
- ヒマラヤ奥地の湖に、800体ほどの人骨が眠っている。ループクンド湖、通称「スケルトン・レイク」で最初に人骨が発見されたのは、第二次世界大戦中だった。
- 最新のDNA解析の結果、人骨は明らかに異なる3つのグループに分かれた。また、死亡した時期は約1000年を隔てた2つの時期に分かれた。
- 湖に沈む人々がどのようにして亡くなったのか、科学者はまだ解明できておらず、今回の発見はスケルトン・レイクの謎を一層深めるものとなった。
標高5000m、ヒマラヤ山脈に抱かれた小さな湖は、「スケルトン・レイク」という恐ろしいニックネームが付けられている。
正式名はループクンド湖。ほぼ一年中氷で閉ざされ、その直径は40mにも満たないが、ここはおよそ800人の人々の最期の場となった。夏に一部の氷が解けると、いくつもの骨が水面を漂う。骨は岸にも散らばり、凍った髪の毛や肉片が残っているものもある。怖いもの知らずの登山者が、いくつかの骨を祠のように積み上げたりもしている。
これらの人々がどのようにして亡くなったのか、科学者はまだ解明できていない。1942年にイギリスの警備隊が湖を発見して以来、科学者はこれらの人骨は第二次世界大戦の衝突による犠牲者のものではなく、もっと古い時代のものだと確信を持っていた。だが、なぜ、どのようにしてこれらの人々が亡くなったのか、納得できる説明はできなかった。
8月、この湖から取り出した38体の人骨のDNA解析が行われ、謎は一層深まることとなった。これらの人骨は遺伝的に明らかに異なる3つのグループに属し、死亡した時期は約1000年離れた2つの時期に分かれることが明らかとなったのだ。
人骨のメルティングポット

学術雑誌Nature Communicationsで発表された論文によると、研究チームは大腿や上腕といった長い骨にドリルで穴を開け、採取した粉末状の骨からDNAを抽出した。38体の人骨を解析した結果、23体は現代インド人の祖先につながり、14体は東地中海のクレタ島やギリシアの人々とつながりが深く、1体は東南アジアに祖先を持つことがわかった。
この解析結果は、骨のサイズでも裏付けられた。いくつかの骨は「非常に屈強で背の高い」人々のものであり、他の骨は「華奢」で背の高い人々のものだと研究者は記した。
放射性炭素年代測定により、23体のグループは7~10世紀の間に複数の事象が原因で亡くなり、他の15体は17~20世紀の間におそらく1つの事象が原因で亡くなったことが明らかとなった。
2003年に遠征した調査隊の研究では、スケルトン・レイクで発見された人骨のほとんどは、8世紀頃に亡くなった人のものだとされていたが、今回の測定結果によりそれは覆された。
「これらの人骨は、1つの壊滅的事象が原因で亡くなった人々のものだと考えられてきたが、今回の測定結果によってそうではないことが分かり、放射性炭素年代測定の有効性が示された」と、論文の著者の1人であるダグラス・ケネット(Douglas Kennett)氏はプレスリリースで述べた。
彼らがどのようにして亡くなったのか、まだ分かっていない
今では科学者は、ループクンド湖の人骨が、別々の時期に亡くなった世界各地の人々のものであるということを知っているが、その死因についてはまだほとんど分かっていない。

「これらの人々がループクンド湖へ何をしに来たのか、またどのようにして亡くなったのか、まだ明らかではない」と論文の筆頭著者であるニラジ・ライ(Niraj Rai)氏はプレスリリースで述べている。
「今回の研究をきっかけに、この謎に満ちた場所についての研究がさらに進められることを期待している」
ライ氏らによると、新たな分析に基づき、死因についてのいくつかの説が唱えられている。
2004年に制作されたナショナルジオグラフィックのドキュメンタリーでは、伝染病が死因ではないかという可能性を示した。だが今回のDNA解析では、細菌に感染した証拠はどの人骨からも見られず、伝染病が死因ではないと思われる。
「解析結果によると、彼らの健康状態は良好だった」と論文の著者は述べた。
戦闘が死因とも考えられない。人骨は23人の男性、15人の女性、そして子どもや高齢者のもので、近くから武器が見つかることもなかった。
現地の民謡に基づく別の説もある。湖近くの神殿にまつられた山の女神、ナンダ・デヴィへの巡礼についての民謡だ。「王と女王、そして多数の同行者は、祝いの場での不適切な行為によりナンダ・デヴィの怒りにふれ、打ちのめされた」ことが謡われていると論文に記されている。民謡の歌詞は女神が「鉄のように硬い」玉を投げつけたことを示している。
ライ氏のチームは、ループクンド湖の人骨のうち、古い年代のグループは「巡礼の際に起こった大量死」によるものであるという説を唱えた。この湖は、現代の巡礼経路にも近いという。
だが、民謡と関連づける説に異論を示す研究者もいる。2003年に遠征した調査隊は、激しい雹に襲われて亡くなった商人の人骨ではないかとの説を示した。だが今回の論文では、その可能性も低いと述べている。なぜならループクンド湖は「主要な交易ルート上にない」からだ。

さらにライ氏は、新しい年代グループの死因等に関しては、いまだにすべてが謎に包まれているという。
「ループクンド湖の人骨について、できる限り祖先をたどろうとしてきたが、地中海の人々がなぜ湖までやってきたのか、そこで何をしていたのかということについては、答えが出せなかった」とライ氏はナショナルジオグラフィックに語った。
ペンシルバニア大学の人類学者、キャサリン・モリソン(Kathleen Morrison)氏は、この論文に関わってはいないが、ひとつの可能性を示す説明をした。
「人骨がそこに集められたのだと思う。現地の人が人骨を湖に沈めたのではないか」と同氏はThe Atlanticに語り、すべての人が湖で亡くなったとは考えにくいと主張した。
「多数の人骨があるということは、普通に考えるとそこは墓地なのだろう」
(翻訳:仲田文子、編集:Toshihiko Inoue)