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ブックマーク / members.jcom.home.ne.jp (5)

  • 不思議館〜中世の血塗られた史実〜

    中世と近世のはざまで揺れ動くルネッサンスの時代。その頃、イタリアはまだ統一国家の形ではなく、ベニス共和国、ミラノ公国、フィレンツェ共和国、ローマ(教皇領)、ナポリ王国などの5大勢力に分かれて、互いに牽制し合っていた時代だった。

    serian
    serian 2012/10/09
    ボルジア家の毒薬/教会と野望と毒/世に憚る
  • 不思議館〜中世の血塗られた史実〜

    1560年、ハンガリーの名門とうたわれるバートリ家にかわいい女の子が生まれた。その女の子の名はエリザベートと名づけられた。 11才になった時、エリザベートはこの時代の習わしとして、すでに決められている許婚のナダスディ家のもとに預けられることとなった。未来の姑となる人物に、家に伝わるマナーやしきたりなどいろいろな教育を受けるためである。 相手のナダスディ家もまた古い家柄で、9百年以上続いている名誉ある軍人の名門だった。 こうして1575年5月、結婚式は行われた。 この時、エリザベートは15才になっていた。彼女はまだほんの少女ではあったが、大きな黒い瞳を持つ美しい少女に成長していた。結婚した二人はハンガリー北西部にあるチェイテという寂しい城に落ち着くことになった。緑も何もなく岩肌がむき出したままの荒涼とした殺風景な場所である。眼下にはうらぶれたような村々が一望できたが、その丘のてっぺんに城

    serian
    serian 2012/10/09
    血塗られた伯爵夫人/血と狂気
  • 不思議館~中世の血塗られた史実~

    ロシアがまだ国家としての形をとらなかった頃、一人の独裁者が現れた。その独裁者は、国内にはびこる敵対勢力を容赦なく粛正する一方、さかんに領土拡張政策を行った。彼の凄まじい気性と敵に対する残虐な態度は、異常なばかりであり、民衆は、畏怖の念を抱き恐れおののいた。 その独裁者こそ、イワン4世、またの名を雷帝と称され、後世のロシア史に暴虐を欲しいままにした皇帝として名を刻むことになった人物である。彼は、辺境の未開国だったロシアを、短期間にヨーロッパ列強と肩を並べるまでにした英雄としての側面も持っている。しかし、その陰には、数えきれない人間が、身の毛もよだつ残酷な方法で殺されていったのである。血塗られた暴君の足跡とは、いかなるものであったのか? 13世紀、チンギス・ハンによって、打ち立てられた蒙古帝国は、わずか数十年足らずの間に、世界史上類を見ない巨大な世界帝国へと発展していった。しかし、多くの民族の

    serian
    serian 2012/10/09
    血塗られたイワン雷帝/サイコパスと猜疑心
  • 不思議館~中世の血塗られた史実~

    人々に魂の救済と至福を約束するはずの宗教が、逆に憎悪と復讐心の根源となり、見るも残忍な行為へと人々を煽っていった事件がある。殺す側はどう猛な殺人鬼の集団と変わり果て、聖なる夜は、殺された人々のおびただしい大量の血で汚されたという。 16世紀のフランスは宗教戦争のまっただ中にあった。それは、教皇を頂点とする従来の旧教徒に対する新教徒との対立であった。 その対立は1500年頃、教会側が建築資金の不足をまかなうために、免罪符という証文を売りに出したことに端を発している。免罪符とは、その証文を購入しさえすれば、その人間の生前の罪が消えて、天国に行けるという全くむしのいい証文のことであった。 その教会側のあまりの腐敗ぶりに、業を煮やしたドイツ人で神学者だったルターは、ある日、95か条の質問状を、当時人々に掲示板として利用されていた教会の扉に貼つけて、このことをきびしく非難した。その内容たるや、教皇

    serian
    serian 2012/10/09
    聖バルテルミーの大虐殺/嫉妬/罪に問われるなら、問う方を滅ぼしてしまえばいい
  • 第5回研究会報告要旨(斯波照雄):日本ハンザ史研究会

    serian
    serian 2012/10/06
    都市とその周辺/「中世ハンザ都市における領域政策」/「運河の建設や商業路保護の必要性から積極的な土地取得に転換」
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