コンテンツにスキップ

「筆捨山」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
38行目: 38行目:


{{DEFAULTSORT:ふてすてやま}}
{{DEFAULTSORT:ふてすてやま}}
[[Category:アジアの山]]
[[Category:山岳名目録]]
[[Category:三重県の山]]
[[Category:三重県の山]]
[[Category:亀山市の交通]]
[[Category:亀山市の交通]]

2022年11月23日 (水) 11:41時点における版

筆捨山
坂下より筆捨山眺望(1910年代撮影)
標高 286.2 m
所在地 三重県亀山市関町
位置 北緯34度52分25秒 東経136度22分8秒 / 北緯34.87361度 東経136.36889度 / 34.87361; 136.36889座標: 北緯34度52分25秒 東経136度22分8秒 / 北緯34.87361度 東経136.36889度 / 34.87361; 136.36889
山系 鈴鹿山脈
種類 カルスト地形
筆捨山の位置(日本内)
筆捨山
筆捨山の位置
プロジェクト 山
テンプレートを表示
歌川広重

筆捨山(ふですてやま)は、三重県亀山市関町に位置する標高286.2mの山である[1][2]

概要

鈴鹿山脈を形成する山の一つで鈴鹿峠から見て南東に位置し、鈴鹿国定公園に属している。江戸期には関宿坂下宿との間の(旧)東海道に沿う形であり、東海道が国道1号へと移ってからは東海道とは鈴鹿川を挟んだ対岸の地となっている[1][2][3][4]。本来、この山の呼称は岩根山であったが、室町時代の絵師である狩野元信が沓掛(関町沓掛)でこの山を描こうとしたところ、2日目に雲や霞が発生して漂ってしまい山の全景が前日とは大きく異なってしまったため、描くのを断念して筆を捨てたことから筆捨山と呼ばれるようになったと伝えられる[3][5]

筆捨山は奇岩や怪石を多く有し、山中では松、楓、つつじが生い茂っている[2]。江戸時代から名勝として名高く、東海道中を行き交う人々は対岸の筆捨集落にある茶屋から雪月風花を味わったという。 坂下宿を著した浮世絵の多数はこの筆捨山の景観を描いていた。また、1900年明治33年)に出版された『鉄道唱歌5集 關西・參宮・南海篇』においても「鈴鹿の山のトンネルを くぐれば早も伊勢の國 筆捨山の風景を 見よやより汽車おりて」と筆捨山の景観が歌われている[6]。この景観は1978年昭和53年)に亀山市の名勝に指定された[3]

交通

脚注

  1. ^ a b 筆捨山(ふですてやま)”. ヤマレコ (2011年2月20日). 2016年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e 筆捨山(ふですてやま)”. 三重県観光連盟. 2016年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月19日閲覧。
  3. ^ a b c 亀山市教育委員会 (2007年3月). “亀山市名勝 筆捨山 昭和五十三年九月二十二日指定”. まちクエスト. 2016年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月19日閲覧。
  4. ^ 鈴鹿国定公園図”. 三重県庁. 2016年11月21日閲覧。
  5. ^ 筆捨山(ふですてやま)”. 亀山こども歴史館. 亀山市歴史博物館 (2015年). 2016年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月19日閲覧。
  6. ^ wikisource:ja:鉄道唱歌/關西・參宮・南海篇

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、筆捨山に関するカテゴリがあります。