Yukimori, M (20XX) Factors To Form The ENglish Linguistic Beliefs of Japanese (In JNS, Eng Abstr, English Ownership, NS Norms As Unnecessary)
Yukimori, M (20XX) Factors To Form The ENglish Linguistic Beliefs of Japanese (In JNS, Eng Abstr, English Ownership, NS Norms As Unnecessary)
Yukimori, M (20XX) Factors To Form The ENglish Linguistic Beliefs of Japanese (In JNS, Eng Abstr, English Ownership, NS Norms As Unnecessary)
―― 英語教育の観点から ――
Factors to Form the English Linguistic beliefs of Japanese:
From the Perspective of English Language Teaching
行森まさみ
Masami YUKIMORI
1. はじめに
今日、英語は世界に普及し、国連をはじめとする国際的な政治、外交、科学技術、学術的研
究、ジャーナリズム、ビジネスなど、あらゆる分野にわたって主要言語として機能し、国際語
としての役割を一手に担っている。このような英語使用の広がりは、19 世紀末にピークに達し
たイギリスの植民地の拡大、および経済大国、科学技術大国である 20 世紀のアメリカの影響に
よって決定的なものになったとされている(Crystal, 2003)
。そして、英語はそのような拡散
をしていくなかで、世界の各地域変種がそれぞれの特徴をもって母語話者(Native Speaker:
NS)の英語から分化し、多様化を続けている。Prator(1968)、Quirk(1985)らはこの現
象に対し、母語話者規範からの逸脱は相互理解を妨げるという理由で地域変種を否定し、英
語の NS(とくに英米語話者)による「本来の英語」が劣化してしまうことを危惧し、NS 英
語の正統性を強く主張した。しかし、英語が地域における共通語として機能し、また同時に
国際語としての利便性への認識が高まるなか、地域変種の多様性を容認しようという World
Englishes(WE)(Kachru, 1976, 1982, 1985)や、NS 英語にとらわれない国際語としての
英 語 の 使 用 を 主 張 す る English as an International Language(EIL)
(Smith, 1976, 1983)
の概念が提唱された。とくに、EIL では英語の脱英米化、ならびに所有権の脱国家化、NS の
努力義務および意識改革の必要性を説いた点が新しい。この英語の脱英米化の観点は、のちの
English as a Lingua Franca(ELF)の概念にも共通しているものである1。ELF は、国際共通
語としての英語を特徴づけるのは非母語話者(Non-native speaker:NNS)同士の英語である
104
として多様性を重視し、NS 規範にとらわれることなく、実際の NNS 間のやりとりの中での
intelligibility(相互理解度)に焦点を置いた一連の研究分野である(Jenkins, 2000, 2007, 2009;
Seidlhofer, 1999, 2006, 2011;Mauranen & Ranta, 2009;Murata & Jenkins, 2009)。それ
はこれまでの NNS 英語研究や第二言語習得研究が NS 英語との比較分析を主とし、学習者とし
てのエラー分析の性質を保持してきた点と一線を画すものである。ELF は NNS 同士がコミュニ
ケーションを図るために、いかなる共通性がどれほど必要になり、それと同時に多様性はどれほ
ど容認されうるのかという社会言語学的実証研究であるため、今や NS のみならず NNS とも英
語でやりとりを行う日本人の現状と合致し、日本人が NNS としていかに英語を話す話者となる
のかということに対して新たな見解を提供しうるものである。
NS 規範からの脱却を理念としたこれらの WE、EIL、ELF に共通しているのは、英語の多様
性に対する寛容な態度の必要性である。NNS としての自らの英語と相手の英語が NS のものと
は異なっていても、意思疎通という目的を達成するために、いかに寛容な態度で相互努力を図る
ことができるかが重要なのである。それは、日本人が現代国際社会において、英語を自分たちの
「ことば」として話すようになるために不可欠なものといえよう。しかしながら、日本人の英語
変種に対する言語態度の調査では、NS 英語以外の変種に対して否定的であるという偏った言語
態度が報告されており、日本人にとっての国際共通語としての英語を考える際の障害の一因とな
っている。
本論文では、日本人の英語に対する言語態度についての論考を概観し、日本の英語教育という
観点から、その英語観が形成される要因について考察したうえで諸問題を提起し、これからの日
本の英語教育の方向性と可能性を考えることを目的とする。
日本人の英語観を形成する要因に関する一考察
2. 日本人の英語変種に対する言語態度
言語態度(language attitudes)とは言語に関連して生み出されるあらゆる感情や信念のこと
をさし、社会言語学および社会心理学の分野では、標準変種や非標準変種へ抱く心象や評価等
の分析が研究分野のひとつとしてあげられる。1960 年代以来、数多くの言語態度研究によって、
人は他者の発話を聞くとき、発話内容からだけでなく、その人の使用する言語や方言からも話し
手の印象を推測し、「知的である」とか「洗練されている」といった何らかの評価を下している
ことが明らかにされてきた(Giles & Powesland, 1975)
。
花元(2010)は日本人大学生を対象にイギリス英語、インド英語、日本アクセント英語(日
本語の影響を強く受けた英語)への態度について調査を行った2。それによると、イギリス英語
に対しては、「educated(教養のある)
」、「high status(高いステータスの)」というイメージを
含んだ地位・能力面を表す social status の項目、および「親しみのある(friendly)
」、「好まし
い(likable)」という社会的魅力・帰属意識面を表す attractiveness の項目で、他の 2 変種と比
較して高い評価をしているという結果が報告された。さらに、イギリス英語は音声提示のみの
場合で全体的な評価が高かったうえに、その後「これはイギリス英語である」という変種名を
提示した際にはさらに評価が上がったという。インド英語については、イギリス英語より全体
的な評価が低く、変種名提示後に評価がさらに下がったとしている。また、日本アクセント英
語に対する評価は、音声のみの提示時も変種名提示後も、インド英語よりさらに低くかったと
報告されている。このように、インド英語や日本アクセント英語がその変種名の提示後にとも
に評価が下がったことから、花元(2010)は、NS 英語は英語学習者にとっての学習モデルで 105
あり、それ以外の変種である NNS 英語に対しては否定的固定観念(ステレオタイプ)をもって
いると結論づけた。Crismore, Ngeow & Soo(1996)のマレーシア人の英語変種に対する態度
の研究では、NS 英語は social status で高く評価される一方で、NNS 英語は attractiveness で前
向きに評価されるという結果が出ており、非標準変種は必ずしも否定的に受け取られるわけで
はないという Trudgill(1974)の言説を支持する結果となっていたが、この日本人における調
査では NNS 英語は「親しみのある」、「好ましい」ものという受け入れ方はなされていないこと
が実証された。NNS 英語のなかでもとくに、日本語の影響を強く受けた英語への否定的な態度
は、Chiba, Matsuura & Yamamoto(1995)や Matsuda(2003)でも同様に報告されている。
Matsuda(2003)はこの理由として、英米語(とくにアメリカ英語)だけが「正しい」もので
あり、日本語の影響を強く受けた英語は、日本語母語話者には避けて通れないものではあるもの
の、
「本物」の英語である英米語から逸脱した「正しくないもの」であるという認識のためであ
ると結論づけた。Tanaka(2010)が日本人大学生を対象に行った調査では、NNS 同士のコミ
ュニケーション手段として英語が果たす役割や、英語は今や NS だけでなく NNS のものでもあ
ると認識されているという結果が出ている一方で、標準英語(standard English)はアメリカ英
語、あるいはイギリス英語であるべきだと考えるものが多数を占めており、英米語以外の新たな
標準英語という考え方にはほとんどの学生が否定的であったという。
このような一連の研究結果で、英米語のみが英語の標準語であり、その他の変種には否定的な
態度を有するという英語の標準語志向が明らかになった。Milroy & Milroy(1999)は、標準語
3
イデオロギー(standard language ideology) を標準語に対する規範主義的な態度であるとし、
あるひとつの変種のみが唯一の正しい言語であるという信念が、他の変種に対する不寛容を引き
起こし、非標準変種に対して「のぞましくない」、あるいは「逸脱している」ととらえる考え方
ICR 行森まさみ
106
力を習得することはほとんど到達不可能に近いとされていることがあげられる。さらに、Cook
(1999,p. 187)は、そのような学習への不全感を根拠とする劣等感からは永遠に解放されるこ
とはないと述べている。また、矢野(2004,p. 192)も同様に NS レベルの英語力をむやみに目
指すことへの弊害を指摘したうえで、NS にできるだけ近づこうとする「クローン志向」を否定
し、国際語としての英語の概念への転換を提案している。鳥飼(2011,p. 186)は英語の母語話
者を目標にするという無理な到達度から学習者を解放し、NS 規範から自由になることの利点を
強調したうえで、国際共通語としての英語を学ぶという目標の明確化を主張している。日本の英
語教育では「NS 英語の習得」を当然のこととしてとらえる言語観の存在がある。その根拠とし
て、これまで日本の英語教育においては、いかに英語運用能力を育成するかという一連の第二言
語習得(SLA)研究や、小学校での英語科目の必修化の是非といったように、いつ(when)ど
のように(how)英語を学ぶのかということに多くの研究や議論の焦点が置かれ、どのような
(what)英語、誰の(whose)英語を学ぶのかという議論がほとんどなされてきていない現状が
あげられる。現代の世界における英語が話されている状況、日本人が実際に英語を話す相手はも
はや NS だけではないという現実、さらに、英語学習における心理的側面から考えても、この偏
った英語観は問題視されるべきものである。
つぎに、このような言語態度が形成される要因となるものについて、日本の英語教育という
(1)国の方針である学習
観点からの考察を試みたい。まず、国の英語教育における政策から、
指導要領の変遷、および(2)英語教育の充実と国際化の推進をめざす JET プログラムについて、
そして、(3)英語教育を直接的に担う英語教師に関わる問題、さらには(4)どのような英語を
学ぶかという学習モデルについての議論についてみていきたい。
日本人の英語観を形成する要因に関する一考察
3. 日本の英語教育の観点からみた日本人の英語観の形成要因
(1)学習指導要領の変遷
まず、日本の教育の指針を示した学習指導要領について、学習者はどのような英語を習得すべ
きだと記述されてきたのかという点を中心に概観する。戦後の学習指導要領には、NS 英語(と
くに英米語)の習得が公然と謳われていた時期があった。昭和 22 年度版には、モデルとすべ
(1947,p. 25)
き発音について、「アメリカの発音に習熟されたい」 、とあり、昭和 44 年度版ま
では「現代のイギリスまたはアメリカの標準的な発音」と明記されている。昭和 52 年度版から
は「現代の標準的な発音」となり、具体的な国名が消えたのだが、これは今でいう世界で使用
されている国際共通語としての英語を包括したものではなく、仲(2006,p. 19)は「現代の」
ということばが意味するのは実質的に「アメリカの」ということであり、イギリスが英語学習
のモデルから排除されただけであると指摘している。つまり、結局はアメリカ英語(General
American:GA)モデルの一辺倒が推進されていたというのが現状であった。さらに、そのよ
うな英語の習得を目指すために、「われわれの心を、生まれてこのかた英語を話す人々の心と同
(1947,p. 1)
じように働かせること」 、「英語を常用語としている人々、とくにその生活様式・
風俗および習慣について、理解・鑑賞および好ましい態度を発達させること」(1951,p. 37)と
明記されていた。その言語の背景にある文化に対して肯定的および好意的な態度を有することは、
目標言語の習得に効果的であるとされているが、学習指導要領におけるこのような記述は、言語
観を画一的に規定する可能性をもっていたことを考慮しなければならない。
しかし、平成元年度版の学習指導要領からは英語の多様性への寛容な態度を謳う記述が見られ 107
るようになり、以下のような文言が明記されるに至った。
現在、英語は国際語と呼ばれるほど世界の人々に使用され、多様性に富んだ言葉である。
その多様性に富んだ現在の英語の発音の中で、文語的過ぎたり、あるいは口語的過ぎたり、
また特定の地域やグループの人々の発音に偏したりしないいわゆる標準的な発音を指導す
ることが大切である。(1989,pp. 47-48)
「国際語」
、「多様性」ということばの使用、「文語」
「口語」という言語使用の区別への言及、
さらには特定の地域変種および言語コミュニティの発音の偏重を否定する言語態度が述べられて
いることは革新的であるといえる。しかし、この「標準的な発音」というのが意味するものは具
体的に何なのかは依然として不明確である。この点について、日本で教鞭をとる英語教師がこの
文言を重視し、実際の教育実践に反映させることができる環境が整えられているのかは疑問視さ
れるべきところである。Mimatsu(2011,p. 256)は日本人英語教師に学習指導要領のこの「現
代の標準的な英語」をどのように認識しているか(複数回答可)について調査を行ったところ、
92.5% がアメリカ英語と回答し、次いでイギリス英語が 64.2%、アイルランド・カナダ・オー
ストラリア・ニュージーランドが 41.5%、シンガポール・インド・ケニアなどが 11.3%、日本・
中国・スペイン・ブラジルなどが 5.7% であったとしている。つまり、半数以上の英語教師が
「現代の標準的な英語」の中に、NS 英語の中でも英米語以外の英語変種を含めて考えておらず、
NS 英語以外の英語に関しては英語を公用語としている国の英語は 1 割、それ以外の日本を含め
た NNS 英語は 1 割にも満たないという状況で、絶対的ともいえる英米語に対する支持が検証さ
れた。このことから、学習指導要領ではもはや直接的に言及されていないものの、日本の英語教
ICR 行森まさみ
師は、指導する英語については英米語(とくにアメリカ英語)を想定していることが明らかにな
った。
(2)JET プログラムの功罪
指導要領における英語の「国際語」としての記述がみられたほぼ同時期の 1987 年には、外
国語青年招致事業(JET プログラム:Japan Exchange and Teaching Program)が開始され
た。これは海外から外国語指導助手等として外国人を招聘し、中学校・高等学校等に配属すると
いうプログラムであり、現在も存続している。その狙いは「英語を母国語とする外国人から直接
語学指導を受けることにより生きた英語を学ぶと同時に、その学習を通じて諸外国に関する正し
(文部省,1987,p. 20)と述べられているが、発足当時はこのプログ
い理解の促進を図ること」
ラムで来日した 848 人の参加者のうちの大多数がアメリカ出身であり、現在でも約半数がアメ
リカ人という現状がある(財団法人自治体国際化協会,2013)4。このことから、この政策からは、
英語の多様性の現状を英語教育に真に反映させるという意図はうかがえず、学習指導要領の「国
際語」の記述の形骸化がさらに浮き彫りになる。
さらにこの JET プログラムの目的は、生徒だけではなく英会話力の乏しい教師のためのもの
でもあるという見方もなされている。塩川(2002,p. 292)は、「もしほとんどの日本人の教師
が完璧な英語運用能力をもち、英語をコミュニカティブに教える技術をもっていたなら、JET プ
ログラムをこの先続けていく必要はないだろう」としている。ここに JET プログラムがもたら
す弊害があると考えられないだろうか。まず、日本人英語教師の英語運用能力に完璧性は求め
108
られるべきなのかという点である。JET プログラムが開始されたこの当時は、日本人英語教師の
英語力(とくに「英会話」力)が疑問視され、教師が到達すべき目標として「NS の英語力、プ
ラス英語教育的英語力(指導力)」ということがいわれていた(松畑,1989)。英語という言語
を教える以上、高い運用能力が求められるのは当然であるが、それは NS レベルのものではな
く、現在ではむしろ NNS 教師であるからこそ可能になる指導ポイントの理解や、日本人英語話
者としてのロール・モデルを示すことができるという NS 教師とは異なる NNS 教師としての利
点が広く認識されるべきである。(この点については後述する。)そして、塩川(2002)が述べ
たコミュニケーションのための指導法の知識が日本人英語教師に欠如しているという点について
注意すべきなのは、JET プログラムで招聘される NS 教師ならば全員それを熟達しているという
思い込みの危険性である。NS 教師が教室にいて英語を話しているからコミュニカティブな授業
であるという安易な過信は絶対に避けるべきである。重要なのは、その NS 教師が教室にいるこ
とで学習者にどのような作用が働き、どのような影響を及ぼすのかということをメリットとデメ
リットの両面から、日本人英語教師、NS 教師ともに認識をすることである。もちろん、JET プ
ログラムにはその目的として謳われた大きな利点があり、母語で通じ合ってしまう日本人同士で
はなく、英語でしか通じない相手が身近にいるという環境を提供していることや、このように話
したいという憧憬の念からの学習動機づけの増大、また、
(ある特定の)異文化接触のきっかけ
となることなどが英語学習に及ぼす効果は否定しない。しかし、学ぶべき英語はやはり NS 英語
であるという NS 信仰を助長し、この NS モデルが英語学習の最終到達目標であると学習者に強
調しているという弊害の大きさに言及せざるをえない。D Angelo(2008,pp. 69-70)は英語の
授業を行う日本の教室におけるこのような NS 教師の存在について、 a lasting impression with
the young students that the only true living English is that spoken by the attractive young
monolingual Caucasian teachers”と述べ、痛烈に批判している。日本人にとっての「生きた
日本人の英語観を形成する要因に関する一考察
英語」および「本物の英語」、「英語の真正性(authenticity)」というのはまさにここに言及さ
れているような、NS の ALT(Assistant Language Teacher)たちが話す英語のイメージそのも
のなのではないだろうか。そして、ここで重要となるのは、「彼らが話す英語」そのものではな
く、「彼らが話す英語のイメージ」なのである。
Seargeant(2009)は、日本社会におけるこの「英語の真正性」について、それは母語話者モ
デルを想定しているが、実際の母語話者の英語使用を正確に反映しているわけではないという
点での両者の乖離を指摘し、その特異性に言及している。日本社会には、英語という言語が担う
独特のイメージ「英語=英語国=西洋」があり、そのイメージとの距離に応じてそれが真正か
否かということが測られているというのだ。この立場に依拠すると、そのイメージから離れるこ
とで英語は「本物」ではなくなってしまうことになる。つまり、教室で日本人英語教師が内容伝
達のために英語で話をしていても、それは本物ではないという認識になり、学習者自身が実際
に(教室外で)英語で意思疎通を図っていたとしても、それもやはり本物の英語ではないという
ことになるのだ。果たしてこれは真であるといえるだろうか。英語でのやりとりが成立している
状況こそが、その言語が生きている、本物であるという証拠なのではないだろうか。NNS とし
て日本人が話す英語も本物であると受け入れられるようになるためには、まず、「英語の所有権
(ownership)
」を有しているのは NS のみであるという考えからの脱却が不可欠であるといえよ
う。
(3)NNS としての日本人英語教師
さらにもうひとつ重要な要素としてあげられるのが、英語教師の英語観である。日本では英語 109
が必修科目となり、今や全国民が教育課程の中で学ぶ英語という科目の、具体的なシラバス、教
材選定、そして日々の授業を学習者に対して行うのは教師だからである。
Jenkins(2007)は、日本、中国、ブラジル、スペイン、フィンランド等を含む Expanding
Circle の 12 カ国の 326 名(うち NS は 26 名、NNS は 300 名)の英語教師に対して英語のアク
セントに関する調査を行った。彼らがもっとも好ましいと回答したのは圧倒的にアメリカ英語で、
次いでイギリス英語であった。カナダ英語、オーストラリア英語などは、インド英語などと同様
に低い割合にとどまり、NS 英語の中でも強い英米語志向が明らかになった。
「正確性」
、「好ま
しさ」、
「国際的な受容性」の観点から、英米語が「最も良い英語のアクセント」であると考える
確固たる言語観が検証された。さらに、NNS 英語(日本、中国、ブラジルなど)に対する態度
についても調査が行われ、興味深い結果が報告されている。NS、NNS 教師共通の英米語志向は
前述のとおりであるが、NNS 教師は NS 教師よりも NNS 英語のアクセントに対しての寛容度
が低いことがわかった。「正確性」、
「受容性」
、「好ましさ」、「親しみやすさ」というすべての項
目において、NNS 教師は NS 教師より否定的に評価をしているのである。Jenkins はこの理由
として、NNS 教師は強い標準語(英米語)イデオロギーを有しており、それが NNS 英語への
否定につながっているのではないかとしている。さらに、NNS 英語である ELF は、多くの教師
にとって、標準語とされるものから比較して「単純化された劣った英語(an inferior simplified
English)」(Jenkins, 2007, p. 248)とみなされているという指摘をしている。
また、Dewey(2012)は、イギリスの大学院の TESOL 修士課程に在籍する英語教師を対象に、
ELF の認識について半構造化インタビューおよびフォーカス・グループ・ディスカッションに
よる調査を行った。それによると、調査協力者である英語教師たちは ELF の有用性や実在性を
認識しており、それは自らが教える学習者にとっても関わりのあるものだとする一方で、ELF
ICR 行森まさみ
の体系化がなされていない点を指摘し、自身の英語指導に活かすことは難しいという現状が明ら
かになった。また、教室ではたとえ意味が通じていても文法的規範から逸脱している場合、「意
味」より「正しさ」が優先されることが指摘されている。
Jenkins(2007)と Dewey(2012)による英語教師の態度に関するこれらの指摘は、英語教師
の強い標準語イデオロギーと規範主義の意識の問題を提起している。規範主義(prescriptivism)
とは、言語のあるべき姿を関心事とする態度をさすが、その一方で、言語のありのままの姿に関
心を向ける態度を記述主義(descriptivism)という。言語教育はテストなどの評価の観点から、
その性格上、一般的に前者の立場をとるとされており、後者は、言語が社会の中で実際にどのよ
うに使用されているかということに重点を置く社会言語学的観点である。Timmis(2002)5 によ
ると、NS 教師より NNS 英語教師のほうがより規範主義に忠実であると述べているが、これは、
NS 教師は英語を母語として日々使用し、実際の語用について熟知しているという点と、NNS
教師はそれが不足している、あるいは欠如しているためにある程度の規範に頼らざるをえないと
いう状況から推測がしやすい。しかし、この規範主義への過度の傾倒には問題があるのも事実で
ある。英語学習者は教室で学ぶ学習者であると同時に、社会において実際の英語の話者になるこ
とを想定しているはずである。そうであるならば、NNS が実際にどのような英語を話して、ど
のようなコミュニケーション・ストラテジーや調整ストラテジーを駆使して意思疎通を図ってい
るのかということについても意識を向けられるべきではないだろうか。英語教育における規範主
義という教室の現実と、実際の言語使用である記述主義のジレンマは、二項対立という図式では
なく、相互に歩み寄るべき概念である。
110
また、もうひとつの問題として、この規範主義への過度の傾倒は、NNS 英語教師自身の「不
安(insecurity)」を強めるという危険を含んでいる。つまり、NNS 英語教師が英米語至上主義
を高く掲げ、その規範に忠実であればあるほど、自身の英語力は NS 並みのものでなければな
らないという縛りが強化されることになる。NNS としての英語運用能力はいかに高いものであ
るとしても、NS と比較してしまうとそれはどうしても劣ったものという認識に陥る。これが
NNS 教師の自信の欠如を引き起こすわけであるが6、この点について、前述の日本社会におけ
る特殊な英語の真正性から鑑みると、日本人 NNS 教師は、社会から求められる英語の真正性を
自らは提供できないというさらなる壁にぶつかることになる。日本社会が前提としている「本
物」の英語の運用能力を有していないと感じ、学習者の前で英語を話すことをためらうという
状況が生じてしまうことも考えられる。しかしながら重要なのは、日本人 NNS 教師として、同
じ NNS である学習者に教えるという利点を建設的に活かす方向を考えることである。Medgyes
(2001, p. 436)は NS 教師と比較した NNS 教師としての利点について、以下の項目をあげてい
る。
1.NNS 教師だけが成功した英語学習者モデルを提供できる
2.NNS 教師はより効果的に学習方略を教えられる
3.NNS 教師は英語という言語についてより多く情報を与えられる
4.NNS 教師は言語学習の困難について予測可能である
5.NNS 教師は学習者が求めているものや問題に共感できる
6.NNS 教師だけが学習者と母語を共有することの恩恵を受けられる
ここでは、国際共通語としての英語を教えるという観点から、1 の項目に「成功した英語学習
日本人の英語観を形成する要因に関する一考察
(4)英語変種の学習モデルとしての可能性
最後に、日本の英語教育の現実問題として、英米語以外のその他の変種が学習モデルになりう
るのかということについて論じていきたい。英語の世界的拡散にともなう地域変種の発達と受容
については前述のとおりであるが、それでは果たしてそれらの地域変種および新変種が日本人の
学ぶ英語の規範となるのかという可能性を見ていきたい。
まず、日本人としてのアイデンティティを保持し、無理なく習得できる可能性のある Japanese
English モデル(Hino, 2012)について考えたい。日本人らしい英語を堂々と話せばいいとい
う大らかな思想はたしかに必要なものかもしれない。しかし、そもそも Japanese English とは
どのようなものなのか。日本語の音声の影響を強く受け、語彙や文法においてもその転用がみら
れるものをさすのか。Japanese English の問題点は、言語としての不確定性である。その変種
に体系化した言語機能が存在し、その変種の実際の使用が十分でない場合は、それがモデルとな
る可能性は低い。
日本では英米語を規範としたモデルを採用しているが、これは Exonormative native speaker
ICR 行森まさみ
112
さらに、同様の概念である EIL については、Matsuda(2012, p. 7)が、EIL は国際的な多言
語社会というコンテクストにおいて英語が果たす機能であるとし、EIL を含めた何か一つの変種
がどのような国際的コンテクストでのやりとりにも万能に機能することはありえないと述べ、英
語教育においては、あらゆる変種に対応して相互理解が図れるように努力できる方略の重要性を
主張し、EIL が学習モデルになるということを否定している。
それでは、なにかひとつの単数モデルではなく、複数モデルの提示はどうなのであろうか。
Canagarajah(2005)、McKay & Bokhorst-Heng(2008)は、絶対的な単一モデルの危険性を
認識したうえで、世界の英語の多様性を鑑みた複数モデルの受容の必要性を主張している。これ
は、前述した、教室と社会言語学的現実の乖離を埋める良策であるかもしれない。学習者が英語
の多様性を理解するきっかけとなる可能性を含んでいる。シンガポールのように英語の国内使用
と国際的使用の区別を必要とするのであれば、その両方のモデルの提示は有用であろう。しかし
ながら、日本というコンテクストにおいてはその複数なるものについてどの変種をいくつ採用す
るのかという問題が生じる。また、実際問題として教室で複数の学習モデルを扱うことについて
は、学習者に混乱が生じることも避けられないであろう。
これらの議論から、日本の英語教育において NS 英語が学習モデルであることは、現状として
避けられないことといえるかもしれない。しかし、ここで重要となるのは、その NS 英語モデル
への規範主義的態度を強化せず、また、その完全な習得を学習の最終到達目標としないことであ
る。本名(1999,p. 136)は、英米語などをモデルに学習し、その結果として獲得した英語のパ
ターンを有効に使えばよいとしている。自らが獲得した英語をも多様性のひとつとして肯定的に
とらえ、過度な規範へのこだわりを否定すべきなのである。多くの英語変種にさらされるという
経験が、学習者の非標準変種への寛容度を高めるのに有効であるとしたら、それは複数変種をモ
デルとして提示するのではなく、英語の多様性を紹介する目的での変種の提示というかたちが適
日本人の英語観を形成する要因に関する一考察
切であろう。
4. おわりに
これまで、日本人の強い標準語イデオロギーに起因する NS 英語への規範主義的態度と、NS
英語以外の変種への否定的態度、さらには、英語教育の観点からみたその言語態度の形成要因、
およびそれに関わる問題点について論じてきた。最後に、この問題について取り組むべき課題に
ついて考えたい。NS モデルの採用が現状として不可避なものであるとすれば、学習指導要領で
は「英米語」をモデルとするという文言を消去したうえで「国際語としての英語」という形だけ
の記述を行うのではなく、より具体的に、そのモデルへの絶対的追従の回避とそれによる利点を
明記すべきである。また、英語教師については、教員養成課程や教員免許更新時の講習などを通
じて、英語の多様性や EIL、ELF の概念に関する認識を高めることが急務であろう。指導法や
学習者要因だけでなく、英語の社会言語学的側面へも意識を向けるなかで、自身がもっている可
能性のある標準語イデオロギーや、規範主義といった英語観について客観的に把握し、教育実践
に還元することが望まれる。平賀(1986,p. 333)は、「指導技術よりも英語教育そのものをど
う考えるか、もっと根本的には英語(そして言語)をどうとらえるかについて確固たる思想を持
つことが教師としてまず必要なのではあるまいか」と述べ、日本の英語教師に今まさに必要とさ
れる点について指摘している。現代の英語という言語がもつ性質を認識し、それを NS が所有し
ている単なる便利な道具として活用するのではなく、自分たちの話す「ことば」としてとらえた
うえで、自身の英語観を再認識する必要性が問われている。これまで当然のものととらえてきた 113
概念を覆すのは容易なことではない。大きな衝撃、それに対する反発などを経て、ようやく受容
に至ることもあるだろう。そして、受け入れたとしても、それを実践するにはさらなる力を要す
る。この理由として、英語教師の規範主義的態度は、言語教育がもつ性質に依拠するだけでなく、
もっと個人レベルの、英語という言語に対する動機づけとも深く関係していることが考えられ
るからである。英語教師という職業を選択し、毎日の実践を続けていく動機づけは、「英語」と
「教育」に対する個々の信条が根底にあることは間違いない。それが NS 英語に対する個人の経
験からくる思い入れである場合、そのような個々の経験と信条との関係性を明らかにしていくこ
とが、日本人英語教師の英語観をさらに詳細に検証する手立てとなり、日本の英語教育における
英米語への絶対的追従からの脱却を図るためのひとつのきっかけとなるであろう。
註
1 Jenkins(2007, p. 2)は EIL と ELF の違いについて、前者は NS / NNS すべてを包括した概念であり、
後者は NS を除外したものであるとしていたが、ELF でもやりとりの相手として NS を含むことがあ
ることから(Seidlhofer, 2004, pp. 211-212)、現在は同様のタームとして使用されることがあり、研
究者によってその見解が分かれている。
2 調査方法は Giles & Powesland(1975)によるマッチガイズド法を採用。調査協力者に変種の音声を
聞いてもらい、話者の社会的能力や社会的な好ましさなどの度合いを測定する方法。
3 Jenkins(2007, p. 33)は、ELF 話者が標準語イデオロギーに強く影響を受けているとした上で、その
理由として、彼らが話す英語が performance 変種であるとみなされ、標準語とされる英米語と常に
比較されてきた経緯をあげている。
ICR 行森まさみ
4 2013 年現在は、南アフリカ、ジャマイカ、シンガポール、インドなどからの来日者も増えている。
5 ヨーロッパの英語教師に対して調査を行い、ヨーロッパの共通語としての Euro-English の存在を認識
しながらも、教室ではイギリス英語規範を重視していることを明らかにした。
6 これは結果として、Phillipson(1992)の「native speaker fallacy」に明確に述べられているような「NS
教師は NNS 教師より優れていている」という正確とは言いがたい、単純化された認識を生むことにつ
ながる。
7 Jenkins(2009)、House(2012)は、NS の発音や語用に近づけば通じるという考え方ではなく、
NNS としての方略の認識の重要性を強調している。例としては、繰り返し(repetition)、言い換え
(paraphrase)、多言語を活用したコード・スウィッチング、互いに NNS であることを認識して相手
に助けを求めること(request for help)、独自のイディオムの使用(creative use of idioms)やアイ
デンティティの提示(showing identity)があげられている。
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