コンテンツにスキップ

吉見祐治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉見 祐治
阪神時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県和歌山市
生年月日 (1978-05-21) 1978年5月21日(46歳)
身長
体重
188 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 2001年7月11日
最終出場 2013年4月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2000年

吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、高知県生まれ、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手投手)。現在は横浜DeNAベイスターズのスカウト。

経歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

和歌山県立星林高等学校では3年夏にエース・濱中治南部高に準々決勝で敗れる[1]東北福祉大学に進学。大学の同期には洗平竜也歌藤達夫がおり、4年時投手としての位置付けは吉見がエース、洗平が二番手、歌藤は三番手以降だった。2年秋には明治神宮大会の決勝で先発を任されるが敗れた。3年秋には宮城教育大戦で5回コールド参考記録ながらノーヒットノーランを達成、7連続奪三振[2]。仙台地区の選抜チームによるキューバ戦でも5回無失点の好投。2000年に春のリーグ戦では毎回の17奪三振を記録した他、5試合登板のすべて先発完封のシーズン無失点で最優秀選手、ベストナインを受賞し第49回全日本大学野球選手権大会で準優勝、日米大学野球シドニーオリンピック野球日本代表に選出。秋の明治神宮大会では初戦で久保裕也東海大)と投げ合うも途中降板し延長の末敗れた。同年のドラフト会議横浜ベイスターズを逆指名して2位指名で入団。東北福祉大の先輩でシアトル・マリナーズFA移籍した佐々木主浩の背番号「22」を用意されるなど期待されての入団だった。

横浜時代

[編集]
横浜時代(2007年10月9日、横浜スタジアム)

2001年は左肩の故障もあり7試合の登板に留まった。

2002年はチームが最下位に沈む中、先発投手としてチーム唯一の2桁勝利を挙げ、ヤクルトスワローズ石川雅規新人王を争った。

2003年には開幕投手を務めたが、結局3勝10敗と負け越した。また、この年阪神タイガースの4番濱中おさむ、5番片岡篤史、6番ジョージ・アリアスに3連続本塁打を打たれた。同じ和歌山の南部高等学校出身である濱中とは相性が悪く、高校時代には場外本塁打を打たれ、プロ入り後も10打数5本塁打と打たれている。

2004年の春季キャンプ途中に佐々木主浩の横浜復帰により背番号「22」から「21」に変更(本人が「譲る」と話した)。10月14日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)ではノーヒットノーランまであと1人の所で福地寿樹に安打を打たれ、記録達成を逃した[3]。同年は防御率5点台と安定感を欠くも7勝5敗と前年ほどの不振ではなかった。

2005年は12試合の登板で4勝2敗だった。

2006年オープン戦で好調だったが、開幕後は一転して不振に陥り防御率は9点台にまで悪化し一軍登録抹消、6月に復帰したものの打線の援護がなく勝ち星が伸びず、その後二軍落ちしたままシーズンを終えた。なお、この年の6月3日に行われた二軍戦(対読売ジャイアンツ)において、2点本塁打を自ら放っている。

2007年ロングリリーフ、および先発ローテーションの谷間での先発起用が主だった。6月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦では、打っては猛打賞、投げては3年ぶりの完封勝利を記録し、投打にわたり自身の持ち味を発揮した。同年の最終試合では引退する古田敦也の現役最終打席の対戦相手となった(記録は安打)。

2008年は前年と同様に主にリリーフで起用された。後半戦は先発で登板し、8月17日に通算3度目の猛打賞で同年初勝利を飾る[4]。9月9日の対広島戦で、6回表にコルビー・ルイスの内角のスライダーを打ちライトフェンス直撃の二塁打、結果そのヒットが勝利打点となった。この試合では吉見は2回裏にルイスに2号本塁打を打たれており、自分のバットで意趣返しをした形となった。試合は9回3失点で完投勝利を挙げた[5]

2009年はシーズン序盤は前年同様リリーフで起用されたが、交流戦辺りからは先発ローテーションに入った。また、シーズンでは同じ苗字の中日ドラゴンズ吉見一起と3度対戦したが、いずれも勝てなかった。

2010年は3月31日の読売ジャイアンツ戦にシーズン初先発したが、2回途中5安打4失点でKOされた[6]。敗戦投手は免れたものの、尾花高夫監督から二軍への降格を命じられた。

ロッテ時代

[編集]
ロッテ時代(2011年)

2010年5月9日に金銭トレード千葉ロッテマリーンズへ移籍[7]。8月7日のオリックス・バファローズ戦では3年ぶりの完封勝利を記録した[8]。最終的には防御率5点台にとどまるも6勝7敗と一定の成績を残し、チームのクライマックスシリーズ出場に貢献した。日本シリーズでは2試合に登板した。

2011年は序盤先発ローテーションに入るも4試合で1勝3敗と振るわず、中盤からは敗戦処理に回った。

2012年は二軍で開幕を迎える。先発として5試合で1勝2敗、最終的に中継ぎも含めて8試合の登板に終わった。

2013年は序盤に中継ぎとして2試合登板、その後は先発として3試合登板するも0勝1敗で5月より公式戦登板がなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[9]

阪神時代

[編集]

2013年11月14日に阪神タイガースと契約した[10]

2014年は一軍昇格はなく、10月1日に2度目の戦力外通告を受けた[11]。12月2日、自由契約公示された[12]

引退後

[編集]

2015年から古巣のDeNAに打撃投手として復帰した。2020年からはスカウトに転身[13]

選手としての特徴・人物

[編集]

140km/h台のストレート[14]スライダー[15]スローカーブ[16]チェンジアップ[17]シンカー[14]を織り混ぜる左腕。投手ながら高い打撃力を誇り、横浜時代は度々ファンの間で野手転向が噂されていた[14]

DeNA打撃投手時代は裏方として選手たちの心のサポートを最も大切にしており、会話の引き出しを増やすために空き時間を利用して、コミュニケーション術やビジネス書などを読んでいた[18]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2001 横浜 7 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 53 10.1 15 1 7 0 1 4 0 0 11 11 9.58 2.13
2002 27 25 5 1 3 11 8 0 -- .579 788 188.0 196 25 47 2 5 138 6 0 80 76 3.64 1.29
2003 17 15 0 0 0 3 10 0 -- .231 392 81.2 117 25 36 0 0 68 2 0 82 76 8.38 1.87
2004 22 19 1 1 0 7 5 0 -- .583 464 106.0 114 21 35 0 6 70 7 0 65 62 5.26 1.41
2005 12 10 0 0 0 4 2 0 0 .667 256 59.2 57 6 22 0 0 30 0 0 31 28 4.22 1.32
2006 17 17 2 0 0 2 9 0 0 .182 441 103.1 108 15 32 1 2 78 1 1 60 50 4.35 1.35
2007 38 12 1 1 0 3 4 0 3 .429 440 97.0 118 9 34 0 9 62 3 1 48 46 4.27 1.57
2008 41 10 1 0 0 3 6 0 7 .333 380 86.2 96 15 28 3 6 56 2 0 51 51 5.30 1.43
2009 27 13 0 0 0 3 4 0 1 .429 383 88.1 93 11 28 1 4 73 3 0 46 42 4.28 1.37
2010 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 9 1.1 5 0 1 0 0 0 0 0 4 4 27.00 4.62
ロッテ 21 17 1 1 0 6 7 0 0 .462 409 88.2 111 10 30 1 5 76 4 0 55 51 5.18 1.59
'10計 22 18 1 1 0 6 7 0 0 .462 418 90.0 116 10 31 1 5 76 4 0 59 55 5.50 1.63
2011 24 4 0 0 0 1 3 0 1 .250 205 46.0 56 3 19 1 1 34 5 0 21 19 3.72 1.63
2012 8 5 0 0 0 1 2 0 0 .333 135 31.1 30 3 13 0 0 16 0 0 18 18 5.17 1.37
2013 5 3 0 0 0 0 1 0 0 .000 85 18.2 20 4 10 1 0 12 1 0 8 8 3.86 1.61
通算:13年 267 152 11 4 3 44 62 0 12 .415 4440 1007.0 1136 148 342 10 39 717 34 2 580 542 4.84 1.47
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

[編集]

記録

[編集]
投手記録
打撃記録
  • 通算打撃成績:打率.228(219打数50安打)、0本塁打、23打点、出塁率.251
  • 初打席・初安打:2001年8月2日、対広島東洋カープ16回戦(広島市民球場)、2回表に河内貴哉から右前安打
  • 初打点:同上、4回表に小林幹英から左前適時打
節目の記録

背番号

[編集]
  • 22(2001年 - 2003年)
  • 21(2004年 - 2010年5月9日)
  • 12(2010年5月10日 - 2013年)
  • 42(2014年)
  • 115(2015年 - 2019年)

脚注

[編集]
  1. ^ 2001プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球2000年春季リーグ展望号 ベースボールマガジン社
  3. ^ 「吉見、大漁逃す 9回2死まで無安打無得点」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)10月15日付朝刊、17面(スポーツ面)。
  4. ^ “吉見好投!打っても猛打賞で虎に3連勝”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年8月18日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/08/18/kiji/K20080818Z00001850.html 2013年4月28日閲覧。 
  5. ^ “横浜嵐の9人攻撃!乗った吉見今季初完投”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年9月9日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/09/09/kiji/K20080909Z00000980.html 2013年4月28日閲覧。 
  6. ^ “申し訳ない…横浜・吉見、20球でKO”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年3月31日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/03/31/kiji/K20100331Z00001010.html 2013年4月28日閲覧。 
  7. ^ “ロッテが横浜・吉見を獲得 金銭トレードで合意”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年5月9日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/05/09/kiji/K20100509Z00001370.html 2013年4月28日閲覧。 
  8. ^ “吉見3年ぶり完封!最大55キロ差緩急でピシャリ”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年8月8日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/08/08/kiji/K20100808Z00002420.html 2013年4月28日閲覧。 
  9. ^ 来季契約についてロッテ球団公式2013年10月3日
  10. ^ 吉見祐治選手の入団について阪神タイガース球団サイト
  11. ^ 来季の選手契約について阪神球団公式サイト2014年10月1日配信
  12. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月2日閲覧。
  13. ^ 12球団編成&スカウト布陣一覧&2021補強ポイント【セ・リーグ編】”. 週刊ベースボール (2021年1月24日). 2021年8月11日閲覧。
  14. ^ a b c 吉見祐治”. VICTORY ALL SPORTS NEWS. 2021年11月3日閲覧。
  15. ^ 【ロッテ】吉見「見返したいとか…」 - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2021年11月3日閲覧。
  16. ^ 【ロッテ】吉見、昨年5月以来の白星 - プロ野球ニュース”. nikkansports.com. 2021年11月3日閲覧。
  17. ^ レジェンドから現役の使い手まで一挙公開。これが魔球を生み出すグリップだ!【シュート~チェンジアップ】 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年11月3日閲覧。
  18. ^ 【裏方の流儀】DeNA吉見打撃投手 選手の心救う理想の“投球”を - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年11月3日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]