ゴールデンフェザント
ゴールデンフェザント | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 芦毛 |
生誕 | 1986年4月23日 |
父 | Caro |
母 | Perfect Pigeon |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 |
Carelaine Farm/ Vintage Meadow Farm |
馬主 |
Summa Stable W.Gretzky B.McNall 吉田善哉 |
調教師 |
Clive E.Brittain(イギリス) Jonathan E.Peace(フランス) Charles Wittingham(アメリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 22戦7勝 |
獲得賞金 |
11,697ポンド 1,131,875フラン 1,036,400ドル 120,175,000円 |
ゴールデンフェザント (Golden Pheasant) は、アメリカ合衆国生産の競走馬。
イギリス・フランス・アメリカ・日本の4か国で走り通算22戦7勝。1990年のアーリントンミリオンステークス、1991年のジャパンカップの優勝馬。
現役引退後種牡馬となり日本に輸出されたが、2002年に中華人民共和国に再輸出された。
馬名は「黄金のキジ」を意味する。名前は「ゴールデン」でも、毛色は芦毛である。
※文中の馬齢は当時の日本で一般的であった数え年ではなく、現在使用されている方法に換算して表記する。
戦績
[編集]3歳の1989年にイギリスでデビューし、マイケル・ロバーツ騎手が騎乗して勝利。
以後は、チェスターヴァーズ(G3)ではオールドヴィック[1]の2着。アンソニー・クルーズ騎手に変更となったリス賞(G3)はハナ差の2着で、G1初挑戦のサンクルー大賞もシェリフズスター[2]の頭差2着。
続くニエル賞(G2)でようやく初重賞を制するが、大一番凱旋門賞(G1)はキャロルハウス[3]の14着と初の惨敗を喫する。
4歳になるとアメリカに移籍する。クリス・マッキャロン騎手を背に、一般競走とジョンヘンリーハンデキャップ(G2)を連勝。その後はG1戦線に駒を進め、ハリウッドターフハンデキャップ4着、騎手がゲイリー・スティーヴンスとなったエディリードハンデキャップも3着に終わったが、アーリントンミリオンステークスでG1初制覇を果たす。
しかしその後は故障もあり、一年を休養に充てた。
5歳の9月に復帰し、アメリカで3走していずれも敗れた後、第11回ジャパンカップに出走。前走天皇賞・秋で1位入線しながら降着となったメジロマックイーンが圧倒的な一番人気で、二番人気以下はマジックナイト(マグナーテンの母)、ドラムタップス、ロックホッパーとヨーロッパからの遠征馬が上位人気を占めていた。故障明けの近走の成績もいま一つのため7番人気に過ぎなかったが、スローペースで進んで瞬発力勝負となったレースでは長い末脚を披露してマジックナイトに1馬身半の差をつけて優勝した[4]。すると、翌日には社台グループの吉田善哉が種牡馬としての価値も考えて購入し、6歳以後は社台ファームの服色で出走することとなる。
6歳では7戦するがイングルウッドハンデキャップ(G3)の1勝のみに終わり、現役引退した。
種牡馬として
[編集]1993年より社台スタリオンステーションで種牡馬となる。初年度産駒のトキオエクセレントが青葉賞(当時はGIII)を勝ち脚光を浴びたが、気性難を抱える産駒も多く、その後の成績は伸び悩んだ。トキオエクセレントも後に去勢され、せん馬として競走生活を送っている。
また、社台スタリオン系統の種牡馬でありながら、社台系統以外の牧場で生産された馬の比率が非常に高かった。現時点で他の重賞勝ち馬はヤマニンアラバスタ(いずれもGIIIの新潟記念・府中牝馬ステークス勝ち)のみである。レックススタッドに移動した後にシンジケートも解散され、2002年には中国に輸出(寄贈)された。
2007年7月25日死亡。後継種牡馬に日本から輸出された牝馬との間に産まれたSai Ke(賽可)、Sai Wu(賽武)、Victorious(捷報頻傳)がいる。
なお、ブルードメアサイアー(母の父)としては、トップガンジョー(2006年エプソムカップ、新潟記念)などを輩出している。
血統表
[編集]ゴールデンフェザント(Golden Pheasant)の血統グレイソヴリン系 / Nasrullah4×5=9.38% | (血統表の出典) | |||
父 Caro 1967 芦毛 アイルランド |
父の父 *フォルティノFortino 1959 芦毛 フランス |
Grey Sovereign | Nasrullah | |
Kong | ||||
Ranavalo | Relic | |||
Navarra | ||||
父の母 Chambord1955 栗毛 イギリス |
Chamossaire | Precipitation | ||
Snowberry | ||||
Life Hill | Solario | |||
Lady of the Snows | ||||
母 Perfect Pigeon 1971 鹿毛 アメリカ |
Round Table 1954 鹿毛 アメリカ |
Princequillo | Prince Rose | |
Cosquilla | ||||
Knight's Daughter | Sir Cosmo | |||
Feola | ||||
母の母 Pink Pigeon1964 芦毛 アメリカ |
T.V. Lark | Indian Hemp | ||
Miss Larksfly | ||||
Ruwenzori | Oil Capitol | |||
Runanda F-No.3-o |
エピソード
[編集]- アメリカ移籍後、ジャパンカップまでの共同馬主はNHLロサンゼルス・キングスのオーナー、ブルース・マクネイルと、殿堂入りしたスター選手ウェイン・グレツキー(当時キングス所属)であった。
- 本馬のジャパンカップ優勝を記念して、日本中央競馬会からアーリントンパーク競馬場に日本の桜が寄贈され、パドックに彩りを加えている。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post