参拝日:令和6年(2024年)9月25日
永平寺から車で40分、
勝山市の山の中、初めて行きましたが素晴らしい苔の神社でした。
第2駐車場に駐車。
駐車場は環境維持協力金300円です。
参道を3,4分歩きます。
常夜燈
村の若者が「良いお嫁さんをもらえるように」と願いを掛けて石をひろい常夜燈の傘の上に向かって投げたと言います。
傘の上に石がのると願いが叶うそうです。
精進坂
菩提を求めて身を清め慎むということで「精進坂」と呼ばれてきました。
一の鳥居
参 道
手水舎
二の鳥居
鳥居は一向一揆で消滅しましたが、1778年(安永6年)に再建されました。
中央の額には「白山三所大権現」と書かれており、中御門天皇の皇子・天台座主・公遵法親王の筆と伝えられています。
鳥居の中央に屋根がついているのはこの額を護るためです。
額内の三所とは白山の御前峰、大汝峰、別山 を指しています。
拝 殿
正面の額に「中宮平泉寺」とある拝殿は、江戸時代に作られた寄棟檜皮葺(よせむねひわだぶき)で平安時代の風情を残しています。
1574年(天正2年)の一向一揆で全焼する前の拝殿は、幅が46間(およそ83メートル)あったようで京都の三十三間堂より大きな建物でした。
左右に点在する礎石が当時の大きさを物語っています。
拝殿の中には十数面の絵馬があり福井藩主松平家の奉納品が多く、ほとんどが勝山市の文化財に指定されています。
その中でももっとも古い絵馬は1598年(慶長3年)のものです。
本社(御前峰御本社)
白山の主峰である御前峰の神・伊弉諾尊(いざなみのみこと)をお祀りしています。
本社は1795年(寛政7年)に第12代福井藩主・松平重富により再建されました。
総欅(そうひのき)の入母屋造榑葺(いりおもやづくりくれぶき)。
外観は白木造りですが、内部は美しく彩られています。
御本社を中心に右に別山社、左に越南知社を配するのは、白山を構成している3つの山と神々をあらわしています。
今は失われていますが、中世から近世にはさらに金釼社(かなつるぎしゃ)と加宝社(かほうしゃ)が加えられ、五社が整然と立ち並ぶさまは壮観であったことでしょう。
本社の内扉は33年に一度開けられます(御開帳)。次の御開帳は2025年(令和7年)5月です。
越南知社・別山社
三之宮へ
参 道
こちらの参道めちゃくちゃきつかったです。
去年の戸隠神社奥社を思い出しました。
楠木正成の供養塔
かつてはここに三之宮の拝殿がありました。
楠木正成の甥の恵秀律師(えりゅうりっし)がこの拝殿でお勤めをしていると楠木正成が鎧甲の武者姿で目の前に現れたので、恵秀律師が不思議に思い調べてみると、この日に正成が湊川の合戦で戦死していたことを知ります。
その後恵秀律師は供養の石塔を建てました。1336年(延元元年)建立。
1574年(天正2年)の一向一揆の時に拝殿は焼失し、この石塔も一部失われましたが、1668年(寛文8年)に福井藩主松平光通の奉納により補修して周囲に玉垣をもうけました。
三之宮
祀られているのは、栲幡千々姫尊(たくはたちぢひめのみこと)で安産の神様として知られています。
参拝するとお産が軽くなるといういわれがあり、お参りの帰りに社務所で腹帯を求められます。
苔の庭
素晴らしい苔庭でした。
小松にも素晴らしい苔の神社が有ります。
白山神社社務所(旧玄成院)
参拝後、一の鳥居左手の社務所で御朱印を頂きました。
と言うか無人でした。
朱印料は200円でした。(2024年9月現在)
平泉寺白山神社は、福井県勝山市平泉寺町平泉寺に鎮座する神社。
白山信仰の越前国側の拠点として、仏教僧の泰澄により717年に開山されたと伝えられ、後に比叡山延暦寺の末寺となって栄え、明治時代の神仏分離までは仏教寺院霊応山平泉寺だった。
その歴史や出土品などは白山平泉寺歴史探遊館まほろばで展示紹介されている。 ウィキペディア
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