先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、キリンビールの子会社、スプリングバレーブルワリー社長、井本亜香さんの下編です。マーケティング部でさまざまな商品開発に携わったあと、九州に営業として転勤した井本さんにどんな出来事が待っていたのでしょうか?

(上)「不採用通知」から始まり一般職→総合職へ転換 キリン子会社社長
(下)攻めの姿勢が壁になり新商品が不発 53歳でキリン子会社社長に就任 ←今回はココ

 キリンビール(以下、キリン)の子会社で、クラフトビール店を運営するスプリングバレーブルワリーの社長を務める井本亜香さん(54歳)。地方採用でキリンに入社後、東京の本社に異動し、海外ビールの営業企画や「バー ハートランド」の副店長を経て、約14年間マーケティング部で商品開発などを担当。その後、九州エリアで営業部門の支店長を務めるなど、多彩なキャリアを積み重ねてきた

 部署が変わるたびに「ハートランドの井本」「梅酒の井本」「氷結の井本」など、担当ブランドが代名詞になるほど並々ならぬパワーで仕事に取り組んできた。

スプリングバレーブルワリー代表取締役社長の井本亜香さん。「異動などで担当ブランドは変わっても、すぐ次のブランドにも愛着が湧きます。周囲に認められたい、そのために成果を出したいという気持ちが原動力でした」
スプリングバレーブルワリー代表取締役社長の井本亜香さん。「異動などで担当ブランドは変わっても、すぐ次のブランドにも愛着が湧きます。周囲に認められたい、そのために成果を出したいという気持ちが原動力でした」

新ブランドの開発と立ち上げ トライ&エラーの日々

 チルドビールビジネスでの苦い経験を経て(「不採用通知」から始まり一般職→総合職へ転換 キリン子会社社長)、38歳のときに、梅酒の新商品開発を任された井本さん。ユーザーの多くを占める女性をターゲットに、梅の原産地や製法にこだわったこくのある「まっこい梅酒」を世に送り出した。このまっこい梅酒は、市場の梅酒カテゴリーでヒットを記録。ロングセラー商品として現在も販売されている。

 梅酒の開発で成果を出した井本さんは、その後も次々と既存ブランドや新商品の企画を担当。特にRTD(開栓後すぐに飲める缶入りのアルコール飲料)の企画では、これまでにない商品づくりに注力した。

 しかし、携わった全ての商品がヒットしたわけではない。41歳のとき、既存RTDブランドの「氷結」に次ぐ新ブランドの企画と開発を担ったが、不発に終わった。「長く愛される商品をつくれず、反省と悔いが残りました」と井本さんは当時を振り返る。