裸でドッグフード食べ生き延びた 「懸賞生活」のなすびさん、30年後に映画で話題に

画像提供, Hulu
スティーヴン・マッキントッシュ、エンターテインメント記者
1998年、日本のリアリティーテレビ番組の企画で、1人の日本人男性が裸にされ、ほぼ空っぽのアパートの一室に置き去りにされた。
「なすび」の芸名で知られる浜津智明さん。部屋にあったのは、1本のペン、何も書かれていないハガキ、電話、雑誌でいっぱいのラックだけだった。
彼がそこに連れていかれたのは、雑誌を読ませるためではなかった。人が懸賞の賞品だけで生きていけるか試してみよう――というのが、この番組のコンセプトだった。
このチャレンジに成功するには、獲得した賞品の総額が100万円に達する必要があった。
彼は1年3カ月の間、部屋から出なかった。その間、飢えと孤独から、徐々に躁鬱(そううつ)に陥った。
あれから30年近くたった今、英シェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたばかりの新作映画を通じて、なすびさんの試練が再び注目されている。
この映画「ザ・コンテスタント」のクレア・ティトリー監督は、「別のプロジェクトにかかわっていた時、インターネットでこの話を知り、もっと知りたくて次々と情報を探し続ける、いわゆるネットの迷路にはまってしまった」と話す。
「私が目にした内容の多くは、誹謗(ひぼう)中傷に近かった。なすびに何が起きたのか、深く語るものはなかった。彼はなぜあの場所にとどまったのか、それが彼にどういう影響を及ぼしたのか……など、疑問が残った。それで、あなたの体験を映画にしたいと、本人に連絡を取った」

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なすびさんは、公開オーディションで無作為に選ばれた。自分が撮影されていることは知っていたが、その映像がどこで使われるのかは、あいまいな説明しかされていなかった。テレビで放送されることは、おそらくないだろうと思っていた。
だが実際には、当時22歳の彼の姿は、バラエティ番組「進ぬ!電波少年」の人気コーナーとして全国放送された。毎週の進捗(しんちょく)が報告され、徐々に彼は国内有数の有名人になっていった。
評論家のほとんどはこの番組を嫌悪したが、実に多くの若い視聴者が夢中になった。
番組が始まったのは、アメリカ映画「トゥルーマン・ショー」が公開される前だった。この映画は、自分の人生がテレビ・シリーズとして中継されていることを知らない男性の話で、ジム・キャリーさんがその主人公を演じた。
オランダでテレビ番組「ビッグ・ブラザー」が始まり、リアリティーテレビのまったく新しい時代が到来したのは、そのさらに1年後のことだった。
「電波少年」」の「懸賞生活」と呼ばれた企画は、先駆的な内容にもかかわらず、日本以外ではほとんど知られていない。
「ユーチューブが爆発的に普及したこの10年で、この番組を知る人が増えたと思う」と、ティトリー監督はBBCニュースに話した。「しかし当時は、日本と韓国以外では放送されなかった。そもそも、それ以外の地域での公開は想定されていなかった」。
若手芸人だったなすびさんは当時、チャレンジの詳細を事前にほとんど知らなかった。
窓のない部屋に、服も基本的な日用品も(トイレットペーパーすらも)ない状態で置かれた。外界との接触もできなかった。

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「ザ・コンテスタント」には、なすびさんと、このコーナーを立案した土屋敏男プロデューサーの新しいインタビューが含まれている。
当時の日本を取材拠点にしていた元BBC特派員なども、映画に登場する。
ただし、映画が語る内容のほとんどは、その映像そのものが描き出している。このドキュメンタリーを見る人は、当時テレビで見ていた人と同じように、なすびさんの歩みを追うことになる。
ティトリー監督は今回の映画スタッフと共に、オリジナルの映像を「丹念に」調べ、元々の画面にあったディテールの多くを取り除いた。
「映像はどれも、日本語のグラフィックだらけだった。日本語のナレーション、別録音の笑い声、効果音も入っていて、ノイズとグラフィックがひとつの不協和音を作り出していた」と監督は説明する。
「そのため私たちは、それがどういう意味なのか、英語圏の観客に理解できるようにしようとした」
映画スタッフは、日本語のグラフィックを英語に変更した。音声もできる限り正確に作り直した。英語を話すナレーターを起用し、オリジナルのコメントを英訳した。
そうして出来上がったドキュメンタリーは、すでにアメリカの「Hulu(フールー)」で公開されている。評論家らは、なすびさんの苦しい体験に不快感を覚えながら、この物語に魅了されている。
米誌「ローリング・ストーン」のデイヴィッド・フィアーさんは、この「ザ・コンテスタント」を「まるで自動車事故で、目がくぎ付けになってしまう。同時に、視聴者の共犯性を告発する」ものだと書いた。
「メディア現象の記録だ。リアリティーテレビのランドマーク、エンターテインメントとしてパッケージされた心理的悪夢だ。自分が見ているのは100%本物だとわかっているのに、それでも自分が何を見ているのか、頭の中で理解が追いつかないタイプのドキュメンタリーだ」

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米映画メディア「インディワイア」のデイヴィッド・アーリックさんは、もとのテレビ番組の映像が「釘付けになって没頭してしまうくらい、あまりにサディスティック」なため、ドキュメンタリーの追加映像はとても及ばないとしている。
「今回の映画に出てくる回顧インタビューは、率直で思慮深いけれども、なすびの試練の生映像ほど心をつかむものは一つもない」
「ティトリーの映画は結局のところ、メディア全体に対する批評というより、メディアで最も目立った登場人物の1人についての研究に近い」
番組が進むにつれ、なすびさんは応募した多くの懸賞に当たった。ただ、獲得した賞品は必ずしも役に立つものではなかった。
タイヤ、ゴルフボール、テント、地球儀、テディベア、映画「スパイス・ザ・ムービー」のチケットなどもあった。
なすびさんの状態は悪化し、弱っていたが、プロデューサーたちは特に気にしていなかったようだ。プロデューサーの1人は今回のドキュメンタリーで、なすびさんが懸賞で米を当てなければ死んでいたかもしれないとうかがわせる発言をしている。
なすびさんはその後、砂糖の入った飲み物とドッグフードを獲得。それで数週間生き延びた。
なすびさんがどういう賞品を獲得し、それをどう使って命をつなぐのか、視聴者約1500万人がテレビで追った。
なすびさんはこの企画の間、ずっと裸だった。衣類が当たらなかったためだ(性器は、プロデューサーがナスの絵をかぶせて見えないようにした)。

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なすびさんがいたアパートは、ドアに鍵がかかっていなかった。理屈の上では、いつでも好きなときに出て行くことができた。では、なぜ彼はそうしなかったのか。
「理由はいろいろあると思う」とティトリー監督は言う。「一つは、彼がとてもストイックだということ。彼が福島出身で、両親がとても厳格だったことと、それは関係している」。
「それから、彼がとてもまじめで誠実な人だということもある。彼はトラブルに巻き込まれたくないと思っていたし、当時とても若く、世間知らずだった。今でも彼は驚くほど、人を信じる。さらに、『必ず勝つ、最後まで粘り抜く』という日本のサムライ精神もある」
苦しみ
30年近くがたった今、なすびさんは米エンターテインメント系メディア「デッドライン」の取材で、この番組は残酷だったと話した。幸せも自由もなかったとし、次のような趣旨の発言をした。
「(テレビで放送されたのは)私の生活のうち週に3分か5分くらい。しかもそれは、(賞品)獲得の幸せさを強調するように、編集されていた」
「もちろん、視聴者は『面白いことをしていて、自分で楽しいと思っていることをやっている……』と言うだろう。でも自分は、ほとんどずっと苦しかった」
それでも、ドキュメンタリーの中で彼は、この経験を苦々しく思っているようには見えない。ティトリー監督は彼について「今はとても前向きでいる」との印象を受けたと話す。
「当時のことを後悔しているかと聞かれると、彼はいつも、もう二度とやりたくないが、(やっていなければ)今の自分はなかったと言う」

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なすびさんがついに解放された時の演出は、イギリスの娯楽番組にもありがちなものだった。別の偽の部屋へ連れて行かれると、四方の壁がいきなり倒れ、自分は実はステージ上にいると気づかされる仕掛けだった。目の前にいきなり現れた観客が、彼の名前を歓呼していた。
今回のドキュメンタリーは、解放後のなすびさんについても追跡取材している。彼が新たに得た名声を良い目的のために使おうと努力し、ようやく達成感を得る姿を映している。
ティトリー監督は、なすびさんが自分の物語を見直すには良いタイミングだと感じていたと話す。「(なすびさんは)自分に起きたことについて、何かしら気持ちの整理がついたのかもしれない」。
番組出演者などに対してテレビ局など製作側が負う善管注意義務の慣行は、1990年代と現在では異なる。「電波少年的懸賞生活」のような番組フォーマットを、今の視聴者が支持するとは考えにくい。
それでもこのドキュメンタリーは、エンターテインメントに関してはどこで線を引くべきか、そしてどこまでが、視聴者の欲求のせいなのか、疑問を投げかけるものとなっている。
「ソーシャルメディアやリアリティー番組と自分の関係について、みんなによく考えてもらいたい」とティトリー監督は言う。「視聴者として、消費者として、私たち全員がどれだけ加担しているのかを」。