前回の記事でも書きましたが、私は一旦、自分の作った障がい者グループホームから撤退することにしました。

 

障がい者と言っても本当にさまざまです。

 

不潔な人、不潔でない人。

 

臭い人、臭くない人。

 

不衛生な人、不衛生でない人。

 

素直な人、そうでない人。

 

穏やかな人、そうでない人。

 

盗み癖のある人、そんなことはしない人。

 

ホームの壁に立ちションする人、そんなことはしない人。

 

下の世話のいる人、いらない人。

 

拾いタバコみたいなことをする人、しない人。

 

ウソしかつかない人、そんなことはない人。

 

悪知恵の働く人、そんなことはない人。

 

気に入らないと役所に通報するなど、極端な行動に出る人、まさかそんなことはしない人。

 

一歩外では犯罪を犯す人、そこまで悪いことはしない人。


火事をおこしたことのある人、まさかない人。

 

精神病を持っている人、持ってない人。

 

ホームのルールどころか社会のルールさえ守れない人、それくらいは守れる人。

 

 

本当にさまざまです。

 

一つ一つを取り上げれば、そんな人いますよ、と簡単に言われるが、今あげたことをたとえば全て持っていれば、どうだろうか。

 

もしそんな人がいたなら、これは福祉の大ベテランで、それこそ百戦錬磨くらいの人が相手しなければ私みたいに潰されるのが当たり前ではなかろうか。

 

私も必死で耐えたが、何事にも限界というものがある。

 

Aを巡って、どれほど長男と壮絶なケンカをしたことか。

 

なぜこんな人を入れたのか、から始まって退去させろ、今はムリ、など何だの、、、

 

なぜケンカになるのか。

 

お金儲けで始めたのではない私と、悪く言えばお金目的から始まった長男と。

 

そもそものスタートも価値観も違うのだから、ケンカになって当たり前である。

 

 

一年間、よく耐えたと思う。

 

そしてやっと出した結論。

 

このホームは、長男にやることにした。

 

私が作ったのに、、、、私が代表であるのに、、、、

 

いいホームにしたかったのに、、、お花もいっぱい飾りたかったのに、、、

 

そういう悔しい未練や執着は、さっぱり捨てることにした。

 

私のお勉強は終わりました。

 

 

 

先週の先生の四季の励ましに、

自分の考えや感情に執着して「小我」の世界に閉じこもらず、大使命を自覚したとき、「小我」の殻は破られ、「大我」が開かれる、とありました。

 

Aに対して生理的嫌悪感を抱いて、長男と言い争いばかりをしていても、この殻は破られない。

 

とてもとても固い殻でした。

 

Aは腐ったミカンなのだから、箱から出さないといけないという思いしかなかった私には、この殻は破れませんでした。

 

なのでこの「小我」の殻を捨てるために、私はホームの全てを長男に託し、離れることにした。

 

これしか他に方法がないほど、私は「小我」の世界に押し込められ、追いつめられていた。

 

本当に苦しい一年でした。

 

何の意味があるのか、考えても考えてもわかりませんでした。

 

 

  

 

しかし、冷静に見てみれば、敵ながら?

Aに対して難なくこなしている長男も、それはそれであっぱれであると思う。

 

なぜなら、移動支援という散歩や買い物の同行をする、この道何十年の、それこそ大ベテランの地域の事業所の方が、

Aが利用したいとその事業所に電話をかけただけで、ギャ~と大騒ぎになり、助けて〜🆘と、長男に電話してくるくらいなのである。

 

Aは、この街ではちょっとした有名人なのである、もちろんいい意味ではないが。

 

そんな人を適当にあしらいながら、うまくさばいている長男は、スタートこそお金であったが、Aと相対したことで、一気に福祉の世界の階段を上って行った。

 

       

 

もう、私の手の届かないはるか向こうまで。

 

Aが入ってきた意味は、長男の成長という、こんなところにあったのかもしれない。

 

おかげで私はいい迷惑でしたが笑笑

 

しかし会社の今後を考えたとき、60代後半の私より、今後を担う長男が成長することの方がよほどいい。

 

そう、そうだよな。

 

やっと腑に落ちました😅

 

世代交代、バトンタッチですね。

 

 

 

さあしかし、私もまだまだ負けてはおれない。

 

ホームからは一旦撤退するが、おかん、さすがやな、と長男に言われるような生き方を示したいと思う。