コンテンツにスキップ

黒河貴矢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒河 貴矢
名前
カタカナ クロカワ タカヤ
ラテン文字 KUROKAWA Takaya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-04-07) 1981年4月7日(43歳)
出身地 愛媛県周桑郡丹原町
身長 184cm
体重 78kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
日本の旗 丹原SS
1994-1996 日本の旗 西条市立丹原東中学校
1997-1999 日本の旗 市立船橋高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2006 日本の旗 清水エスパルス 53 (0)
2006 日本の旗 東京ヴェルディ1969 (loan) 0 (0)
2006 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 (loan) 0 (0)
2007-2016 日本の旗 アルビレックス新潟 33 (0)
2007 日本の旗 JAPANサッカーカレッジ (loan) 14 (0)
通算 100 (0)
代表歴
2000-2001  日本 U-20 0 (0)
2002-2004  日本 U-23 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

黒河 貴矢(くろかわ たかや、1981年4月7日 - )は、愛媛県周桑郡丹原町(現:西条市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションGK

来歴

[編集]

市立船橋高校では高校総体選手権で優勝するなど数々のタイトルを獲得し、早くから年代別日本代表に選出されていた。

2000年清水エスパルスに入団。公式戦デビューは2000年7月1日のJ1リーグ2ndステージ第2節横浜F・マリノス戦で、試合直前になって腰痛でプレーできなくなった真田雅則の代役として急遽先発出場した[1]。クラブでは徐々に出場時間を延ばし、2003年はリーグ戦24試合に出場した。2004年アテネオリンピック日本代表に選出されたものの、曽ヶ端準がオーバーエイジ枠で参加したこともあり出場機会を掴めず、クラブでも新たに加入した西部洋平にレギュラーを奪われ、2006年東京ヴェルディ期限付き移籍[2][3]。9月に東京Vとの契約を解除してジェフユナイテッド千葉に期限付き移籍したが[4]、両クラブとも出場機会に恵まれず、シーズン終了後に清水から戦力外通告を受けた[5]

2007年3月、清水からアルビレックス新潟に完全移籍し、同時にJAPANサッカーカレッジ(JSC)に期限付き移籍[6]2008年に新潟に復帰したが、北野貴之が正GKを務めていた2年間は出場機会はなかった。

2010年は北野の移籍と高木貴弘の負傷に伴い開幕スタメン入りを果たしたが、J1第2節ジュビロ磐田戦(1-1)で左眼窩壁骨折で全治1か月の重傷を負い、復帰後も自身の離脱中にポジションを掴んだ東口順昭にレギュラーを奪われたが、東口が負傷離脱するとレギュラーに返り咲き、この年は東口と交代で試合に出場する形となった。

2011年は開幕戦翌日の川崎フロンターレ麻生グラウンドで行われた川崎とのトレーニングゲーム中に右足アキレス腱断裂により全治6ヵ月の重傷を負う[7]。この年は黒河を含めGK陣に怪我人が相次ぎ、チームがGKの緊急補強(小澤英明武田洋平)を敢行する中でシーズンの大半を棒に振り、結局出場機会は無かった。

2012年は東口が離脱中だったこともあり2年ぶりの開幕スタメン入りを果たしたが、その川崎戦(0-1)で左膝の半月板損傷による全治3週間の怪我を負い、3年連続の負傷離脱となった[8]。それでも、第12節磐田戦(1-6)で登録メンバーに復帰。直前に東口が長期離脱した中で迎えた第29節大宮戦(1-1)で2年ぶりの出場を果たすと、第31節清水戦(1-0)と第33節仙台戦(1-0)の接戦を完封で制するなど奮闘し、新潟のJ1逆転残留に貢献した。

2013年も開幕スタメンを勝ち取り引き続き正GKとしてプレーしていたが、チームの調子が上がらず東口が復帰した第14節柏レイソル戦(3-2)以降は控えに逆戻りし出場機会がなかった。また、2014年も東口に変わって加入した守田達弥がリーグ戦全34試合に出場したため、3年ぶりにリーグ戦での出場がなかった。

2015年は、本間勲田中亜土夢の移籍・退団により、2008年から在籍している黒河が新潟の最古参選手となった。

2016年シーズンをもって現役を引退し、2017年より新潟のアカデミーコーチに就任した[9]。2019年末に新潟を退団し、2020年から地元である愛媛FCのアカデミーGKコーチに就任した[10]

所属クラブ

[編集]
ユース経歴
プロ経歴

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 清水 24 J1 1 0 1 0 0 0 2 0
2001 20 8 0 0 0 5 0 13 0
2002 11 0 2 0 0 0 13 0
2003 24 0 3 0 0 0 27 0
2004 4 0 0 0 1 0 5 0
2005 1 5 0 1 0 0 0 6 0
2006 東京V 26 J2 0 0 - - 0 0
千葉 40 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2007 JSC 1 北信越1部 14 0 - 2 0 16 0
2008 新潟 22 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 0 0 1 0 0 0 1 0
2010 1 11 0 1 0 1 0 13 0
2011 0 0 0 0 0 0 0 0
2012 7 0 1 0 0 0 8 0
2013 13 0 3 0 1 0 17 0
2014 0 0 0 0 0 0 0 0
2015 2 0 0 0 2 0 4 0
2016 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 86 0 13 0 10 0 109 0
日本 J2 0 0 - - 0 0
日本 北越信1部 14 0 - 2 0 16 0
総通算 100 0 13 0 12 0 125 0

その他の公式戦

タイトル

[編集]

代表歴

[編集]

指導歴

[編集]

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ Jリーグ ディビジョン1  2ndステージ 第2節”. 清水エスパルス. 2017年11月24日閲覧。
  2. ^ 黒河貴矢選手期限付き移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)東京ヴェルディ1969、2006年1月10日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000283902017年11月24日閲覧 
  3. ^ 黒河貴矢選手 東京ヴェルディ1969へ期限付き移籍決定のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2006年1月11日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000284292017年11月24日閲覧 
  4. ^ 黒河貴矢選手期限付き移籍のお知らせ』(プレスリリース)東京ヴェルディ1969、2006年9月13日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000379412017年11月24日閲覧 
  5. ^ 黒河貴矢選手の契約について』(プレスリリース)清水エスパルス、2007年1月18日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000434122017年11月24日閲覧 
  6. ^ 黒河貴矢選手の移籍について』(プレスリリース)清水エスパルス、2007年3月20日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000458452017年11月24日閲覧 
  7. ^ 黒河 貴矢選手の負傷について アルビレックス新潟公式サイト
  8. ^ 黒河 貴矢選手の負傷について アルビレックス新潟公式サイト
  9. ^ 黒河 貴矢選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2017年1月10日http://www.albirex.co.jp/news/top_team/507992017年1月11日閲覧 
  10. ^ 黒河 貴矢 氏 愛媛FCアカデミー ゴールキーパーコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)愛媛FC、2020年1月28日https://ehimefc.com/topics/topic8444.html2020年12月30日閲覧 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]