報道、ドキュメンタリー、科学の番組に出演した。
1971年2月からABC Radio Australiaに出向し、日本語放送のアナウンサーとして、当時まだ知る人が少なかったオーストラリアの社会、生活、文化を日本に紹介した。[2]
1973年4月にNHKに戻り、東京(1973年4月〜74年8月)、金沢(1974年8月〜76年8月)、鳥取(1976年8月〜79年8月)、仙台(1979年8月〜84年7月)の各地において番組に出演した。 1984年7月から国際番組部に移り、1996年6月まで海外向けに日本を紹介する番組をプロデュースした。
NHK退職後は、地元のガイドブックの編集[3]、パソコン教室の講師、老人ホームにおける朗読奉仕などに従事した。
担当番組
報道
- 特別番組 アポロ11号月着陸(1969、NHK)[4]
ドキュメンタリー
- 日本の美 唐招提寺(1968、NHK)[5]
- 現代の映像 「はだかの教室」(1968、NHK)[6]
- 現代の映像 「決戦 瀬戸内架橋」(1969、NHK)[7]
科学
- 科学時代 音を設計する(1967、NHK)[8]
- みんなの科学 カメラとともに~民間救助無線~(1967、NHK)[9]
- みんなの科学 カメラとともに~雪上車~(1968、NHK)[10]
- みんなの科学 カメラとともに~走り出した電気自動車~(1968、NHK)[11]
執筆活動
脚注
- ^ [1] 「メルボルン・ノート 及川甲子男が1970年代初頭のメルボルンに滞在したときの体験談」
- ^ [2] 「ラジオ・オーストラリア 及川アナ 不思議な縁」
- ^ [3] 「宮前区ガイドブック改訂版「ガイドブック片手に出かけよう」(平成24年9月発行)」
- ^ [4] 「NHK アーカイブス」
- ^ [5] 「NHK アーカイブス」
- ^ [6] 「NHK アーカイブス」
- ^ [7] 「NHK アーカイブス」
- ^ [8] 「NHK アーカイブス」
- ^ [9] 「NHK アーカイブス」
- ^ [10] 「NHK アーカイブス」
- ^ [11] 「NHK アーカイブス」
- ^ [12] 「NII論文情報ナビゲータ」