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2022年10月7日 (金) 20:55時点における版
成田市立八生小学校 | |
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北緯35度48分17.3秒 東経140度17分29秒 / 北緯35.804806度 東経140.29139度座標: 北緯35度48分17.3秒 東経140度17分29秒 / 北緯35.804806度 東経140.29139度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 成田市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B112210003183 |
所在地 | 〒286-0846 |
成田市松崎1468 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
成田市立八生小学校(なりたしりつ はぶしょうがっこう)は、千葉県成田市松崎にある公立小学校。
概要
八生小学校の学区は、成田市 街の中心より北西へ約3km離れた松崎・上福田地区の台地とその台地を取り巻くように開けた大竹・宝田・下福田地区の平地地帯から成っている。空港関連事業の増加に伴い、成田ニュータウン等の学区隣接地域の変貌は著しいが、本学区内は、豊かな自然が数多く残されている[1]。
沿革
- 1873年(明治6年) - 西ノ岳(押畑)・松崎学校開校[2]。
- 1874年(明治7年) - 大竹・宝田学校開校[2]。
- 1885年(明治18年)4月 - 松崎・大竹・宝田学校を統合し、日新小学校と改称[2]。
- 1887年(明治20年) - 押畑学校を朝陽小学校と改称[2]。
- 1893年(明治26年) - 日新小学校が高等科を併置し、日新尋常高等小学校となる[2]。
- 1906年(明治39年) - 日新の高等科が独立して八生高等小学校となる(1908年廃止)[2]。
- 1914年(大正3年)4月 - 日新小学校と朝陽小学校を併合し、八生尋常小学校と改称(押畑に分教場が置かれたが、まもなく廃止)[2]。
- 1923年(大正12年) - 八生村図書館を併設[2]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 八生国民学校と改称。
- 1945年(昭和20年)2月 - 米軍戦闘機の墜落により校舎が全焼[注釈 1][2]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 八生村立八生小学校と改称[2]。
- 1948年(昭和23年)4月 - 校舎が再建される[2]。
- 1954年(昭和29年)3月 - 町村合併により成田市立八生小学校と改称。
学区
進学
脚注
注釈
出典
- ^ 成田市立八生小学校 - 成田市、2013-06-07閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 成田市立図書館 2011, p. 360.
- ^ 成田市立小学校通学区域、2013-06-07閲覧。
- ^ 成田市立中学校通学区域、2013-07-07閲覧。
参考文献
- 成田市立図書館 編『成田の地名と歴史』成田市、2011年3月。