わたしは優生学について知りたかった。しかし種々の著作は「優生学はいかにいけないか」という地点から書かれており、わたしとしてはもうすこし優生学の歴史や展開を勉強したかった。その点、この本は要求に丁寧にこたえてくれた。
はじめに 橳島(ぬでしま)次郎
第一章 イギリスからアメリカへ———優生学の起源 米本昌平
第二章 ドイツ———優生学はナチズムか? 市野川容孝
第三章 北欧———福祉国家と優生学 市野川容孝
第四章 フランス———家庭医の優生学 橳島次郎
第五章 日本———戦後の優生保護法という名の断種法 松原洋子
終章 生命科学の世紀はどこへ向かうのか 米本昌平
2024年7月には3つのニュースが報道された。愛知県によるグループホーム「恵」チェーン施設「ふわふわ」営業停止処分/旧優生保護法の最高裁違憲判決/パリ・パラリンピック予告。
わたしは精神障害2級、要介護2の判定を受けている。足が動かず全身に原因不明の強い痛みがある。わたしはこれまで貧しい障害者が「死んだほうがまし」という境遇にある現実を見すぎた。今後は安楽死について調べてゆきたいと思う。
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優生学と人間社会 (講談社現代新書 1511) 新書 – 2000/7/19
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優生学はナチズムか。戦後日本の優生政策の内実とは。優生思想の歴史を再検討し、遺伝子技術時代の視座を示す。
- ISBN-104061495119
- ISBN-13978-4061495111
- 出版社講談社
- 発売日2000/7/19
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 1.3 x 17.4 cm
- 本の長さ288ページ
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商品の説明
著者について
【米本昌平】
1946年生まれ。現在、三菱化学生命科学研究所社会生命科学研究室室長、東京大学先端科学技術研究センター客員教授。専攻は、科学史・科学論。
【松原洋子】
1958年生まれ。現在、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科助手。専攻は、生物学史・医学史。
【ぬで島次郎】
1960年生まれ。現在、三菱化学生命科学研究所社会生命科学研究室主任研究員。専攻は、先端医療を中心とする科学技術政策論。
【市野川容孝】
1964年生まれ。現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。専攻は、医療社会学。
1946年生まれ。現在、三菱化学生命科学研究所社会生命科学研究室室長、東京大学先端科学技術研究センター客員教授。専攻は、科学史・科学論。
【松原洋子】
1958年生まれ。現在、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科助手。専攻は、生物学史・医学史。
【ぬで島次郎】
1960年生まれ。現在、三菱化学生命科学研究所社会生命科学研究室主任研究員。専攻は、先端医療を中心とする科学技術政策論。
【市野川容孝】
1964年生まれ。現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。専攻は、医療社会学。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2000/7/19)
- 発売日 : 2000/7/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 288ページ
- ISBN-10 : 4061495119
- ISBN-13 : 978-4061495111
- 寸法 : 10.6 x 1.3 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 88,362位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 47位生命科学
- - 107位医学
- - 156位伝統医学・東洋医学 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
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2021年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
優生思想というとナチスによる断酒法や障害者安楽死計画という許されない優生政策や虐殺行為を想起しがちである。しかし、この本では、その根にイギリスやアメリカ、北欧、そして日本など20世紀における「合理的な近代化政策」そのものの帰結であることを示し、そして現代でも終焉するばかりか先端医療技術によって形を変えて再来する可能性を説得的に示している。
最近、中国のゲノムテクノロジーの脅威的な発達についての番組をNHKで見たが、間違いなく優生思想もまた強化され、それによってこの産業も伸びていくのであろうと思われる。この意味で現在読むべき本の一つであると考える。
最近、中国のゲノムテクノロジーの脅威的な発達についての番組をNHKで見たが、間違いなく優生思想もまた強化され、それによってこの産業も伸びていくのであろうと思われる。この意味で現在読むべき本の一つであると考える。
2020年12月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「もっと優秀になりたい」
「あの人は優秀だ」
だれもが一度は口にしたことがある言葉ではないでしょうか。
もしかすると、それも、「優生学」につながるのかもしれないなと感じる1冊でした。
優生学=ホロコーストとも思われがちですが、
各国の優生学を比較し、現代にも言及されています。
読了後にもう一度自分で考えたくなる本です。
「あの人は優秀だ」
だれもが一度は口にしたことがある言葉ではないでしょうか。
もしかすると、それも、「優生学」につながるのかもしれないなと感じる1冊でした。
優生学=ホロコーストとも思われがちですが、
各国の優生学を比較し、現代にも言及されています。
読了後にもう一度自分で考えたくなる本です。
2021年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、それぞれの国ごとで、優生思想・政策がどのような変遷をたどったのか、
かなり客観的に記載されており、優生学の歴史を学ぶのに非常に良いと思います。
著者らの主張がほとんど入っていないので、(物足りない人もいるかもしれませんが)最初に事実関係を把握するのによいです。
かなり客観的に記載されており、優生学の歴史を学ぶのに非常に良いと思います。
著者らの主張がほとんど入っていないので、(物足りない人もいるかもしれませんが)最初に事実関係を把握するのによいです。
2013年1月11日に日本でレビュー済み
優生思想、優生学とは何だったのか。その歴史的実態は、どのようなものだったのか。本書は、以上のような問いに答えるために、国・地域別に「優生学」の歴史を概観し、それがその国の現在の問題にどのように影響を与えているのかを考察するものである。
第1章「イギリスからアメリカへ――優生学の起源」
第2章「ドイツ――優生学はナチズムか?」
第3章「北欧――福祉国家と優生学」
第4章「フランス‐家庭医の優生学」
第5章「日本――戦後の優生保護法という名の断種法」
終章「生命科学の世紀はどこへ向かうのか」
以下、簡単な批評。
1) 本書は、ナチズム=優生社会=巨悪という硬直的な図式から離れ、より歴史的な視点から優生学を位置づけるものである。福祉国家と優生学との関係、戦争と優生運動との関係など様々な論点を指摘しつつ、比較史的に論じることを可能にしている。ナチズム=優生社会という図式が70年前後に否定的に再発見された、という本書の指摘は非常に興味深く思えた。一読を薦めたい。
2) 他方で、本書は、関係史の観点が弱いように思う。確かに、イギリスからアメリカへの優生運動の展開、ナチズムに対するアメリカの反応などについて言及はあるが、二国間関係に留まるのがほとんどである。本書を読めば分かるが、優生運動と第一次世界大戦の経験は、程度・反応の差はあれ、各国共通している。第一次世界大戦後は、「白人=ヨーロッパ人」意識が高まり、人種主義を内包させつつパン=ヨーロッパ運動が起こった。そのような国境を越えた事象について、本書は考察していない。出生前診断や中絶といった現代の問題は、国境を越えたある種普遍的な問題であるため、優生運動の歴史もまたそのようなものとして、関係史の観点からも論じる必要があるのではないだろうか。
3) もっとも、比較/関係史を考える場合、その枠組みが重要となってくる。本書の場合、断種法の有無が1つのメルクマークとなっているようである。そしてその観点から、断種法のなかったフランスは、本書において特異な歴史を展開したものと位置づけられている。その結果、医学におけるフランス・ナショナリズムが強調される一方、人類学における植民地主義、人種主義が看過されている。断種は優生学の一つの方法ではあるが、その必要条件とは言えない。「合理的な近代化政策」としての優生思想といった定義についての議論が必要であるように思う。
第1章「イギリスからアメリカへ――優生学の起源」
第2章「ドイツ――優生学はナチズムか?」
第3章「北欧――福祉国家と優生学」
第4章「フランス‐家庭医の優生学」
第5章「日本――戦後の優生保護法という名の断種法」
終章「生命科学の世紀はどこへ向かうのか」
以下、簡単な批評。
1) 本書は、ナチズム=優生社会=巨悪という硬直的な図式から離れ、より歴史的な視点から優生学を位置づけるものである。福祉国家と優生学との関係、戦争と優生運動との関係など様々な論点を指摘しつつ、比較史的に論じることを可能にしている。ナチズム=優生社会という図式が70年前後に否定的に再発見された、という本書の指摘は非常に興味深く思えた。一読を薦めたい。
2) 他方で、本書は、関係史の観点が弱いように思う。確かに、イギリスからアメリカへの優生運動の展開、ナチズムに対するアメリカの反応などについて言及はあるが、二国間関係に留まるのがほとんどである。本書を読めば分かるが、優生運動と第一次世界大戦の経験は、程度・反応の差はあれ、各国共通している。第一次世界大戦後は、「白人=ヨーロッパ人」意識が高まり、人種主義を内包させつつパン=ヨーロッパ運動が起こった。そのような国境を越えた事象について、本書は考察していない。出生前診断や中絶といった現代の問題は、国境を越えたある種普遍的な問題であるため、優生運動の歴史もまたそのようなものとして、関係史の観点からも論じる必要があるのではないだろうか。
3) もっとも、比較/関係史を考える場合、その枠組みが重要となってくる。本書の場合、断種法の有無が1つのメルクマークとなっているようである。そしてその観点から、断種法のなかったフランスは、本書において特異な歴史を展開したものと位置づけられている。その結果、医学におけるフランス・ナショナリズムが強調される一方、人類学における植民地主義、人種主義が看過されている。断種は優生学の一つの方法ではあるが、その必要条件とは言えない。「合理的な近代化政策」としての優生思想といった定義についての議論が必要であるように思う。
2017年6月18日に日本でレビュー済み
本書は、現代社会が優生社会へと向かう契機を持っているのかどうかについて明らかにし、今後、優生学、優生思想とどのように向き合えば良いのかを考える土台を手に入れることを目的としている。そのために、筆者は国と国、過去と現在の比較を中心に論じている。
まず第1章では、イギリスで優生学が生まれた経緯とそれがアメリカの学問、そして政策にどのような影響を与え、展開されていったのかについて論じられている。本章が果たす大きな役割は、「ナチズム=優生社会=巨悪」という一般的となりつつある思考から離れ、ナチス優生学も歴史的流れの一つであることを示すことにある。
第2章と第3章では、当時、福祉国家でありながら優生政策が行われていたドイツと北欧諸国について論じることで、一見交わることがなさそうな福祉国家と優生学の深い関わりを明らかにすることを目的としている。まず、第2章はドイツの優生学の歴史についてである。本章は、ドイツの優生学=ナチズムという硬直的な連想を否定し、ナチス以前のワイマール共和国時代から優生政策の土台がつくられていたことを明らかにしている。そして、第3章は北欧、特にデンマークとスウェーデンの優生学の歴史についてである。現在では優生学とは遠い存在と見なされがちな両国であるが、デンマークではナチス・ドイツよりも早く断種法が制定され、スウェーデンでは1950年代まで半強制的に優生学的な不妊手術が実施されていたという。
第4章は、フランスの歴史についてである。フランスでは優生学はあまり普及しなかった。本章はその原因を探ることを主な目的としている。
第5章では、日本の優生学の歴史について、戦後の優生保護政策の展開に着目し論じられている。そこから、現在の日本が歴史上どのような時代であるのかを明らかにし、終章への円滑な展開を導いている。
そして終章では、1から5章までで論じた歴史から、現代が優生学史においてどのような時代であるかを考察し、その上で現代の優生学上の諸問題を概観することで、上記の本書における最大の目的の達成が目指されている。
ここからは、本書が前述の最大の目的をどの程度達成できているかについて考える。
まず、優生学、優生思想とどのように向き合えば良いのかを考える土台を手に入れることが本書の最大の目的の一つであるが、これは書籍全体を通して論ぜられた各国の優生学の歴史とその現在についての豊富で詳細な記述により、十分に達成されていると考えられる。
では、現代社会が優生社会へと向かう契機を持っているのかどうかについて明らかにするという目的に関してはどうだろうか。
まず、この結論を導くまでのプロセスが適切であったのかについて考えてみたい。本書はこの結論を導くために、過去と現在や国と国を比較するという方法を採っている。まず、過去と現在の比較についてであるが、現在がどのような時代であるか理解するために過去を知り、現在と比較することは歴史学における基本的な考え方であり、常套手段といえるだろう。そして、国と国を比較するという方法もそこから多くのモデルケースを獲得することができ、有用だと考えられる。
では、その際に選択された国々に問題はなかったのだろうか。
まず第1章に取り上げられたイギリスとアメリカだが、イギリスにおける優生学の発生について記述することは言うまでもなく当然である。またアメリカでは、1960年代まで優生学は批判の対象とされていなかった。つまり、優生学が社会に認められていたのである。今後、そのような社会が発生する可能性があるのかを考える際、過去のケースを考察することは重要であると考えられるため、アメリカを取り上げたのは適切だったのではないだろうか。
第2章のドイツは、優生社会=ナチズムというステレオタイプを打破しなければ、優生学史の正しい理解にはつながらず、また、福祉国家と優生学の結びつきについては、現在日本をはじめアメリカ、ドイツなど多くの国が福祉国家であり、その福祉国家における優生政策について知ることは欠かせないため、論じるべき国だと考えられる。そして、第3章のスウェーデン・デンマークに関しても同様だ。
第4章のフランスでは、優生学的な学問や政策論議はなされたものの、それが国家によって実施されることはなく、本書においては良い例として取り上げられている。また、フランスの優生学に関しては先行研究が不足しており、本章の内容は新しい取り組みといえるだろう。しかし、アンヌ・キャロル氏の主張に依存しすぎている部分が多くあったことは課題である。本書では、フランスの優生思想が医学者によって主唱されたことが、優生思想が国家政策にならなかった最大の要因としている。だが、なぜ医学者によって主唱されたのかについての記述が欠如しているのは課題だ。これは、アンヌ・キャロル氏が残した課題をそのまま引き継いだことに問題があったのだろう。しかし、マーク・B・アダムズ(1998)には、優生思想を主唱したのが医学者だったのは、新兵などの健康診断から、真っ先に国民の生物的没落に気がつくことができたからだと記述されている。ここから、本章においては、キャロル氏以外の先行研究の分析が不足しているといえるだろう。しかし、とはいえ、フランスにおける優生学の状況は本書において目指すべき姿であり、それについて論じることは適切だろう。
第5章は日本であるが、現代では決して受け入れられることのない優生政策が、つい数年前まで法律として存在していたことを知ることは、今後そこに逆戻りする可能性を考える上で非常に想像のしやすい事例であり、決して誤った選択とはいえないだろう。
以上より、選択された国にも問題は無かったと考えられる。
ここからは、本書が出した結論について考える。本書は、遺伝情報の提供やそのケアによる肉体改善、次世代の選択などに関する技術がサービス業化し、その結果、プライバシーである個人のゲノム情報の社会漏洩、完全な次世代の獲得への欲望の高まりが起こる可能性があることを結論として指摘している。ここから、現代社会が優生社会へ向かう契機を持っているのかどうかという本書における最大の問に対し、「過去にあった優生社会とは異なる現代特有の『優生社会』へと向かう契機を持っている」という答えを出していると考えられる。
本書が発行された2000年の段階では、未だヒトゲノム計画が終わっておらず、遺伝子技術サービスによるビジネスを行っていた企業はほとんど無かった。よってこの指摘は、当時としては新しく鋭い指摘であったと考えられる。
そして、指摘の正しさは20年と経たず証明されてしまった。というのも、現在、世界各国で遺伝子検査が急速に普及し、それと同時に膨大なゲノム情報の取り扱いが問題となっているのだ。そしてここからわかることは、2017年現在において、本書の指摘は時代遅れのものになってしまったということである。
しかしながら、本書が発行された2000年以降、このような類いの議論がなされた書籍は見当たらない。現在でも本書が多くの人々に読まれている理由はここにあるのだろう。
まず第1章では、イギリスで優生学が生まれた経緯とそれがアメリカの学問、そして政策にどのような影響を与え、展開されていったのかについて論じられている。本章が果たす大きな役割は、「ナチズム=優生社会=巨悪」という一般的となりつつある思考から離れ、ナチス優生学も歴史的流れの一つであることを示すことにある。
第2章と第3章では、当時、福祉国家でありながら優生政策が行われていたドイツと北欧諸国について論じることで、一見交わることがなさそうな福祉国家と優生学の深い関わりを明らかにすることを目的としている。まず、第2章はドイツの優生学の歴史についてである。本章は、ドイツの優生学=ナチズムという硬直的な連想を否定し、ナチス以前のワイマール共和国時代から優生政策の土台がつくられていたことを明らかにしている。そして、第3章は北欧、特にデンマークとスウェーデンの優生学の歴史についてである。現在では優生学とは遠い存在と見なされがちな両国であるが、デンマークではナチス・ドイツよりも早く断種法が制定され、スウェーデンでは1950年代まで半強制的に優生学的な不妊手術が実施されていたという。
第4章は、フランスの歴史についてである。フランスでは優生学はあまり普及しなかった。本章はその原因を探ることを主な目的としている。
第5章では、日本の優生学の歴史について、戦後の優生保護政策の展開に着目し論じられている。そこから、現在の日本が歴史上どのような時代であるのかを明らかにし、終章への円滑な展開を導いている。
そして終章では、1から5章までで論じた歴史から、現代が優生学史においてどのような時代であるかを考察し、その上で現代の優生学上の諸問題を概観することで、上記の本書における最大の目的の達成が目指されている。
ここからは、本書が前述の最大の目的をどの程度達成できているかについて考える。
まず、優生学、優生思想とどのように向き合えば良いのかを考える土台を手に入れることが本書の最大の目的の一つであるが、これは書籍全体を通して論ぜられた各国の優生学の歴史とその現在についての豊富で詳細な記述により、十分に達成されていると考えられる。
では、現代社会が優生社会へと向かう契機を持っているのかどうかについて明らかにするという目的に関してはどうだろうか。
まず、この結論を導くまでのプロセスが適切であったのかについて考えてみたい。本書はこの結論を導くために、過去と現在や国と国を比較するという方法を採っている。まず、過去と現在の比較についてであるが、現在がどのような時代であるか理解するために過去を知り、現在と比較することは歴史学における基本的な考え方であり、常套手段といえるだろう。そして、国と国を比較するという方法もそこから多くのモデルケースを獲得することができ、有用だと考えられる。
では、その際に選択された国々に問題はなかったのだろうか。
まず第1章に取り上げられたイギリスとアメリカだが、イギリスにおける優生学の発生について記述することは言うまでもなく当然である。またアメリカでは、1960年代まで優生学は批判の対象とされていなかった。つまり、優生学が社会に認められていたのである。今後、そのような社会が発生する可能性があるのかを考える際、過去のケースを考察することは重要であると考えられるため、アメリカを取り上げたのは適切だったのではないだろうか。
第2章のドイツは、優生社会=ナチズムというステレオタイプを打破しなければ、優生学史の正しい理解にはつながらず、また、福祉国家と優生学の結びつきについては、現在日本をはじめアメリカ、ドイツなど多くの国が福祉国家であり、その福祉国家における優生政策について知ることは欠かせないため、論じるべき国だと考えられる。そして、第3章のスウェーデン・デンマークに関しても同様だ。
第4章のフランスでは、優生学的な学問や政策論議はなされたものの、それが国家によって実施されることはなく、本書においては良い例として取り上げられている。また、フランスの優生学に関しては先行研究が不足しており、本章の内容は新しい取り組みといえるだろう。しかし、アンヌ・キャロル氏の主張に依存しすぎている部分が多くあったことは課題である。本書では、フランスの優生思想が医学者によって主唱されたことが、優生思想が国家政策にならなかった最大の要因としている。だが、なぜ医学者によって主唱されたのかについての記述が欠如しているのは課題だ。これは、アンヌ・キャロル氏が残した課題をそのまま引き継いだことに問題があったのだろう。しかし、マーク・B・アダムズ(1998)には、優生思想を主唱したのが医学者だったのは、新兵などの健康診断から、真っ先に国民の生物的没落に気がつくことができたからだと記述されている。ここから、本章においては、キャロル氏以外の先行研究の分析が不足しているといえるだろう。しかし、とはいえ、フランスにおける優生学の状況は本書において目指すべき姿であり、それについて論じることは適切だろう。
第5章は日本であるが、現代では決して受け入れられることのない優生政策が、つい数年前まで法律として存在していたことを知ることは、今後そこに逆戻りする可能性を考える上で非常に想像のしやすい事例であり、決して誤った選択とはいえないだろう。
以上より、選択された国にも問題は無かったと考えられる。
ここからは、本書が出した結論について考える。本書は、遺伝情報の提供やそのケアによる肉体改善、次世代の選択などに関する技術がサービス業化し、その結果、プライバシーである個人のゲノム情報の社会漏洩、完全な次世代の獲得への欲望の高まりが起こる可能性があることを結論として指摘している。ここから、現代社会が優生社会へ向かう契機を持っているのかどうかという本書における最大の問に対し、「過去にあった優生社会とは異なる現代特有の『優生社会』へと向かう契機を持っている」という答えを出していると考えられる。
本書が発行された2000年の段階では、未だヒトゲノム計画が終わっておらず、遺伝子技術サービスによるビジネスを行っていた企業はほとんど無かった。よってこの指摘は、当時としては新しく鋭い指摘であったと考えられる。
そして、指摘の正しさは20年と経たず証明されてしまった。というのも、現在、世界各国で遺伝子検査が急速に普及し、それと同時に膨大なゲノム情報の取り扱いが問題となっているのだ。そしてここからわかることは、2017年現在において、本書の指摘は時代遅れのものになってしまったということである。
しかしながら、本書が発行された2000年以降、このような類いの議論がなされた書籍は見当たらない。現在でも本書が多くの人々に読まれている理由はここにあるのだろう。
2021年7月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いい本でした。
2015年4月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「優秀な人間になりたい。子供も優秀であってほしい」
「社会は、もっと効率的であるべきだ。」
そんな欲望は誰しも持っているものである。
これが実は優性学と強い親和性をもっているにもかかわらず、
現代人はその欲望の危険性を忘れつつある。
かつて、ヒトラーが目指した障害者安楽死計画は、許されざる人道的罪であり、
優性学はナチズムである、という大きな拒絶反応として、我々は一種の思考停止に陥ってきた。
しかし、優性学の問題は決してナチスの専売特許ではなく、
優秀な人間と効率的な社会を求める社会では、どこでも起こりる問題である。
実際、アメリカ、イギリスがその起源に大きく関わっていた。
しかし、その認識は非常に弱く、ナチスの強烈な印象が、我々の優性学に対する思考を浅いものにしてしまっている。
本書はそのことを鋭く指摘し、4人の著者によって、
優性学の歴史、特に、人間の欲望と深く結びついていることが示されていく。
出生前診断、遺伝子情報による医療など、
この欲望が増長してしまう危険性は、以前よりむしろ高まっているにもかかわらず、
過去の総括を行わないまま、この医療技術の隆盛の時代を迎えようとしている。
(優生保護法で国家から強制的に断種された人々への補償を、日本は行っていない。)
簡単な問題ではないということを実感できる良書であり、
新書でよくこのレベルの議論を展開していると驚嘆した。星5つです。
「社会は、もっと効率的であるべきだ。」
そんな欲望は誰しも持っているものである。
これが実は優性学と強い親和性をもっているにもかかわらず、
現代人はその欲望の危険性を忘れつつある。
かつて、ヒトラーが目指した障害者安楽死計画は、許されざる人道的罪であり、
優性学はナチズムである、という大きな拒絶反応として、我々は一種の思考停止に陥ってきた。
しかし、優性学の問題は決してナチスの専売特許ではなく、
優秀な人間と効率的な社会を求める社会では、どこでも起こりる問題である。
実際、アメリカ、イギリスがその起源に大きく関わっていた。
しかし、その認識は非常に弱く、ナチスの強烈な印象が、我々の優性学に対する思考を浅いものにしてしまっている。
本書はそのことを鋭く指摘し、4人の著者によって、
優性学の歴史、特に、人間の欲望と深く結びついていることが示されていく。
出生前診断、遺伝子情報による医療など、
この欲望が増長してしまう危険性は、以前よりむしろ高まっているにもかかわらず、
過去の総括を行わないまま、この医療技術の隆盛の時代を迎えようとしている。
(優生保護法で国家から強制的に断種された人々への補償を、日本は行っていない。)
簡単な問題ではないということを実感できる良書であり、
新書でよくこのレベルの議論を展開していると驚嘆した。星5つです。