1939年のNFLドラフト
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1939年のNFLドラフト | |
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日程 | 1938年12月9日 |
開催地 | ニューヨーク |
会場 | ニューヨーカー・ホテル |
指名数 | 22巡200名 |
全体1位指名 | |
カイ・オルドリッチ(C) | |
« 1938 1940 »
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1939年のNFLドラフト(1939ねんのNFLどらふと)は、1938年12月9日に開催された第4回目のNFLドラフト。ニューヨークのニューヨーカー・ホテルで開催された[1]。
ドラフト全体1位ではTCUのカイ・オルドリッチが指名された。2巡と4巡は5チームのみに指名権が与えられた。
ピッツバーグ・パイレーツは、1巡全体2位指名権をシカゴ・ベアーズに[2]、2巡全体11位指名権をブルックリン・ドジャースにトレードした。
1938年のハイズマン賞受賞者のデイビー・オブライエンは、1巡全体4位でフィラデルフィア・イーグルスに指名された。
この年指名された選手の中からシド・ラックマンがプロフットボール殿堂入りを果たしている。当時NFLドラフトに指名された選手の中には、プロフットボールでプレーする意志のない選手が多く、ラックマンもその1人であったが、シカゴ・ベアーズのオーナー、ジョージ・ハラスはラックマンをTフォーメーションのクォーターバックと期待して契約にこぎつけた[3]。ラックマンは、1939年から1950年までシカゴ・ベアーズでプレーし、137タッチダウンパスをあげ[4]、その間ベアーズは4回NFLチャンピオンとなった(1940年、1941年、1943年、1946年)[5]。137タッチダウンパスをあげた彼は、長年ベアーズのチーム記録保持者であったが、2016年にジェイ・カトラーが彼の記録を更新した。近年のNFLのようにパス全盛期となる前の時代の選手であった彼は、1943年にNFL記録となるシーズン28タッチダウンパスを記録した[4]。
指名選手一覧
[ソースを編集]1巡指名選手
[ソースを編集]指名順位 | チーム | 選手名 | ポジション | 出身大学 |
1 | シカゴ・カージナルス | カイ・オルドリッチ | C | TCU |
2 | シカゴ・ベアーズ | シド・ラックマン | QB | コロンビア大学 |
3 | クリーブランド・ラムズ | パーカー・ホール | バック | ミシシッピ大学 |
4 | フィラデルフィア・イーグルス | デイビー・オブライエン | バック | TCU |
5 | ブルックリン・ドジャース | ボブ・マクロード | バック | ダートマス大学 |
6 | シカゴ・ベアーズ | ビル・オシュマンスキー | バック | ホーリークロス大学 |
7 | デトロイト・ライオンズ | ジョン・ピンゲル | バック | ミシガン州立大学 |
8 | ワシントン・レッドスキンズ | I・B・ヘイル | T | TCU |
9 | グリーンベイ・パッカーズ | ラリー・ビューラー | バック | ミネソタ大学 |
10 | ニューヨーク・ジャイアンツ | ウォルト・ニールセン | バック | アリゾナ大学 |
2巡以降の主な指名選手
[ソースを編集]指名順位 | チーム | 選手名 | ポジション | 出身大学 |
11 | ブルックリン・ドジャース | クラレンス・マンダース | FB | ドレイク大学 |
12 | シカゴ・カージナルス | マーシャル・ゴールドバーグ | TB | ピッツバーグ大学 |
13 | クリーブランド・ラムズ | ゲイロン・スミス | FB | サウスウェスタン大学 |
17 | ピッツバーグ・パイレーツ | ビリー・パターソン | TB | ベイラー大学 |
20 | ブルックリン・ドジャース | ワディ・ヤング | OE | オクラホマ大学 |
24 | グリーンベイ・パッカーズ | チャーリー・ブロック | C | ネブラスカ大学 |
26 | ピッツバーグ・パイレーツ | ヒュー・マカルー | DB | オクラホマ大学 |
38 | ワシントン・レッドスキンズ | ディック・トッド | バック | テキサス農工大学 |
49 | グリーンベイ・パッカーズ | ラリー・クレイグ | E | サウスカロライナ大学 |
76 | シカゴ・ベアーズ | レイ・ブレイ | G | 西ミシガン大学 |
78 | ワシントン・レッドスキンズ | ウィルバー・ムーア | バック | ミネソタ大学 |
98 | ワシントン・レッドスキンズ | ジム・ジャーマン | バック | センター大学 |
103 | クリーブランド・ラムズ | チェト・アダムズ | T | オハイオ大学 |
118 | ワシントン・レッドスキンズ | スティーブ・スリビンスキー | G | ワシントン大学 |
134 | フィラデルフィア・イーグルス | フォスター・ワトキンス | バック | ウェスト・テキサスA&M大学 |
138 | ワシントン・レッドスキンズ | エリック・ティプトン | バック | デューク大学 |
148 | ワシントン・レッドスキンズ | ディック・ファーマン | T | ワシントン州立大学 |
155 | ブルックリン・ドジャース | ジョン・シーガル | E | コロンビア大学 |
158 | ワシントン・レッドスキンズ | クライド・シュガート | T | アイオワ州立大学 |
166 | シカゴ・ベアーズ | ソリー・シャーマン | バック | シカゴ大学 |
175 | ブルックリン・ドジャース | フェレル・アンダーソン | G | カンザス大学 |
191 | シカゴ・ベアーズ | アルド・フォーテイ | T | モンタナ大学 |
殿堂入り選手
[ソースを編集]この年のドラフトで指名された選手のうち、1名がプロフットボール殿堂入りを果たしている。
- シド・ラックマン - 1巡2位でシカゴ・ベアーズに指名された。1965年に殿堂入り。
脚注
[ソースを編集]- ^ Dan Salomone (2014年10月2日). “NFL Draft headed to Chicago in 2015”. ニューヨーク・ジャイアンツ. 2015年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月16日閲覧。
- ^ “100 moments for 100 years of the Bears: Chicago drafts Sid Luckman”. Chicago Now (2019年9月26日). 2020年7月16日閲覧。
- ^ Josh Katzowitz (2014年9月18日). “Remember When: Sid Luckman chose NFL instead of trucking business”. CBSスポーツ. 2020年7月16日閲覧。
- ^ a b Michael David Smith (2015年11月9日). “Jay Cutler passes Sid Luckman as Bears’ all-time TD pass leader”. NBCスポーツ. 2020年7月17日閲覧。
- ^ Scott Polacek (2016年11月). “Jay Cutler Passes Sid Luckman for Most TD Passes by a Bears QB”. ブリーチャーレポート. 2020年7月17日閲覧。