1909年の相撲
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1909年の相撲(1909ねんのすもう)は、1909年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]- 東京相撲の常設興行場所として両国国技館が完成、6月場所から同場所で興行が行われるようになる。更に、この場所から初めて成績優秀者に対する公式な表彰が始まる。幕内の取組の総勝星が多い片屋に優勝旗が授与され、片屋の関脇以下の最優秀力士が旗手となった。また、東西通じての最優秀力士には時事新報社から写真額が寄贈された[注釈 1]。
- 2月1日、両国国技館開設にあわせて、申合規約を追加改正した[1]。
台覧相撲
[編集]5月27日、水交社にて海軍記念日の祝賀宴に皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が行啓、余興として相撲が披露された[2]。
本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[3]
- 興行場所:東両国元町
- 1月7日より晴天10日間興行
- 1月場所(大阪相撲)[2]
- 興行場所:難波新川土橋西詰
- 晴天10日間興行
- 5月場所(大阪相撲)[4]
- 興行場所:難波新川土橋西詰
- 晴天10日間興行
- 6月場所(東京相撲)[5]
- 興行場所:東両国元町
- 6月5日より10日間興行
- 東西対抗は89対59で東方勝利、旗手は高見山酉之助。個人優勝も高見山。
- 6月場所(三都合併相撲)[6]
- 興行場所:四条磧
- 6月20日より晴天7日間興行
その他相撲披露
[編集]- 6月2日 - 両国国技館開館式にあわせて幕内取組を披露[7]。
誕生
[編集]- 1月17日 - 番神山政三郎(最高位:前頭2枚目、所属:雷部屋→白玉部屋→八角部屋→鏡山部屋、+ 1982年【昭和57年】)[8]
- 3月1日 - 出羽ノ花國市(最高位:前頭筆頭、所属:出羽海部屋、第4代日本相撲協会理事長、+ 1987年【昭和62年】)[9]
- 3月6日 - 鳴海潟陸奥雄(最高位:十両9枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 4月1日 - 筑波嶺清平(最高位:前頭2枚目、所属:錦嶋部屋、+ 1948年【昭和23年】)[10]
- 4月20日 - 武ノ里武三(最高位:前頭14枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)[11]
- 7月29日 - 防長山源治(最高位:前頭11枚目、所属:出羽海部屋、+ 1971年【昭和46年】)[12]
- 8月5日 - 松前山熊義(最高位:前頭筆頭、所属:高嶋部屋、+ 1984年【昭和54年】)[8]
- 9月1日 - 25代木村庄之助(元・立行司、所属:中村部屋→二所ノ関部屋、+ 1991年【平成3年】)[13]
- 9月20日 - 大ノ濱勝治(最高位:前頭4枚目、所属:立浪部屋、+ 1979年【昭和54年】)[14]
- 10月1日 - 駒ノ里秀雄(最高位:前頭2枚目、所属:山分部屋、+ 1971年【昭和46年】)[15]
- 10月5日 - 佐渡ヶ嶌林蔵(最高位:前頭12枚目、所属:浅香山部屋→井筒部屋、+ 1955年【昭和30年】)[11]
- 10月31日 - 土州灘浪五郎(最高位:十両14枚目、所属:二子山部屋→二所ノ関部屋、+ 没年不明)
- 11月2日 - 小野錦仁之助(最高位:前頭11枚目、所属:小野川部屋→陣幕部屋→小野川部屋→陣幕部屋、+ 1948年【昭和23年】)[16]
- 11月20日 - 綾若真生(最高位:前頭5枚目、所属:千賀ノ浦部屋→出羽海部屋、+ 1989年【平成元年】)[17]
- 11月29日 - 松ノ里直市(最高位:前頭3枚目、所属:出羽海部屋、+ 1985年【昭和60年】)[18]
- 12月5日 - 武藏山武(第33代横綱、所属:出羽海部屋、+ 1969年【昭和44年】)[19]
- 12月13日 - 若港三郎(最高位:前頭3枚目、所属:富士ヶ根部屋、+ 1982年【昭和57年】)[20]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, pp. 224–215.
- ^ a b 酒井, p. 225.
- ^ 酒井, pp. 221–224.
- ^ 酒井, pp. 229–230.
- ^ 酒井, pp. 225–229.
- ^ 酒井, pp. 230–231.
- ^ 酒井, p. 226.
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 81頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 76頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 79頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 97頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 86頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 360頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 75頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 80頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 65頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 83頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 93頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 69頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 91頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。