The sauna、そこは長野にあるホルガ村
どうも。榊ことブタおじさんです。この見出し、別に嘘じゃないと思う。いる人は全員キマってるわけだし。人死にが出ないだけで、ある意味カルト的な場所だし。北欧チックだし。まあでも若干悪意があるのは認めるところだ。なぜなら僕は、所謂サウナーと言う奴らが好きではないのだから。
お前もサウナー名乗ってるだろ何言ってんだ、と思うだろうが落ち着いてほしい。確かに僕も一般的にはサウナーという括りに入る人種なのは間違いないのだけれど、個人的には、昨今のサウナブームに乗じる形で小洒落たサウナハットをかぶっている若人たちとは別の人種であると自認している。まあつまり、めんどくさい古参の老害みたいなもんだ。メタラーだからね、しょうがないね。
※メタラーは大体めんどくさい原理主義者ばかりです(個人の感想です)
だってあいつら、正直言って邪魔なんですもの。なんで標準体重で健康診断にも引っかかってなさそうなモヤシの若造がどっかの施設のロゴ入りサウナハットと自前のサウナマット持ってスマートウォッチで心拍やら時間測りながら複数人で押し寄せてくるんだよ。何しにサウナに来てるんだよ。気付きや閃き、イノベーションや自己啓発のため? もうアホかと。サウナはね、おっさんのおっさんによるおっさんのための場所なの。おっさんになればなるだけサウナ室ではヒエラルキー上位なわけ。仕事やらなんやらを持ち込んでる人はいないの。全部忘れて、孤独になりにきているの。ダイエットするのがめんどくさいから、一縷の希望とやった感を得るために腹の出た奴らが発汗しにくるの。爺さんたちがお互い生きてるのを確認する地域の社交場なの。
君たちが持ち込んできたようなキラキラしたものとは無縁のドロドロした男臭い世界なの。ヘヴィメタルと一緒なの。
だけど僕は、コンテンツを充実させるのは、そう言う眩しい奴らだってことも知っている。僕たちは良くも悪くも因習に囚われ変化を嫌うから、好きなものが好きなもののままでいてくれと願うけれど、大抵のものは停滞したら最後、廃れていく。もちろん良い発展ばかりではないけれど、そうやって大衆に認められないものはいずれ淘汰されていくのだ。だけど陰でこっそり楽しんでいる黎明期みたいな時が、往々にして一番楽しかったりもするから、受け入れるのが難しかったりもするのだけれどね。そうやってめんどくさい古参というものが出来上がるのだと僕は思う。
とまあそんな感じで僕はめんどくさいタイプのサウナーなのだけれど、だからこそ、奴らに対して疎ましく思いつつも感謝しているのだ。お前たちがいるおかげで僕のホームサウナは混雑しているけど、そのおかげでサウナ室は綺麗に保たれているし、アップグレードされているし、何よりThe saunaみたいな凄い施設が出来たりもするのだから。
と言うことで、ずいぶん前置きが長くなったけれど、8月に長野県は野尻湖の辺りにあるThe saunaへ行ってきたのだ。
凄いところだったよ。前述の通り、僕は面倒臭いタイプのオタク気質を持っているので、こういういかにもな所っていうのは穿った目線で見てしまうのだけれど(そもそも僕は湯船がないサウナ施設はあまり好んでいない)、やはり皆が絶賛するだけあって素晴らしい施設だった。
いざ日本のフィンランドへ
8月某日、今回は友達であるモヒカンと剛毛(両名ともクズのパチンカス)と一緒に行くことになっていたので、中野市で彼らと合流した。妻の実家(長野)へ子供と一緒に帰省をするついでに、サウナへいく許可をいただいた格好だ。
ビジネスホテルでクズ2名をピックアップし、下ネタ7割ギャンブル2割仕事1割くらいの会話をしながら野尻湖へ車を走らせた。
盆期間だというのに野尻湖周辺はそれほど混雑もしておらず、さらに森の中ということも相待って異界感を増幅させていたように思う。
そうして細い林道のような道を走った先に、それはあった。
The Saunaの登場である。サウナというより、小さな村と言った方がしっくりくる。ああ、僕たちは今、遠く北欧へやってきたのだと錯覚するほどだ(北欧なんて行ったことないけど)。おそらくお客さんは沢山いたんだろうけど、動線のおかげなのか、全く混み合っている感じはなく、むしろ静けさを感じるほどだ。アリ・アスター監督の映画で出てきそうだなという感想を抱くのは、僕の感性がおかしいからだろうか。
受付の建屋に入るとお客さんが多くいて、ここが日本だったと思い出す。スタッフさんは若い方が多い印象だけど、皆気さくで、サウナが好きなんだろうなという感じだ。僕はこの日、舐められないようにと神戸サウナ&スパのポロシャツを着て行ったのだけど、スタッフの兄ちゃんに「自分もそれ持ってます。あそこ最高ですよね」と話しかけられ、勝手に先手を打たれたような気持ちになった。ほう、できる。一目でこのポロシャツを見抜くばかりか、ちゃんと行ってもいるなんて。もうそれだけで、この場所が尋常じゃないと思い知らされるというものだ。
僕が勝手に臨戦体制になっている間にスタッフの方は説明を一通りすませてくれていたようで、友人達は受付の建屋を出て行ってしまう。僕はウロウロしてて何も聞いていなかったので、慌てて彼らを追う羽目になった。やれやれ、油断ならないぜ。
桟橋のような通路の途中にある脱衣所でレンタル水着に着替え、いざサウナへ向かう。この日予約していたのは、3号棟のコルメという3時間貸切のサウナだ(というよりここしか予約できなかった)。
これが結果的にはとても良い選択で、思う存分自分のペースで蒸されることができた。ロウリュをこれでもかとやって熱々にするパターンや、寝そべってじっくり温めるパターンなど、いろいろな形でサウナを堪能することができる。夕暮れ前なら、なんと野尻湖を水風呂として使用することもできるというから凄い。
※まあ野尻湖時体は温いし地面はヘドロみたいにヌメヌメだし、サウナから若干距離はあるしで、水風呂としての評価だけならぜんぜんイマイチだけど。でもロケーションを堪能するロマン枠としては満点。
悔しい! でもととのっちゃう!
飲み水としても使える小屋脇の水風呂は適度より少し冷たいくらいだったけど、芯からサウナで温まるのでちょうどよく、そして何より飲むとめちゃくちゃ美味い。最高と言って差し支えない気分だ。友人と来ているのに、気づけば皆最低限しか喋らず、己の世界に入り込んでいる。ととのい椅子として用意されているインフィニティチェアに横たわり、虫の声を聴きながら夕まずめの空を眺める。鼻腔からは蚊取り線香の匂いがする。ちょうどいい気温だ。そうだ、昔の夏の夕暮れ時はこんな感じだったな。そうして目を瞑ると、なんだか時間の感覚が失われていく。いろんな奴がサウナに来るようになって、サウナのあり方も変わってきているけど、僕にとってのサウナはずっと変わっていないように思う。ただ、自分と向き合うだけの場所。一人の僕になる場所。ある種のタイムマシン。そんな所だ。
あの時、iPodで音楽を聴きながら、独りぼっちで故郷から遠い町を歩いて見上げた空を、この時は思い出していた。真っ暗だったり、真っ赤だったり。僕は昼間に外を出歩けなかった。死にたかったり、許せなかったりして、不安がとめどなく押し寄せてきて、とても生き苦しかったけれど、その中にもなんだか漠然としたワクワクや希望を持っていた頃だった。何者かになれると思っていたし、なれなかった時は死ぬ時だと信じてしまっていた。救いは外の世界にはなくて、カーテンをずっと閉め切っていた部屋で、16インチくらいの窓からしか世の中と繋がれなかった。当時のそこは今よりも煩雑で混沌としていて、決して優しくも綺麗でもなかったし、便所の落書きみたいだったけど、少なくとも自由ではあって、そんなところに救われていた。2次元コンテンツなんてものに市民権は全然なくて、それらは僕らみたいな弱いものの為だけにあった。そんな時分だ。青空の下を歩いた記憶なんて、全然なかった。
あの時見ていた空が、この時見ていた空だった。そんな風に過去と現在が混ざり合って、なんとも言えない気持ちになった。あの僕は今の僕を見て羨ましがるとも思うし、日和ったなって叱責するかもしれない。一方で今の僕はあの僕を見て、ギラギラしていて尖っているその気持ちやガラスみたいな感性は尊くて忘れないようにしなきゃと思うけれど、たとえ生まれ変わっても、過去に戻ってやり直せるとしても、今いるここに到達できるように生きるだろうねって思ったよ。
なんだ、僕はやっぱり今めちゃくちゃ幸せなんじゃないか。色々間違ってきたし、あの時こうしていればって後悔も、この先の不安もたくさんあるけど、それでも今がいいと思てるじゃないか。なんとか今日まで生きてきたけど、明日からもこうやって楽しく生きていたいって思えるようになったよ。
軟派なサウナじゃととのわねえって思っていたのだけれど、そうやってちょっとしたタイムトラベルを経ているうちに、対魔忍のごとくあっという間にととのっちまったわけだよ。
まあそんな感じで3時間まるまる堪能したあとはお待ちかねのサウナ飯。これがまたどれも信じられないくらい絶品で、他の料理を食いたいがためにまた再訪してもいいかなと思うほどだった。
食後に娘とお揃いになるTシャツのお土産をかって、大満足で帰ったわけでした。
色々言ったけど、他の小屋のサウナも絶対にいつか入りたいと思える素晴らしいところだったよ。冬にも行ってみたいと思うけど、ちょっと覚悟がいるな。でも絶対、最高なんだろうなあ。
さて、次はどこに行きましょうかね。