市川新之助とは、歌舞伎の名跡である。屋号は成田屋。
六代目が市川團十郎を襲名した事から「海老蔵の前に襲名する名跡」と思われがちだが、実際に歴代の新之助で團十郎を襲名したのは初代、二代目、六代目のみである。
歴代市川新之助
- 初代市川新之助(1791~1859)… 五代目市川團十郎の孫、六代目市川團十郎の養子。
後の市川ゑび蔵、七代目市川團十郎、五代目市川海老蔵、二代目市川白猿を襲名する。
因みに「新之助」の由来は後見を務めた市川一門の「市川門之助」の名前と彼の俳名「新車」を足して名付けられている。
- 二代目市川新之助(1823~1854)…初代の長男。
後に六代目市川海老蔵、八代目市川團十郎、三代目市川白猿を襲名する。
何と歴代最年少である「生後一ヶ月」で襲名している!
因みに海老蔵襲名(3歳)、團十郎襲名(10歳)と全ての名跡で歴代最年少襲名の記録を持つ…。
- 三代目市川新之助(1833~1874)…初代の三男。
後の七代目市川高麗蔵、初代市川新升、四代目市川白猿、七代目市川海老蔵を襲名する。
実は彼の兄であり二代目の弟である次男もホンの一瞬だけ「市川新之助」を襲名している。
しかし、天保15年(1844年)病気で廃業してしまった事から現在は歴代に数えられていない。
- 四代目市川新之助(1845~1886)…初代の七男。
市川あかん平、市川壽蔵を経て襲名する。
後に二代目市川猿蔵、八代目市川海老蔵を襲名する。
一時期は兄である九代目市川團十郎の後継者とされていたが42歳の若さで亡くなってしまった。
- 五代目市川新之助(1885~1956)…五代目市川小團次の弟子。
九代目市川團十郎の娘婿。十代目市川團十郎の義弟に当たる。
宗家の人間として團十郎不在時の市川家を支えた。
歴代市川新之助の中で唯一、新之助襲名後に他の名前を襲名していない。
因みに後の八代目片岡仁左衛門も「六代目市川新之助」を名乗ったとされている。
しかし、彼が初代である七代目市川團十郎から離縁されて七代目片岡仁左衛門の養子となり、片岡我當と名乗ったのが1833年である。
三代目が生まれた年なのにも関わらず既に「六代目」を名乗っており、矛盾が生じてしまっている。
因みに二代目が3歳で海老蔵を襲名したのは「弟」に新之助の名を譲る為とされている。
(この「弟」は三代目を名乗った三男ではなく一瞬だけ名乗ったとされる次男だと言われている)
その為、仮に次男を三代目と考慮しても「四代目」でなければならず、「六代目」を名乗った理由は謎である。
どの道、彼も離縁された為に歴代の新之助には数えられていない。
- 六代目市川新之助(1946~2013)…十一代目市川團十郎の長男。
後の十代目市川海老蔵、十二代目市川團十郎を襲名する。
詳細は市川團十郎を参照。
- 七代目市川新之助(1977~)…六代目の長男。
現・十一代目市川海老蔵。
関連項目
- 0
- 0pt