Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』を少しずづ

ウンベルト・エーコ著『薔薇の名前』を少しずつ再々読しています。


薔薇の名前〈上〉
( 原タイトル:Il nome della rosa, 1980 )


本作は、1980年イタリアで出版されて以来ベストセラーとなり、各国に翻訳され、世界中で人気を博した小説であります。

私は最初、映画を観てハマり、小説に手を出したものの、歴史や神学、哲学、西洋古典の背景知識がないとかなり難しいと感じました。

しかし、この物語をひとことで言い表すなら、中世北イタリアの僧院で起こった謎の連続殺人事件ということで、

単純にミステリーとして楽しめるし、個人的にはボルヘスに通じる盲目のホルヘや、迷宮文書館の神秘を探ってみたくなります。

バベルの塔を思わせる「ごたまぜ言語」もまた面白く、何度読んでも新たな発見があります。

スローテンポで上巻を読み終えたところで、ひと休みして、エーコ自身が記した覚書、そして訳者含む様々な解説を、再び読んでいます。

本作は、見習い修道士アドソがラテン語で記した手記を、マビヨン師が語り、修道士ヴァレによってフランス語に訳され、さらに著者がイタリア語に訳したという設定になっています。

「覚書」で、著者はこのことを第四レベルの容器に入れたのだと述べています。

つまり書物というものはどれも、すでに語られた話を物語っているのだと。

これはボルヘスも同じようなことを言及していたなあ~と思い、ますます面白くなってきました。

いろいろ書きたいので、続きはまた次回......。

De Anima『魂について』アリストテレス

アリストテレスの『魂について』

なんだかそばに置いておきたくて、古本で購入しました。



原タイトル Aristotelis De Anima



ラテン語では『デ・アニマ』といいます。

素敵な響きですね~。

難しんだけど、とても読みやすい哲学書です。

訳者解説では、

「これほど思想史上に出ずっぱりの書物も珍しい」

「現代においても、心について考えるために「アリストテレスの復帰」が求められたりもしている」

と述べられていて、現代でもなお読み継がれています。

初めて読んだのは、カズオ・イシグロの『クララとお日さま』を読んだあとでした。

魂とはどのようなものか、

心はどこにあるのか、

生きているとはとはどういうことか、

ということを知りたくて読みました。

本書はアリストテレス講義ノートのようになっていて、考える道筋を示してくれています。

日々、なにげに感じ、考えることが、

魂と心にどう結びつくのか、

テーマごとに、ひとつひとつ解説されています。

難しいことはわからなし、

読んだからと言って、なにか明確な答えが出せるようなものでもありませんが、

繰り返し読んでみたくなるような、

大切な一冊になりそうです。

「素朴な人(純な心)」フローベール『三つの物語』より

「素朴な人」(または「純な心」Un cœur simple )は、
『三つの物語』(Trois Contes)に収録されている短編小説である。
「聖ジュリアン伝」(La Légende de Saint Julien l'Hospitalier)と
「へロディアス」(Hérodias)の3つが含まれていて、
いずれも1875~1877年 に書かれたギュスターヴ・フローベールの遺作である。
「素朴な人」はその名の通り、尊いほど純粋な主人公フェリシテが、未亡人オーバン夫人に仕えた半世紀の物語。





あらすじ

フェリシテは少女時代、両親を相次いで亡くし孤児となった。ある小作人のもとで働くことになるが、つらい経験ばかりだった。そのうえ唯一恋した男性にも裏切られ農場を去る。その後オーバン夫人の召使として雇われ、生涯かけで身をささげる。決して感じが良いとはいえない夫人を支え、とりわけ二人の子供たちには愛情を注いだ。また甥(姉の子)に再会すると、同じように世話を焼き彼らのために奔走した。しかし娘と甥が次々に死んでいく。悲しみを埋めるために鸚鵡(オウム)をプレゼントされるが、ある日オウムがいなくなると、フェリシテは無我夢中で町中を探した。見つかったオウムは間もなく死んでしまい、彼女は心身ともに壊れかけ寝込んでしまう。そんなに悲しいならオウムを剝製にしてもらったら?というオーバン夫人の勧めで剥製にしてもらう。そのオーバン夫人もついに病に苦しみ逝去する。愛するものを全て失ったフェリシテは、悲しみと孤独を癒すため、オウムの剥製を神聖化するようになる。キリスト教の聖体行列の光景を夢見ながら、オーバン夫人の屋敷で死を迎える。死ぬ間際、フェリシテが見たものは、空が開かれていく瞬間と、自分を包み込もうとするオウムの大きな羽だった。

感想

度重なる不運に苛まれるフェリシテであったが、どんな時も彼女は小さな喜び見つけて生きていた。とくにオウム存在は彼女の最大の癒しであった。オウムは人の言葉をおぼえ反復する能力がある。自分が発する言葉をオウムを通して再び受け入れることで、言葉の重みを感じていたのだと思う。正常なコミュニケーションがとれているとは言えないが、それでも心は通じ合っていると思うことで喜びを感じていたのだろう。


そこで、ふと思い出した聖書のことばがある。

人はパンだけで生きるものではない
(マタイによる福音書 4:4)

これは、イエスが40日間断食したときの、サタン(悪魔)との会話に由来する。
サタンは空腹なイエスにこのように誘惑した。
「(あなたが)神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」

するとイエスはこう返した。

人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。

と。いくら食べ物(パン)があっても、人はそれだけでは生きていけない。神の言葉によって生きることができるのだ。という教えであるが、まさにこの物語のオウムの言葉は、フェリシテにとって神の言葉だったに違いない。オウムが反復する「アヴェ・マリア」や「フェリシテ」という言葉に、どれだけ励まされたことだろう。オウムはまさしく愛の象徴だったと私は思う。無学だったフェリシテは、オーバン夫人の娘とともにキリスト教を学び信仰を始めたのだった。オウムは剥製になっても「聖霊」と化してフェリシテを励まし、寄り添い続けた。感動的な最期だった。


フローベールといえば『ボヴァリー夫人』だが、私はまだ読んだことがない。解説によると、フローベールは友人の女流作家ジョルジュ・サンドに、次はもっと憐れみの情が滲み出るような作品を書いてみてはどうかと勧められ「素朴な人」を書き始めたという。しかし作品の完成をまたずに友人は逝去した。フロベール自身も『ボヴァリー夫人』で植え付けられたイメージ、すなわち冷徹で意地の悪い観察眼というものを払拭したかったという。次は『ボヴァリー夫人』読んでみたいと思う。

『パイの物語』ヤン・マーテル

カナダの作家、ヤン・マーテルの『パイの物語』( 原タイトル Life of Pi , 2001 ) を読みました。パイというのはお菓子のパイではなく、主人公16歳の少年の通称です。本作は2002年に英国のブッカー賞を受賞し、2012年には映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』が公開されました。




映画のタイトルが示している通り、この小説は、インドの少年パイと、ベンガルトラ(リチャード・パーカー)の、227日に渡る漂流物語であるが、それだけでは終わらない。漂流物語は、主に第二部に集中しているため、第一部と第三部は一見無意味に感じられるが、全てを総合的に読むことで、解釈の幅が広がるように仕組まれている。読み終えたらまた最初に戻って「覚え書きとして」を読み直してみることをおススメする。


始まりは、カナダの作家が小説のネタ探しにインドへ渡った際に出会った老人に「あんたが神を信じたくなるよう話を知っているよ」と、言わたれことに端を発する。その話の張本人というのが、現在カナダに住んでいるというパイであった。作家はカナダに戻り「パイの物語」を聞き、それを小説にしたという、なんだか回りくどい背景がある。


第一部では、少年パイのインドで過ごした日々が、ゆったりと描かれている。父が動物園を経営していたので、パイは動物学や宗教に関心をもっていた。異例ともいえる3つの宗教(ヒンドゥー教キリスト教イスラム教)を同時に信仰していた。やがてインドの政権に不満をっていた父が、家族と動物をつれてカナダへ移住することを決意する。第一部は、わりと平和で宗教的な話が心地よく、私の好きなパートである。しかし悠長に読みすぎてしまい、後から伏線のようなものを探しに戻ることが何度かあった。


第二部は、メインである漂流物語となっている。カナダへ向かう途中、日本の貨物船ツシマ丸は沈没してまった。救命ボートに乗せられたのは、パイと、トラ(リチャード・パーカー)、オラウータン、ハイエナ、シマウマだった。シマウマは足を骨折していて、ハイエナに食べられてしまう。それを見たオラウータンはハイエナを襲うが、逆に食べられてしまう。しかしハイエナは結局は最強のリチャード・パーカーに食べられてしまったのだった。家族もみんな死んでしまったため、残されたのはパイとリチャード・パーカーのみ。そこから227日間、命がけの漂流の旅が始まる。頭のいいパイは、リチャード・パーカーを手なずけ、距離を取り、食料を確保し、なんとか生き延びようとするが、照り付ける太陽と飢えで、疲労が限界に達する。途中たどり着いた島はミーアキャットの群れがいる人食い島。再び海に出て、次にたどり着いた島がメキシコの海岸だった。ここでリチャード・パーカーは振り向きもせず、森の中へ消えてしまった。パイは一人きりになり、現地人に救助される。


第三部は、日本人オカモト氏が、ツシマ丸沈没の唯一の生存者であるパイに取材をした時の音源を頼りに、作家が文字お越ししているという設定(これもまわりくどいが、その意味するところは?)。パイは取材に対して、トラとの漂流話をするが、オカモト氏には信じてもらえない。それならと、全く別のアナザーストーリーを作り語ったのだ。


彼と救命ボートに乗ったのは動物たちではなく、船のコックと、台湾の水夫がひとり、そして母親だった。そこで展開された出来事は、吐き気がするほど悲惨なものだった。詳細は割愛するが、よくよく読んでみると、あのとき救命ボートで繰り広げられた、動物が動物を食うということを、人間同士がやっていたのだった(シマウマ→台湾水夫、オランウータン→母、ハイエナ→コック、トラ→パイ という構図)。つまり真実は後者のほうで、パイは悲惨な出来事に蓋をするために、人を動物に見立てて「パイの物語」を創作した可能性がある。


どちらの話なら信じてもらえるというのか? 動物バージョンか、人間バージョンか? パイは正直にオカモト氏に突き詰める。オカモト氏が選んだのは、動物バージョンだった。すなわちオカモト氏も同様、悲惨な現実に目を背けたかったのだ。信じられないほうを、あえて信じようとした。神を信じたくなくなるような話とはこのことだ。オカモト氏は「動物バージョン=真実=パイの物語」だと結論づけた。嘘だとわかっていても、これはパイのためでもあった。パイの心を傷つけないよう、今後強く生きていけるよう、彼なりの配慮だったかもしれない。


*******


なにかを話せば、必ず物語になる。
なにかを語るということは、すなわちなにかを創作すること。
人生は物語にすぎないのだから。


パイは、こんなこともいっていた。

救助されること以外でぼくが何より欲したのは本だった。
決して終わることのない長い長い物語の本。
何度でも読み返すことができて、
そのたびに新鮮で新しい発見がある本。


彼には物語が必要だったのだ。なにも持ち合わせていないなら、自分でつくればいい。そうすることで精神的な支えが得られると知っていたのだろう。それは、困難な状況においても希望や慰めを求める人間の本能だ。3つの宗教はどうだったか。どの神も救ってはくれなかった。神を愛することは辛い、しかし愛そうとすることで慰めにはなっただろう。


生きるか死ぬかの究極を迫られたサバイバルにおいて、パイの精神力は尽きかけていた。眠ろうとすれば現実の夢とが混ざり合う。そのためだろう、パイが作った物語は断片的なエピソードが組み合わさり、日記調になっていたのが印象的だった。


第三部のパイの話に、どんでん返しをくらったが、取材をしたオカモト氏とその部下の態度にも面食らった。つらい過去の出来事と、取材時のブラックユーモアは、相反するものに思えるが、これこそがこの物語の本質ではないかと思えてくる。


どんな証言(物語)を話しても、沈没した原因はわからないし、家族も戻ってはこない。言い換えれば、どちらの物語でも船は沈み、家族は死ぬ。結果が同じなら、たのしい物語のほうがいいじゃないか。宗教と同じく選択肢はひとつでなくてもいいのだから。


重要なことは、自分の経験が人々に影響を与え、記憶に残るものであってほしい。そこに魂を感じてもらえたら、こんなに嬉しいことはない、そんなパイからのメッセージが聞こえてくるような最後だった。


『ウールフ、黒い湖 』ヘラ・S・ハーセ

オランダ文学を読んだのはおそらく初めてです。ヘラ・S・ハーセの『ウールフ、黒い湖 』( 原タイトル:Oeroeg, 1948 )は、オランダ領・東インド(現インドネシア)のバタヴィア(現ジャカルタ)を主要舞台にした小説です。そこはハーセさん自身が生まれ育った場所でもあります。美しい原風景をもとにしたノスタルジーがリアルに息づいていて、おもわず惹きこまれます。そこで起こる運命に翻弄されながら、二人の少年がかわした友情と、決別の物語です。


ヘラ・S・ハーセさん(1918-2011)は、2004年にオランダ文学賞を受賞されていて、非常に知名度の高い作家さんです。なかでも『ウールフ、黒い湖 』はベストセラーとなり、オランダではどの家庭にも必ず一冊はあるような不朽の名作です。今なお重版が続いていて、現在12か国に翻訳されていますが、今後もさらに他言語に翻訳される予定とのこと。


日本語に翻訳されたのは、初版から約70年の時を経た、2017年のことでした。あたりまえですが、遠い国の文学がどんなに優れていようと、言語を介してくれる人がいなければ、私たちはそれを読むことができません。ハーセさんは他にも多くの小説を書かれていますが、邦訳されているのは本作だけです。ほかの小説も是非読んでみたくなったので、今後の翻訳活動に期待したいです。



素晴らしい少年時代

ウールフは、ぼくの友だちだった

という冒頭文からは、ウールフというのは人名で、ぼく(語り手)の友人であった(が、今はそうではない)ということがわかる。それに加え、日本語タイトルは「黒い湖」が付け加えられていることもあり、これらは非常に暗示的である。


二人は同い年で、生まれたときから家族ぐるみの付き合いだった。現ジャカルタ近くにあるクボン・ジャティで、農園の管理をしている父と、音楽活動をしていた母との間で生まれたのが「ぼく」である。オランダ人でオランダ語を話す。一方ウールフは、原住民の一族で育ちスンダ語を話す。ウールフの父は、農園の手伝いをしていて、母親同士は仲が良かった。かれらが交流するときはおそらく現地のスンダ語を用いていたと思われる。


二人はいつでも一緒だった。ある事故でウールフの父が亡くなったり、「ぼく」の母が家庭教師と永遠の旅に出てしまったり、二人して片親喪失という運命にさらされるのだが(ある意味孤児となるが)、二人でいれば寂しさが紛れた。従業員の青年へーラルドが来てからは、冒険好きの彼と一緒に行動することが多くなった。原生林での大自然を肌で感じながら、さまざまなサバイバル体験をする。まるで自分たちが神話の中の英雄になったような気分になり、クボン・ジャティは、二人にとってかけがえのない原風景となったのだ。


黒い湖が象徴するもの

森の奥深くにある黒い湖(タラガ・ヒドゥン)は、この物語全体を通して象徴をくりかえす。死霊が集っているような不気味な湖は、表(水面)は金緑色に輝いたり、暗緑色になったりする。反対に裏(水底)は血塊のように赤くくすんでいる。この血塊はときどき「ぼく」の前に現れ苦しめる。もしかするとウールフの父の亡霊なのだろうか。なぜならウールフの父は、この湖で溺れそうになった「ぼく」を助けようとして、水草に絡まり溺死したのだ。


黒い湖は、ウールフの目にも例えられている。大人になり、二人が決別する場面ではこのように描写されている。

その目はタラガ・ヒドゥン(黒い湖)の水面のように黒く光り輝き、同時に、奥底に秘めたものを明かすまいといているかのようだった
(P.124)

黒い湖は、ウールフ自身であった。「ぼく」は、ウールフのことも、この国のことも、はなにもわかってなかった。黒い湖の水面のように知っていただけだった、と振り返っている。

トルコ帽が象徴するもの

リダというオランダ女性が、ウールフの支援をするようになってからは、彼に自立心が芽生えてくる。頭が良かったウールフはMULOという国際色に富んだ高校へ進学し、身なりは西洋風で、オランダ語しか話さなくなった。トルコ帽もかぶらず、自分はアメリカに行くのだと話していた。トルコ帽は当時イスラム教徒の間で流行していたアイテムであり、その帽子を脱ぐという行為は、イスラム教脱却の意志を示す。


しかしアブドゥラーというアラブ系の友人ができてからは一変し、再びトルコ帽をかぶる。トルコ帽をかぶることや脱ぐことは、政治的な象徴として重要な意味を持っていた。アブドゥラーと一緒にNIAS(オランダ領東インド医学学校)へ進学することを決めたが、学費はオランダ政府の奨学金に頼らず、リダが払っていた。つまりウールフはこの国の独立運動に傾倒していったのだ。オランダ人の「ぼく」は、ウールフから投げられた言葉に震撼する。

きみたちは、自己の利益のために、民衆の発展を妨げていた。でももう終わりだ。これからは我々が引き受け・・・・我々工場を、軍艦を、近代的な医療施設を、学校を、自決権を与えよ。
(P.115)

「ぼく」生まれ育った地で、よそ者の扱いを受けた。心の空白を埋めようと二人の思い出の場所を転々とするが、どこにも居場所はなかった。こうして二人の世界は断ち切られたのだった。

永遠の決別

「ぼく」は大学進学のためオランダへ行くが、戦争が始まりドイツ軍の占領が始まる。かたやインドネシアは日本軍の支配下となった。日本軍の降伏後やっと故郷に帰った「ぼく」は衝撃の風景を目の当たりにする。


自宅は荒れ果てた農園と化し、切断された電柱や、黒こげの建物など、戦後の爪痕が残っていた。父親は死んだ。ウールフとも音信不通だ。記憶の中の風景を追い求め、あの黒い湖へと向かうと、そこだけは変わらず「ぼく」を迎えてくれた。すると、何年も前にみた血塊の亡霊が、輝いて浮上したのだった。


ふと横をみると、そこにウールフのような青年が立っていた。ウールフ? と聞いてみるが返事がない。青年は青ざめた顔をして、銃をつきつけ「行け、さもないと撃つ。ここはおまえとは関係ない」とだけ言った。


なぜ、ウールフも黒い湖にいたのか、、、。
彼もまた、変わらない過去の風景を追い求め、ノスタルジーに浸りたくて、ここまで来たのではないだろうか、そんなことを思った。

わたしたちが孤児だったころ』をもとに「孤児」と「分身」を考えてみる

本作は、カズオ・イシグロ著『わたしたちが孤児だったころ』(原題:When We Were Orphans , 2000)に非常によく似たテーマを扱っている。同じく他民族の二人(イギリス人と日本人)が、どちらの故郷でもない上海で少年時代を過ごした。二人はいつも一緒で、永遠に魔法がかけられたような楽しい世界だったと描かれている。しかしそれは、後の決別をすでに示唆しており、親や戦争に翻弄され暗転する未来との対比を浮き彫りにしている。


バンクスとアキラのが過ごした上海は、二人にとっての原風景であった。大人になりイギリスへ渡ったバンクスだが、母を探しに上海へ戻ったとき、その地は日本軍に占領され戦禍と化していた。偶然にも再会を果たしたた二人だったが、アキラはケガをしていた。助けようとするバンクスに対し「あっちいけ、イギリス人!」と冷たくあしらわれる。このときのバンクスの気持ちは、「行け!」と言われたときの「ぼく」に似ていただろうかと想像する。昨日までの友は、明日には敵となるのだ。


バンクスとアキラ、そして「ぼく」も、ウールフも、みんなが「孤児」であった。先にも述べたが、ウールフは父を亡くした時点で事実上「孤児」になったといえる。母親は経済力がない上に、きょうだいが多かった、ウールフの学費は「ぼく」の父や、リダに頼るしかなかった。一方「ぼく」も、母親が自分を捨てて出て行ったときから「孤児」であった。父親はますます仕事に専念し、長い休暇に出た後は、新妻をつれて帰ってきたことから疎外感を抱いていた。


このように「孤児」として生きていくには、お互いに分身となるような存在が必要だった。それは内なる自分でもあり、自分を見つめ直す対象となりうる。


わたしたちが孤児だったころ』に登場する女性サラ(同じく孤児)が言っていたセリフを思い出す。

温かくてわたしを包み込んでくれるようなもの、私が何をやるとか、どんな人間になると関係なく、戻っていけるものが(欲しかった)

過去は取り戻せないにしても、変わらずにそこにあるもの(黒い湖)に、吸い寄せられる気持ちが痛いほど伝わってくる。

孤児は愛の欠如のメタファーでもあります。愛の欠如は、愛と同様か、それ以上にとてつもなく大きい感情です。だからこそ、大いに興味をそそられるのです。
by カズオ・イシグロ (すばる2011.5)


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