てんびん算の起源を求めて | メタメタの日

食塩水の濃度の問題では、「てんびん算」という解法が、受験算数の定番になっています。

これは、1970年代半ばに東京の「四谷大塚進学教室」で教えていた坂本潔先生が編み出し、四谷大塚の算数担当の先生に教えたところ、2年間ぐらいの間に東京中の塾に広まったということです。(http://www.e-juken.tv /の「濃度算」の坂本先生自身の解説)

しかし、この元祖説に対しては異議もあり、受験算数界では知られた存在のI先生が、mixiのあるコミュで、70年代半ばに開成中学に入学した自分たちの間では、誰に教えられるまでもなくこの解法を使っていたと書いています。

それもあって、昨年暮れから、てんびん算の起源の探索を始めたことは、以前も書きました。

分かったことは、濃度の問題は、戦前は、「混合算」と言われ、てんびん算と変わらない解法があったということです。それが、戦中戦後の30数年間で忘れられ、70年代に再発見されたわけです。

その混合算の元は、明治初めの洋算移入期の「和較比例」であり、和較比例の元は、西洋の中世から近世の商業算術の中に「混合算」としてありました(これも書きましたが)。

もっとも、日本でも、江戸時代後半には、茶や酒を混合する問題は、単発の問題として登場するようになっていましたが、明治になって洋算の時代となると、比例の単元の最後の「和較比例」として教えられるようになり、明治20年代頃からは、比例の単元から独立して、「混合算」と呼ばれるようになって、受験算数の特殊算の1つとして定番化し、表式(いわゆるてんびん算)の解法はマニュアル化していったのです。しかし、表式の解法は、昭和20年の敗戦後、算数で濃度の問題自体の出題が少なくなるとともに忘れさられ、昭和30年代中頃から食塩水の問題が頻出するようになり、さらにそれが難問化する中で、昭和50年前後に、「てんびん算」として再発明され、現在では、中学入試の受験算数の必須テクニックと化している‥‥こう総括できそうです。

 品質や価格や成分の含有率の異なる2つ以上の物質を混合するという問題の淵源は、ヨーロッパでは13世紀初頭のフィボナッチの貨幣改鋳問題までたどることができ、さらにそれから千年以上昔に飛んだ、アルキメデスの王冠の問題の比重による解法となるようです。

このように西洋には混合問題は伝統的にあったのですが、中国には見当たらないようです。その理由は、西洋では、合金を製造したり酒をブレンドをしたりしたが、中国ではそういうことをしなかったということでは多分なく、混合して新しく造られた物について、金属の含有率や酒精分の濃度という「内包量」に西洋では着目したが、中国では内包量という概念が生まれなかったという事情があるのかもしれません。しかし、これについてはまだ断定はできません。