「お母さん、大丈夫?

 あの…ヘンクツオヤジ…

 何を言っても、もうムダよ」

 長女の奈緒美が、母寧子に声をかける。

このところ、父良人の頑固さに、輪をかけたようになった。

それもこれも、病気のせいだ…と、わかってはいる。

不自由な身体を持て余して、自分でも怒っているのだ。

 

 定年間近の運命のあの日…

妻の寧子と共に、退職したら豪勢に、豪華客船の旅でもしようか…と、

話をしていたばかりだった。

「いっそのこと…半年ぐらい、旅でもする?」

「じゃあ…思いきって、スーツケースを新調しようか?」

楽しそうに、良人が言う。

「バッグを買ってもいい?」

寧子も、嬉しそうに応じる。

 服を買おう。

 あそこにも行こう。

 おみやげは…?

2人の中で、毎晩のように盛り上がっていたのだ。

 ところが…あと1か月で誕生日を迎えようという頃、良人は突然、風呂場で

倒れたのだ。

一時は2度と動けない…と宣告されていたのだが、奇跡的に持ち直した。

 

「こんなことなら、いっそのこと…あの時、逝ってしまった方が、

 よかったんじゃあないの?」

 いきなり奈緒美が、母親にささやく。

「何を言ってるのよ、お父さんのこと」

母寧子は絶句する。

本当は心の底で、チラリとでも思ってはいなかったのか?

彼女は自分の心のうちを、のぞき込む…

それを見透かすように、奈緒美は母親をじぃっと見ると、唇をゆがめ、

「お母さんも、そう思っているんでしょ?

 もしもあの時…」

重ねて言おうとする奈緒美に

「やめて!」

母寧子は、耳をふさいで、悲鳴を上げた。

 

 あの時、彼はその声を聴いた。

そして知ったのだ。

自分はもう…家族に見捨てられたのだ…

もうこのまま、いなくなってしまえばよかったのに…と。

 

「とにかく何とか…お父さんを連れて行くわ」

 このままじゃあいけない。

 みんな、ダメになる。

寧子はそう思う。

「無理でしょ」

眉間にしわを寄せて、奈緒美は母を見る。

「お母さん、そんなことを言ってて、大丈夫?

 あの人…絶対に、行かないわよ」

奈緒美はあくまでも、懐疑的なようだ。

「いくらその人がいい人でも…

 お父さんが、うまくやれるわけがないわ」

 すると目の下に、幾重にも隈を刻んだ寧子は、弱々しく微笑む。

「大丈夫!私にも、作戦があるのよ」

「まさか!」

信じられない…

奈緒美はまだ、しかめっ面をして母を見た。

「大丈夫、大丈夫」

ふふふ…

いきなり寧子が笑う。

(母さん、壊れた?)

気味悪そうに、奈緒美は母を見る。

「大丈夫よ、あなたには、迷惑をかけないわ」

キッパリと母親は言い切る。

そんな母のことを、疑うような目付きで、黙って見つめた。

 

 

 

 

 

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