トイレを性別で分ける防犯上の意味
はじめに
少し前の8月17日に、「性別のない作家」山崎ナオコーラによるツイートがちょっとした物議を醸した。氏の「性別でトイレを分ける必要があるのか」、「私はトイレを性別で分けなくてもいい派でして」と問題提起した下記ツイートがそれだ。
山崎氏のツイートは削除されてしまったが、引用リプライが沢山つき、温度感の高い反応が多かった。「女性の安全を考えて欲しい」、「『LGBT』でトイレ利用をひとくくりにしないで」という旨のツイート等があった。
しかし「トイレを性別で分けなくてもいい」は、「インテリ」の間ではそれほど「異端」な考え方ではない。現在のジェンダー学では、「性的指向・性自認で多数派の男性/女性」「障害のない人」といった「マジョリティ」が享受する「特権(労なくして得ることができる優位性)」を問題視する。そして「マジョリティ男性/マジョリティ女性」というジェンダー二元論は、「特権」の維持温存を支える悪しきものであるから、解体するべきとされる。
このため、事情が許せば「トイレを性別で分けない方が良い」という信条は、ジェンダー学ではむしろスタンダードな見解だろう。
例えばICU(国際基督教大学)では2020年、「多くの学生が使う『本館』の1、2、3階の中央にある大きなトイレが、すべてオールジェンダートイレに改築され」た。学生部長としてこのプロジェクトに携わった加藤恵津子教授は、ICUのジェンダー研究センターに2004年の設立当初から携わった人物で、文化人類学、ジェンダー/セクシュアリティ研究を専攻(*)。このような思想からオールジェンダートイレへの改修を行った(*)。
加藤教授によると、「男性用小便器を作らないことが一番のジェンダー平等」(*)であると考え、もともとは小便器も廃止しすべて座るタイプの個室にする予定だった。
こうした世の中の変化に対し、生物学的性別や身体的差異を重視するジェンダー・クリティカル(GC)系の人々は、「身体が女性」である人のみが利用できる「安全な」トイレが、廃止されたり防犯機能が弱まれば、盗撮などの性犯罪が増加すると懸念。また男性に排泄音などを聴かれる事も嫌で、尊厳が保護されるべきだ…と主張する。
防犯 vs 包摂性という論点1(犯罪統計的事実)
手短にまとめると、この話には防犯 vs 社会的包摂 social inclusion(「特権」のないマイノリティをいかに支援するかという観点)という対立がある。「そんな対立は無い。疑似問題だ」と言いたい人もいそうだが、順を追って話そう。
身体的特徴より性自認(自分の事を男だと思うか女だと思うか)による自己決定権を優先する思想(ここでは「性自認優先主義」と呼ぶ)の人々は、トイレを男女性別二元論で区切る合理的根拠は、特にないと考える傾向にある。
性自認優先主義者は論理展開のなかで、「同性間」の性犯罪の存在を強調することがある。例えば「同性同士の性犯罪もある」、「性別で2つに区切って『異性は危険で同性は安全』てのは思い込みだ」というツイートを取り上げよう。確かに、もしも男女の性犯罪傾向に大差がないのならば、トイレを男女別々に隔離する防犯上のメリットは薄いことになる。
実際はどうなのだろうか。これが、大差大ありだ。
警察庁の統計データ(2019, 2020年)によると、男性の性犯罪被疑者の数は、女性の性犯罪者数の、じつに150~290倍である。割合で言い換えると、性犯罪者の99.45%が「男性」である。「女性」の性犯罪者は少数で、全体の0.55%を占める。
被害者はどうだろうか。加害者とは男女比が逆転する。認知件数をみると、女性は男性よりも20~30倍、性被害に遭いやすい。全体に占める割合で言えば、性犯罪被害者の96.44%が女性である。
結論として、男性は女性の150~290倍も性犯罪を行うリスクが高い。したがって男性にたいして女性が抱く警戒心を、単なる「思い込み」に過ぎないと断じることは、女性の性被害を矮小化することだ。これは、自衛隊における性犯罪告発が大きな共感を集めるような、現在の道徳的トレンドと衝突する信念だろう。先端的なジェンダー観は、時として反動的になってしまうのだろうか?
トイレにおける性犯罪の具体例
統計上は述べた通りとして、トイレでいかなる性犯罪が起きているのか。日本のトイレで起きた盗撮事件を、「データをいろいろ見てみる @shioshio38」氏制作のWebツール「マスコミツイート横断比較」を利用し探索した。この結果、「トイレでの盗撮」事件は月に1回程度のペースで、次のようなニュースの見出しになっている。
ぱっと見、「女子トイレ」でも盗撮が起きている事が多い。このため「男女別トイレでも盗撮は起きるから、男女共用化しても同じこと」という主張に応える必要がある(後述)。
盗撮ほど頻繁ではないが、トイレでの女性に対するわいせつ行為も報じられている。(※ただし「男子」もしばしば被害に遭っている。)
このように、ニュースとなった事件だけでもかなりの高頻度で、トイレでの性犯罪が起きている。加えて性犯罪の8割以上は被害届が出されず、警察は認知できていない、とも言われる。つい先日も、「マックの女子トイレで盗撮 エアドロップで店内に動画拡散 容疑で大学生を逮捕」というニュースが話題となった。大多数の女性や子どもにとって、トイレは警戒するべき空間であるようだ。
防犯 vs 包摂性という論点2 (防犯対策の専門家の見解)
では、トイレの防犯対策をどうする事が合理的なのか。犯罪学者や大手警備会社は、後述するように「トイレを男女別に物理的に分ける」べきことを主張する。性自認優先系ジェンダー思想とは対照的だ。防犯のプロの見解は、先ほど見た犯罪統計とも(プロなので当然)整合する。
統計を思い出そう。性犯罪者の99.45%が「男性」である。性犯罪被害者の96.44%が女性である。したがって、もしも仮に「女性のいる空間」に対する「男性」の物理的接近を完全に防ぐことが出来れば、性犯罪は約96%減るだろう。言い換えると、100人となるであろう被害者を、4人まで減らせる。例えば、トイレで男性や盗撮カメラが女性の3メートル以内まで近づくと、男性や盗撮カメラがバーンとトイレの場外まで吹っ飛ばされる。そんな性別バリアのような装置があれば、性犯罪は約96%減る。もちろん、これは机上の空論だ。
だがこの思考実験から、トイレにおける性犯罪を効果的に減少させるために、「男女を一緒にすること」ではなく、「男女を別々にすること」こそが必要であると分かる。
厄介なことに、そんな都合のいいバリアは無い。このため「女性用トイレ」でも盗撮や強制わいせつ事件が起きる。女性用トイレから男性を排除する機能が、不完全だからだ。逆を言えば、男性を排除するべきタイミングで排除できる防犯上の機能を備えるならば、「女性用」でも、「オールジェンダートイレ」でも何でも構わない事になる。
防犯のプロの見解を見てみよう。犯罪学者の小宮信夫は、トイレでの犯罪は「多目的トイレ」が「いちばん多い」と語る。
記事で小宮氏はこう述べる。「トイレの犯罪でいちばん多いのは、女性の後ろからついていって、多目的トイレに連れ込むというパターン」。「そんな事件が起こらないよう、男女のトイレの入り口はできるだけ離し、多目的トイレは男女のトイレの中にそれぞれ設けることがグローバルスタンダードになっている」(*)。
男女分離設計にするメリットは何か。「入り口が一つだったら、後ろから男性がついてきても、何も違和感を感じない。一方、入り口を離しておけば、女性の後ろから男性がついてきたらおかしいと思うわけです」。
小宮氏が述べるトイレの防犯設計・運用思想は、<見た目が男性っぽいか女性っぽいか>という既存のジェンダー二元論に基づくものと言えよう。その上で利用者(主として女性)に対しては、「男性」っぽい人の振る舞いに感じる「違和感」を手掛かりとした、自衛を要請する。(ルッキズム!)
この防犯設計・運用思想は、<人を見た目で判断せず、性自認で判断するべきだ>という性自認優先主義と折り合いが悪そうだ。あるいは「物事には原理原則を引っ込めるべき場面もある」と理解できる柔軟な人物ならば、折り合いを付けられるかもしれないが。
言い換えると、ジェンダー思想論者からは「マイノリティ差別的/排除的」だと非難されかねない設計と行動が、トイレにおける合理的防犯対策とされる。
周知の通り、合理性と差別性は必ずしも対立しない。防犯効率の点で「合理的」であると同時に、設計と行動が「差別的」と見なされる場合がある。逆に言えば「反-差別的」であると同時に、個人が性犯罪リスクに対して自衛するためには「非-合理的」(役に立たないもの)で、個人に性犯罪に遭うリスクを押し付けてしまうような、思想や主張もあるだろう。(自己責任論だ)
なお好評とされるICUのオールジェンダートイレでさえも、「盗撮」や「盗聴」を防ぐ防犯設計がなされていた。
大学という、顔なじみと人の往来が多い環境では、連れ込み・わいせつ行為の危険は相対的に、少ないと思われる。そのような大学構内のオールジェンダートイレであっても、盗撮・盗聴対策をした防犯設計が必要だった。
また警備会社大手ALSOKの記事の考え方に依拠するなら、ICUにあるような密閉性の高いオールジェンダートイレは、屋外など立地によっては危険である。周囲の人通りがまばらだったり薄暗い公衆トイレで、なおかつ気密性の高いオールジェンダートイレを設けると、性犯罪者による連れ込み・わいせつ行為に脆弱となるためだ。ICUトイレに関しては「入ってみると、全体的に広々としていて明るい!」という使用者コメントがあった(*)。しかし気密性が高く、スペースが広いことは、公衆トイレで連れ込まれる犯罪リスクの点ではマイナスと言える。
また上記ALSOK記事は、犯罪学者の小宮氏と同様の方向性で、「男女共用トイレ」に「犯罪者が侵入しやす」い点をも問題視する。「なお、男女共用トイレは犯罪者が侵入しやすく、危険性が高いといわれています。なるべく使わないようにしましょう」。こうした犯罪専門家たちの知見は、やはり山崎ナオコーラ氏のような「トイレを性別で分けなくてもいい」という反-男女二元論思想とは、折り合いが悪い。
結論
まとめると、必ずしも「男女別トイレなら安全」というわけではないが、一般に男女別トイレより男女共用トイレの方が危険なようだ。またICUのオールジェンダートイレのように、盗撮・盗聴対策を施した気密性の高いトイレは、大学ではよくても公衆トイレとしては危険になりうる。つまりどんなトイレ設計にも一長一短がある。いかなるトイレ設計が良いかは、それぞれの環境や使用方法次第であると言える。
小宮氏は言う。「日本には、〝犯罪を誘発する場所を減らす〟という発想がない。犯罪が起きたら、犯人を罰するだけですべてを終わらせてしまうんです」(*)。トイレの防犯設計は、考慮しなくてはならない。
防犯対策と新しいジェンダー観とで、地に足の着いたすり合わせをする必要があるのだろう。
【補足】なお「統計上の犯罪率の高さを基準に、男性を隔離・排除することは、直球の差別ではないか。アメリカの有色人種に同じことを言えるのか」という意見もあるだろう。「リベラル」主流派の見解では、日本人男性は「マジョリティ」なので、女性専用車両などは差別にあたらないとされる。
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