32歳のときに突然脳梗塞で倒れ、右半身まひと失語症という2つの後遺症を負い、医師には「これからは車いすで生活を送ってください。また、右手は一生動かない、言語機能も完全には戻らないものだと思ってください」と伝えられた鈴木美穂さん。まひは残っているものの、驚異的な回復を見せ、今は倒れる前とほぼ変わらない生活を送っています。ここまでの回復を果たすのは希有(けう)な例だそう。「私には未来がない」と希望を持てずにいた鈴木さんが前を向けるようになった理由とは? そして今の原動力とは?

(上)32歳で脳梗塞 失語症、右半身まひ…2年後の仕事復帰までの闘い ←今回はココ
(下)32歳で失語症→失職→転職「完全回復まで諦めない」宣言した日

「あれ、観覧車なんてあったかな?」

 6年前のある日のこと。いつものように仙台の自動車販売店で仕事をしていた鈴木美穂さん(38歳)。朝の掃除が終わり、先輩と更衣室で話していたら突然、何の前触れもなく意識を失い、倒れた。

 目が覚めたのは、それから10日後。なんとなく自分が病院にいることは察したものの、状況はつかめなかった。

 「直近で顎の手術をする予定があったので、最初はその手術が無事に終わったのかなと思ったんです。でも、窓の外に観覧車が見えて『あれ、手術を予定していた大学病院の近くに観覧車なんてあったかな?』と違和感を覚えたというか。そのとき、意識ははっきりしていたのを覚えています。

 ただ、家族に『なぜ私がここにいるのか』と何度問いかけても私が言っていることを理解してもらえず、逆に私も家族が何を言っているかがよく分からなくて。後日、落ち着いて話を聞いてみると、脳梗塞で倒れて病院に運ばれてきたのだと知りました」

「目覚めた直後は、話しているのに言葉になっていない、言葉を聞き取れるけど何を言っているのかは分からない…。まさに今春のドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』(フジテレビ系)の第1話で、脳梗塞で病院に運び込まれた赤嶺レナさんと同じ状況でした。あぁ自分もこんな感じだったと思いながらドラマを見ました」
「目覚めた直後は、話しているのに言葉になっていない、言葉を聞き取れるけど何を言っているのかは分からない…。まさに今春のドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』(フジテレビ系)の第1話で、脳梗塞で病院に運び込まれた赤嶺レナさんと同じ状況でした。あぁ自分もこんな感じだったと思いながらドラマを見ました」

 医師に、右半身まひと失語症という重い後遺症が残ると告げられた瞬間、「なんで私が……」と闇の底に突き落とされた気持ちに。「私はもともと血圧が低いので、以前病院でいろいろと検査してもらったことがありました。そのときは特に体に異常はないと言われていたんです」。脳梗塞は中高年に多い病気で、自分とは無縁だと思っていた鈴木さんにとって受け入れがたい現実だった。

 「失語症の症状は言葉をうまく話せなくなるだけだと思っていました。ですが実際は、個人差はあるものの、話す、聞く、書く、読むなどといったあらゆる言語機能が失われます。私も、倒れた直後はそのすべてが一切できなくなり、計算もできない状態に。頭や心の中には伝えたいものが浮かんでいるのに、口からは『あー』『うー』しか出てこない……。ショック、絶望では言い表せない感情でしたね。毎日泣いて、何度も『死にたい』と思いました。けれど、右半身は動かない。死ぬことさえもできなかったんです」