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西村恕彦

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西村 恕彦(にしむら ひろひこ、1935年3月15日 - 2019年12月23日)は、日本情報工学者。機械翻訳や、COBOLをはじめとするプログラム言語、情報処理に関わる用語、文字コード等の標準化を研究分野とした[1]

来歴

石川県金沢市に生まれる。父は旧制金沢医科大学(現・金沢大学)の医師であった。父の転勤により、富山市に移る。太平洋戦争中の1945年魚津市にある母方の実家に疎開した。富山市立芝園中学校の1期生となり、校章をデザインする。

東京都立両国高等学校を経て東京大学に進学。1958年東京大学理学部地質学科を卒業する[1]。卒業後は東京大学文学部心理学科大学院に進み、1961年に修了した(修士号取得)[1]

大学院修了後に日本アイ・ビー・エムに入社して、情報処理技術の業務に携わった[1]。1963年に通商産業省工業技術院電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)に入所する[1]。在籍中に工学博士号を取得した。

1969年、日本工業標準調査会臨時委員に任命され、情報処理全般に関わる規格の制定・標準化の仕事に関わる。

1978年4月、東京農工大学工学部教授に就任[1]。数理情報工学科の創設に参画するとともに、情報処理教育を担当した。1996年1月に脳内出血に見舞われて左半身が不随となり、車椅子の生活となる。1998年に東京農工大学を定年退官し、名誉教授となる。

2001年、情報処理学会フェローに選出される[1]

著書

共著・編著

  • 『定本 入門 COBOL』(植村俊亮との共著)オーム社、2012年
  • 『人文科学のFORTRAN77』(単著)東京大学出版会、1978年

賞典

脚注

  1. ^ a b c d e f g h フェロー 西村恕彦君 - 情報処理学会