2016年夏に自転車事故に遭い、その怪我による後遺症で、現在は都内の自宅で車いす生活を送っている自民党元総裁・谷垣禎一氏。

1カ月半に及ぶ集中治療室での生活を終え、リハビリの病院へ転院。「自分でできることは自分でする」ためのリハビリに励んだ。

その後、政界からの引退を決意し、2017年末に約1年5カ月におよぶ入院生活を経て退院する。そんな中、谷垣氏は福田康夫元首相らの勧めによって人前に出るようになり、「人間、見栄も大事」と思うようになったと振り返る。

著書『一片冰心 谷垣禎一回顧録』(扶桑社)から、そのときのエピソードを一部抜粋・再編集して紹介する。

本著は、2022年に産経新聞に連載された「話の肖像画」を加筆のうえ、再構成したもの。

歩行訓練は歌を歌いながら

《二〇二一年十一月、毎週通う脊髄損傷者専用トレーニングジム主催のイベントで、車いす生活となって以来初めて人前で歩く姿を披露した。

歩行器を使って約二分、歩行器なしで約一分、シャンソンなどを歌いながら歩いた。歩行訓練には普段から歌を取り入れている》

イベントで歌ったのは「さくらんぼの実る頃」というフランスの古いシャンソン。歩くときに歌うよう、トレーナーに勧められているんですよ。歌ったほうが歩幅が伸びるというんです。

「みんなこれをやるといいんですか」ときいたら、「歌いながらやっているのは谷垣さんぐらいかな。だけど理論的にはいいはずですよ」と言われました。

というのも、歌うと胸を動かすんですね。

オペラ歌手などは腹式呼吸をするというから、おなかも動かすのかもしれません。

リハビリ病院では歌いながら歩くことはなかったですけど、車いすに長時間座っているとどうしても体が固まってしまうので、理学療法士に歌うよう勧められました。

そういうことで、ジムでは「はい、谷垣さん、歌って!」なんて言われながらやっているんですけど、これがなかなか大変。息が切れちゃう。

どうもパフォーマンスが悪いと感じたときは、東大スキー山岳部時代の新人しごきの歌を歌うんです。

「この野郎 さあ歩け 歩けなければはって進むんだ」とね。幼稚な療法かもしれませんが、いろいろ試みているんですよ。やるからには、一応、その効能を信じてね。

福田元首相に勧められて

《人前に出ることを勧めたのはトレーナーだけではなかった。福田康夫元首相もその一人だ。

元番記者の間では照れ屋で知られ、親切な対応とは裏腹に、ぶっきらぼうな態度で照れ隠しをすることが少なくなかった。

そんな「優しさの裏返し」を見せるところは、谷垣氏に対しても同様だった》

福田康夫元首相(2008年、写真:ゲッティ)
福田康夫元首相(2008年、写真:ゲッティ)
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福田さんは私が退院した後、わが家にお見舞いに来てくださったんです。

その際、「人前に出たら実際よりも自分を良く見せようというぐらいの色気は残っているだろう。家の中に引っ込んでいるよりいいじゃないか」と、福田さんがやっている勉強会に誘われました。

「それもそうかな」と思って勉強会に行き、福田さんに言われたことを出席者の前で紹介したら、福田さんは何と言ったと思います?

「いや、そうじゃないよ。こき使えるうちはこき使ってやろうと思って呼び出したんだ」って(笑)。いかにも福田さんらしいでしょ。

でも人間、見栄も大事ですよね。

自転車にも乗りたいし山も登りたい

《現在では、時おり公の場に姿を見せている。特別顧問を務めていた有隣会の会合で「また自転車に乗りたい」と口にし、事故で心配をかけた後輩議員を慌てさせたことも》

そりゃ乗れるものなら自転車に乗りたいし、登れるものなら山だって登りたいですよ。だけどまずその前に歩けなきゃね。

私の場合は二百メートル歩けたら「今日はずいぶん頑張ったな」というところですから、自転車にたどり着くまでにはだいぶ間合いがあります。

そんなに急に「今日は一キロも歩けちゃったよ!」なんていう状況にはなりませんからね。

牛の歩みのようなものです。牛の歩みまでいけば大したもので、牛の歩みにもまだまだいきません。

ただ、若いころは山に登り、七十歳過ぎまで自転車に乗っていたわけですから、筋力の多少のよすがはあるわけです。

トレーナーによれば、私と同年配の人はもっと足が細くて筋肉量も落ちてしまっているといいますから、そういう意味では、七十歳過ぎまで自転車に乗っていたのは決して悪いことではなかった。

元気な人は体を動かせるうちに動かすといいんじゃないでしょうか。

『一片冰心 谷垣禎一回顧録』(扶桑社)

谷垣禎一
1945年生まれ。東京大学法学部卒。弁護士を経て、1983年、衆院議員初当選。以来、12回連続当選。京都5区選出。1997年、国務大臣兼科学技術庁長官として初入閣。その後、財務相や国交相などを歴任。自民党内においても政調会長などの要職を務め、2009年9月、総裁に就任。3年にわたる自民党の野党時代を支えた。2012年12月には第二次安倍内閣で法相に就任、また2014年9月からは総裁経験者としては異例ながら幹事長を務めた。2017年9月政界を引退。

谷垣禎一
谷垣禎一

1945年生まれ。東京大学法学部卒。弁護士を経て、1983年、衆院議員初当選。以来、12回連続当選。京都5区選出。1997年、国務大臣兼科学技術庁長官として初入閣。その後、財務相や国交相などを歴任。自民党内においても政調会長などの要職を務め、2009年9月、総裁に就任。3年にわたる自民党の野党時代を支えた。2012年12月には第二次安倍内閣で法相に就任、また2014年9月からは総裁経験者としては異例ながら幹事長を務めた。2017年9月政界を引退。