近岡理一郎
近岡 理一郎 ちかおか りいちろう | |
---|---|
生年月日 | 1926年9月7日 |
出生地 |
日本 山形県最上郡真室川村 (現・真室川町) |
没年月日 | 2016年6月8日(89歳没) |
死没地 | 日本 山形県最上郡真室川町 |
出身校 | 陸軍士官学校中退 |
所属政党 | 自由民主党(橋本派) |
称号 |
従三位 旭日大綬章 |
親族 |
父・近岡理吉(元山形県議会議員) 伯父・近岡理三郎(元貴族院議員) |
第55代 科学技術庁長官 | |
内閣 | 第2次橋本内閣 |
在任期間 | 1996年11月7日 - 1997年9月11日 |
選挙区 |
(旧山形2区→) 山形3区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1980年6月22日 - 2003年10月10日 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1959年 - 1980年 |
近岡 理一郎(ちかおか りいちろう、1926年〈大正15年〉9月7日 - 2016年〈平成26年〉6月8日[1])は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。
来歴
[編集]山形県最上郡真室川村(現・真室川町)の造り酒屋に生まれ[2]、1944年3月6日に陸軍士官学校入校(第60期)。
戦後は県議だった父・理吉[3]、貴族院多額納税者議員・県議だった伯父・近岡理三郎[3]の影響もあり、30歳で真室川町議となる[2]。 1959年に山形県議会議員に当選[4]。以後6期連続で当選し、在職中には県議会議長も務めた[4]。
1980年6月22日、松沢雄蔵の後継として第36回衆議院議員総選挙に自民党公認候補として出馬し、初当選した[4]。以後第42回衆議院議員総選挙まで7期連続当選した。在職中は山形新幹線の新庄延伸や東北中央自動車道、新庄市-酒田市間の地域高規格道路の整備、庄内空港の開港などに貢献した[4]。また、第3次中曽根内閣で総務政務次官(1986年7月23日-1987年11月6日)、宇野内閣・第1次海部内閣で厚生政務次官(1989年6月3日-1990年2月28日)、第2次橋本内閣で科学技術庁長官(1996年11月7日-1997年9月11日)を歴任した。
自民党内では最大派閥の田中派に入会。竹下登が派中派の創政会を結成するとそれに加わり[5]、竹下派、小渕派、橋本派に属した。
2003年10月10日、衆議院解散に伴い「選挙民からいただいた議席をお返ししたい」として政界を引退[4]。第43回衆議院議員総選挙では、秘書の逮捕を受け自民党を離党・議員辞職していた加藤紘一の政界復帰を支援した[4]。
2016年6月8日、肺炎と呼吸不全により入院先の真室川病院で死去[4]。6月18日に葬儀・告別式が執り行われ、岸宏一が葬儀委員長を務め500人が参列した[6]。生前に叙勲の話があったが、戦死した同胞を想い「仲間の気持ちに寄り添いたい」として固辞していた[7]。叙従三位、旭日大綬章追贈[8]。
国政選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第36回衆議院議員総選挙 | 1980年 6月22日 | 53 | 旧山形2区 | 自由民主党 | 6万6300票 | 20.37% | 4 | 2/5 | / |
当 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 57 | 旧山形2区 | 自由民主党 | 5万6782票 | 19.02% | 4 | 2/6 | / |
当 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 7月 6日 | 59 | 旧山形2区 | 自由民主党 | 8万4183票 | 24.99% | 3 | 2/5 | / |
当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 2月18日 | 63 | 旧山形2区 | 自由民主党 | 7万8836票 | 23.10% | 3 | 2/5 | / |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 66 | 旧山形2区 | 自由民主党 | 6万670票 | 20.86% | 3 | 3/4 | / |
当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 70 | 山形3区 | 自由民主党 | 8万8389票 | 58.08% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 73 | 山形3区 | 自由民主党 | 8万8069票 | 57.22% | 1 | 1/3 | / |
脚注
[編集]- ^ “近岡理一郎元科学技術庁長官 死去”. NHKニュース. (2016年6月9日) 2016年6月9日閲覧。
- ^ a b 「第2次橋本内閣・閣僚の横顔」『朝日新聞』1996年11月8日
- ^ a b 「近岡理三郎」『山形県議会歴代議員名鑑』361頁。
- ^ a b c d e f g “近岡理一郎氏が死去、89歳 元科学技術庁長官”. 山形新聞 (2016年6月9日). 2016年6月19日閲覧。
- ^ 「竹下勉強会 創政会が40人で発足 中堅・若手が大部分 政権へ意欲示す」『朝日新聞』夕刊 1985年2月7日
- ^ “近岡氏との別れ惜しむ 地元・真室川で葬儀式告別式”. 山形新聞 (2016年6月19日). 2016年6月19日閲覧。
- ^ “県内、近岡理一郎さん惜しむ声 「最上の大きな星だった」”. 山形新聞 (2016年6月10日). 2016年6月19日閲覧。
- ^ 『官報』6811号(平成28年7月6日)
参考文献
[編集]- 『山形県議会歴代議員名鑑』山形県議会、1973年。
関連項目
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議会 | ||
---|---|---|
先代 中馬弘毅 |
衆議院科学技術委員長 1991年 - 1993年 |
次代 小澤潔 |
先代 岸田文武 |
衆議院内閣委員長 1991年 |
次代 桜井新 |
公職 | ||
先代 中川秀直 |
科学技術庁長官 第55代:1996年 - 1997年 |
次代 谷垣禎一 |
先代 中川秀直 |
総理府原子力委員会委員長 第55代:1996年 - 1997年 |
次代 谷垣禎一 |