「ソーシャルアクションで社会を変える」 元NHKアナウンサー内多勝康さん、アラフィフからの挑戦

「セカンドキャリア発見! 合同説明会」セミナーから(前編)

2024.10.02

 東京・銀座で7月に開催された「セカンドキャリア発見! 合同説明会」(主催・マイナビミドルシニア、朝日新聞社)で、元NHKアナウンサーの内多勝康さんが「ソーシャルアクションで社会を変える」と題して講演し、50代で医療福祉の現場に飛び込んだ経験や思いについて語りました。講演の内容を抜粋して2回に分けて紹介します。

 

内多勝康さん

内多勝康さん=2024年7月、東京都中央区、南宏美撮影

「クロ現」で伝えた 医療的ケア児と家族の現実

 NHKのアナウンサーを2016年3月まで、30年間務めました。「クローズアップ現代」という番組で、メインキャスターが海外出張などに行くときに、代行キャスターを任されることがありました。2013年、代行キャスターを務めたとき、番組のテーマとして「医療的ケア児」を提案し、現場の取材にも行きました。

 かつては難病や重い障害があると亡くなっていたお子さんを、医療の進歩で救命できるようになりました。ただ、人工呼吸器や胃ろうなど、様々な医療的ケアが必要なまま退院して自宅に帰ります。退院は、家族にとっては大変喜ばしいでしょうが、24時間のケアの始まりでもある。家族は夜も眠れないし、外出もままならない。苦労しているという話が取材を通して聞こえてきました。

 30分と短い時間ですが、番組で情報発信できました。放送人として精いっぱいやったつもりですが、30分の番組を1回やったぐらいでは、社会的課題は何ら解決しません。ただ、アナウンサーは次の日には全然違うネタをやらなきゃいけない。「医療的ケア児についてもっと伝えたい」と思ってもなかなかかなわず、私の問題意識もだんだんしぼんでいきました。

NHK時代の内多勝康さん

NHKアナウンサー時代の内多勝康さん=内多さん提供

48歳で通信制の専門学校に入学 50歳で「社会福祉士」に

 一方、「社会福祉士」という資格をNHK時代にとりました。名古屋に単身赴任をし、時間ができたので、48歳のときに通信制の専門学校に入学したんです。レポートを書いたり、時々学校に通ったりという2年間のカリキュラムを経て、国家試験を受けました。苦難の道のりでしたが、幸せなことに一発で合格。50歳でした。

 このとき、私の頭の中に刻み込まれたのが、今日のテーマでもある「ソーシャルアクション」という言葉で、この後の人生に大きな影響を与えました。「誰もが暮らしやすい、活躍できる社会を実現するため、目の前にいる困りごとを抱えた人に対し、公的な支援をするだけではなく、困りごとを生み出している社会構造をそのものへ働きかける」という意味です。

 社会福祉士はソーシャルワーカーとも呼ばれる専門職で、支援が必要な人から相談を受け、生活の質(QOL)を上げるために使えるサービスや制度を紹介するのが役割です。ただ、必要なサービスや制度がないこともある。そんなとき社会福祉士はどうすべきか。

 「相談に来た方に、『○○さん、サービスも制度もないから残念ながら諦めましょう』と絶対に言ってはいけない。そんなときにソーシャルアクションを起こしなさい。必要なサービスや制度がないなら、自ら世論や社会に働きかけてつくりなさい」と専門学校の先生から教わりました。大変感銘を受けました。

 「少しでも社会がよくなってほしい」「人が幸せになってほしい」と思いながら、放送に携わってきましたが、直接的にサービスや制度をつくっていたわけではありません。「ソーシャルアクションを起こすようなことが仕事になれば、生きがいも大きくなる」と思いました。

 ちょうどそのころ、「国立成育医療研究センターが、『もみじの家』という医療型の短期入所施設、つまり、医療的ケアが必要な子どもたちがショートステイするための施設をつくろうとしている」という話が私の耳に入ってきました。

 国立成育医療研究センターは東京都世田谷区にある子どもの総合病院です。最先端の医療で、子どもの命を日々救っていますが、退院後に医療的ケアが必要な子どもが増えていることに頭を悩ませていました。「家に帰った後の生活も支えるべきじゃないか」と国立成育医療研究センターの上層部が思ったそうです。どんな施設なのか、休日に話を聞きに行きました。

内多勝康さん 提供画像 もみじの家

在宅で医療的ケアを受けている子どもと家族を支える短期入所施設「もみじの家」=内多さん提供

アナウンサーを辞めて ソーシャルアクションを仕事に

 「重い病気を持つ子どもと家族の一人一人がその人らしく生きることができる社会を作っていく」という壮大な理念のもと、「重い病気を持つ子どもと家族に対する新しい支援の仕組みを研究開発し、全国に広めていく」のがミッションだと教えてもらいました。

 聞いたとき、「ソーシャルアクションだ」と思いました。今でこそ、医療的ケアが必要なお子さんたちの支援が広がっていますが、当時はほとんどありませんでした。ないものをつくっていくと聞いたとき、「もみじの家」で働けば、「ソーシャルアクションを仕事にできる」と、自分の中で結論が出てしまいました。30年勤めたNHKを辞めて、「もみじの家」に移り、今年3月までハウスマネージャーを務めました。

 「もみじの家」には毎日、医療的ケアが必要なお子さんと家族が来ます。家では痰(たん)の吸引や色々なケアのため、家族は横になっても熟睡はできませんが、「もみじの家」では看護師がお子さんのケアをするので、家族は眠れます。「ゆっくり眠れました」とおっしゃるお母さんや、「第2の家」と呼んでくれる人もいます。自宅だとどうしてもケアに追われるが、「もみじの家」では看護師さんが24時間、ケアをするので、「初めて子育てができます」とおっしゃる方もいました。

 「もみじの家」には最長9泊10日まで宿泊できます。家族は家に帰ったら夜も眠れない日が続きますが、原則1カ月に1回は利用できます。1カ月頑張れば「もみじの家」で休息できるという見通しを立てたうえで頑張るのと、いつこのケアの日々が終わるかわからないという見通しの見えない中で頑張るのは、ずいぶん心持ちは違う。

 「もみじの家」のような施設がどんどん増えていってほしいと強く思っています。私は60歳で定年を迎えてしまいましたが、「もみじの家」と完全に縁が切れたわけではなく、「シニアアドバイザー」という肩書で関わっています。

 なぜこういう施設ができたか。その背景には医療の進歩があります。日本は世界で一番、子どもが安全に生まれる国だと報道されたことがあります。日本の周産期医療や小児救急医療は世界に誇るべきレベルにあります。一方、在宅で人工呼吸器が必要なお子さんの人数は、1980年代前半から少しずつ増え、新生児・乳児の死亡率が減少するのと反比例するように急激に増えました。

 厚生労働省の発表によると、在宅で医療的ケアが必要なお子さんは全国で2万人を突破しています。そのうち特に人工呼吸器が必要なお子さんが5000人を超えています。つまり、医療的ケアが必要なお子さんの4人に1人は人工呼吸器を必要としています。

内多勝康さん 提供画像 グラフ

医療的ケア児と人工呼吸器を必要とする子どもの年次推移=内多さん提供

 人工呼吸器というと、一般的にはお年寄りが亡くなるまでの延命のためにつけるものというイメージが強く根づいていますが、子どもたちの日常生活を支えるためのものでもあります。元気になって人工呼吸器から離脱できる子もいるので、人工呼吸器に対するイメージを変えないといけないですね。

 病院から自宅に帰ってきて、人工呼吸器をつけていても、学校に通えるような態勢が整っている地域もありますが、人工呼吸器の対応が難しい地域や学校がまだまだ多いです。人工呼吸器をつけているお子さんをどう社会に受け入れていくかが引き続き課題になっています。

(「後編」に続く)

(構成・南宏美)

 

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  • 内多 勝康
  • 内多 勝康(うちだ・かつやす)

    社会福祉士/元NHKアナウンサー

    1963年、東京都生まれ。東京大学教育学部卒。86年、NHKにアナウンサーとして入局。「首都圏ニュース845」や「生活ほっとモーニング」のキャスターなどを務めた。2016年3月に退職し、国立成育医療研究センターを母体とする「もみじの家」ハウスマネージャーに就任(2024年4月からはシニアアドバイザー)。現在は、社会福祉法人あおぞら共生会で障害のある人の支援にもあたっている。著書に『53歳の新人~NHKアナウンサーだった僕の転職』(新潮社)など。

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