コンテンツにスキップ

石田雅亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石田 雅亮
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都江東区
生年月日 (1936-01-13) 1936年1月13日(88歳)
身長
体重
174 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1954年
初出場 1954年
最終出場 1961年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

石田 雅亮(いしだ まさあき、1936年1月13日 - )は、東京都[1]出身のプロ野球選手。ポジションは一塁手

来歴・人物

[編集]

明治高校では、四番打者、一塁手として活躍。1952年秋季東京大会では4高校による決勝リーグに進むが、榎本喜八らのいた早稲田実に敗れ春の選抜出場を逸する。翌1953年夏の甲子園都予選でも決勝に進出、桑田武のいた荏原高に延長11回サヨナラ勝ち、夏の甲子園に出場を決める[1]。大会では準々決勝に進み、後にプロで同僚となる阿井利治らのいた静岡商に辛勝。しかし準決勝で松山商空谷泰に完封を喫した[2]

1954年国鉄スワローズへ入団。2年目の1955年には開幕から六番打者、一塁手として起用され、120試合に出場。翌1956年はシーズン前半に故障、1957年は移籍入団の飯田徳治が一塁手に定着し出場機会が減る。1958年には5月に飯田が故障欠場。その代役として復帰し84試合に先発出場、四番打者としても50試合に起用される。しかし翌1959年は飯田が復帰して控えに回る。1961年限りで引退した[1]

左投でありながら守備記録に「遊撃1試合」とあるが、これは1957年に甲子園球場での阪神タイガース戦で1回表に2番・遊撃として起用されその1打席のみで裏の守備から大久保英男と交代しており、守備についてはいない。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1954 国鉄 5 2 1 1 1 0 0 0 1 1 0 0 0 1 0 -- 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
1955 120 395 369 22 90 8 3 1 107 28 3 3 9 2 14 0 1 40 12 .244 .273 .290 .563
1956 77 207 199 15 49 12 3 3 76 17 1 1 0 1 5 3 2 23 3 .246 .272 .382 .654
1957 88 122 111 5 25 3 0 1 31 9 1 0 1 1 8 0 1 15 5 .225 .283 .279 .563
1958 106 361 331 15 81 10 1 2 99 24 1 1 11 0 18 1 1 63 7 .245 .286 .299 .585
1959 42 46 40 0 11 0 0 0 11 5 0 0 0 1 4 2 1 11 1 .275 .356 .275 .631
1960 10 13 11 0 3 0 0 0 3 1 0 0 0 1 1 1 0 0 1 .273 .333 .273 .606
1961 8 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
通算:8年 456 1151 1067 58 260 33 7 7 328 85 6 5 21 7 50 7 6 154 29 .244 .280 .307 .587

背番号

[編集]
  • 29(1954年 - 1961年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、43ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]