シニカルに皮肉を言うことは、自由の発現のように見えて、実は最も不自由である、というはなし。 民衆の風刺としての「キュニシズム」 自分たちの力の届かない権力者の言葉や行動の「キレイ事」を、皮肉や風刺を通して、隠されている利己的な関心、暴力、権力欲を暴くことを「キュニシズム」といいます*1。 権力者が「キュニシズム」を利用して打ち立てる「シニシズム」 それに対して、「民衆が冷笑して無関心になってくれることで行動が取りやすくなる」という(意識的・無意識的な)判断のもと、皮肉や風刺で、それ以上の批判を封じてしまうのが「シニシズム」です。 「シニシズム」は行動に根付く たとえば「政治」を語るとき、僕らは「特定のモード」に入り言葉を紡ぎます。 その言葉は、たいていは「あきれた」「馬鹿馬鹿しい」です。 これが思考停止であることは明らかなのですが、それ以上踏み込むことは実は危険なことだと分かっているし、と