自己紹介
以前から次男の思い込みの強さ、認識の歪みのようなものを感じておりなんとかならんかなーとソーシャルスキルで人と自分の考え方を学んだり、感覚統合の療育を受けて体のコントロールをすることで心のコントロールを図ってきました。
しかし、それは今日明日で効果のあるものではなく、少しずつの積み重ねで成長していくもの。その成長までがもどかしく、「何回言ったら通じるのー!?」って感じもありました。
その日は突然きたのです。
夜、歯磨きをしていた次男はトランポリンクッションで跳ねていて「危ないから歯磨き中は跳ねないでー」と声をかけていました。すると、近くに居た三男をうっかり蹴ってしまったようです。
それを見た長男は「だから、危ないって言ってたのに!!」と叱りだしました。叱られた次男は「わざとではないから許される!」と言い返しました。
「わざとではないから許すって言葉は加害者が使うものではない!お前は頭がおかしい!おれはお前の年にはそんなこと分かっていた!」と更に強く長男は言ったのです。
長男のこういう正義感のあるところ「正しいことを正しいといって何が悪い」というところ。素敵な部分でもあるんですけれど、他にも伝え方ってあるよね?と繰り返し話しているところです。
そして、次男の加害者なのに「わざとではないから許される」と言っちゃうところ。本当に考え方の違い。捉え方の違い。この目で見えない心で感じるところが難しい。どうしても間違えることや指摘されることの苦手とする次男ならではの考え方なんだろうけれど。
私も「わざとではないことはわかるけれど、実際にあたってるからね。それについては謝るべきだよ。長男の言っている通り『わざとではないから許す』っていうのはやられた側が言う言葉であってやっちゃった方がいうのは違うと思うよ」そう話すと黙り込んでしまいました。
あら?へそを曲げてしまったか?怒っちゃったか??
しばらくクールダウンの時間を置いて次男に「お母さんと長男に言われて2人に責められたみたいになったよね?ごめんね」と話しかけてみると首を横に振り、
「でも、みんなそうらしいわ。」そう悲しそうな顔をして言いました。
あぁ、この子は気づいてしまった。他人との考え方の違いを。
「どうせ、みんなおれから離れていく」
次男の心の痛みを感じて泣きそうになりました。みんなと違うことは悪いことではない。でも、どうしても理解の仕方、人と関わることでその違いが出てしまい指摘されてしまう。
人を愛することができる次男。人に愛される次男。いろんな考えがあるのを知り、優しい気持ちがある次男はきっともう少しうまく他人と関われるはず。
傷ついている次男に「そうかなぁ。そんなことないと思うけど」とふんわりとしか返事できなかったことが悔やまれます。
長男も小4くらいに他人と自分の違いに気がついていました。
「おれは他人より頑張っても、同じようにできない。他人はそんなに頑張ってないのにおれよりできる。」
知的障害のない発達障害。理解力もあり、気付きも多くなってしまう。自分のできないこと、他人のできていることに目がいってしまう。
そんな時に「こんな自分でもいいじゃないか」と自分を愛せる人になってほしい。私は二次障害と言われる鬱などの精神疾患も危惧している。
絶対に防げるなんて自信はないけれど、あなたたちはお母さんから愛されて必要とされている人間なんだよと伝えていきたい。
心も体も成長期に入っているようです。
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